目次
寄席の底ぢから
- 中村 伸(著)
-
もくじ
寄席は皆さんが思っているより面白い
一 寄席の事件簿
寄席は楽しい場所か?
二〇一一年三月一四日、新宿末廣亭
誰もがまじめに芸と向き合った夜
なに語ったらいいのかわからなかったんですよ
場内大合唱の夕べ〜二〇一一年九月、浅草
狂気をもった新真打〜二〇一二年四月、新宿
あの鶴瓶が寄席に出る!〜二〇一二年五月、新宿
深い時間に二ツ目が三人登場〜二〇一二年一〇月、浅草
小三治五〇分の長講〜二〇一三年正月、新宿
寝ると死にますよ〜二〇一三年一二月、名古屋
寄席の写メタイムは盛り上がる
珍しい二度上がり〜二〇一五年三月、新宿
フリースタイル落語の夜〜二〇一六年三月、新宿
珍客到来〜二〇一六年四月、浅草
師匠、そのネタ出ています〜二〇一七年四月、池袋
何人殺すつもりか?〜二〇一七年七月、池袋
破綻がないのが寄席
二 寄席の楽しみ方
都内には四軒の「定席」がある
そのほかの寄席
定席はすべて「色物席」である
寄席の番組は意外にうまくできている
出番によってネタは変わる
寄席ならではの伝統的な色物芸
色物芸はバラエティー豊か
漫才やコントは寄席のスパイスだ
想像する楽しみ、反応する楽しみ
寄席の客席は「お座敷」である
番組は一〇日ごとに変わる
三一日ある月の最終日は「余一回」
深夜寄席と夜の部の割引
客は寄席を選べるが、寄席は客を選べない
寄席囃子のいろいろ
寄席囃子のシンは三味線
寄席は着物姿の良さを鑑賞できる場である
寄席文字は辛うじて生き残った
寄席に行くなら体調のいい日に
三 寄席の歴史
四〇〇軒から一一軒へ
落語はとびきり遅咲きの芸能だった
「笑い噺」から落語へ
「カミシモ」の演出は歌舞伎から
寄席も歌舞伎も大打撃を受けた「天保の改革」
「落語色物席」が次々に生まれる
庶民の暮らしと寄席
三遊亭圓朝が変えた落語の立ち位置
珍芸四天王の登場
「落語研究会」が発足
外国人芸人や泥棒談義
東西交流とナンセンス落語
世の中が便利になると落語の客が減る
寄席が映画に食われる
禁演落語と敗戦
落語の時代の幕開け
『笑点』をつくった立川談志
落語協会分裂騒動と談志一門の脱退
落語ブームと地域寄席の広がりの中で
四 寄席のある街
上野
広小路に響き渡るハネ太鼓の音色
始まりは幕末の安政時代
若手や中堅真打が腕を磨く場
大太鼓の長講やネタ出しの公演もある
大塚鈴本と講談本牧亭
上野の山と落語との不思議な関係
新宿
寄席提灯と寄席文字がかもし出す独特の風景
戦後の焼け跡に建った寄席
林家三平が象徴する昭和三〇年代の輝きと明るさ
一〇〇人の通より五〇〇人の一般のお客さんが大事
じつは創業以来ずっと場内アルコール禁止
寄席の建物が新宿区の地域文化財の第一号に認定
関東大震災後に発展したターミナル街
浅草
元日の一番太鼓は朝八時半に鳴る
寄席オープンのきっかけは先のオリンピック
良い意味で「敷居の低い」寄席
再び浅草の街が変わる
芸人が気楽に歩く街
池袋
どこに座っても特等席
のどかな学生の街から巨大ターミナル街へ
街の変貌を見続けてきた寄席
待ち時間は長めで珍しいネタも出る
上演中の外出を許しているのは池袋だけ
五 寄席の底ぢから
寄席は何度ヘコんでも必ず蘇る
楽屋が若者を「芸人」にする
若手にとって寄席の出番は貴重な時間
スタイルは昔のままだが喋ることは今
日々試行錯誤できるのが寄席の良さ
同じネタを二度、三度聞く面白さ
嫌なことがあった日には寄席へ
五〇年後、一〇〇年後にも寄席を残すために
あとがき
定席および寄席案内
主な参考文献
芸術・アート ランキング
芸術・アートのランキングをご紹介します芸術・アート ランキング一覧を見る
前へ戻る
-
1位
-
2位
-
3位
-
4位
-
5位
-
6位
-
7位
-
8位
-
9位
-
10位
次に進む