目次
平成日本の音楽の教科書 (よりみちパン!セ)
- 大谷 能生(著)
- まえがき
- イントロダクション 音楽の教科書を読んでみる
- なぜ読むのか
- 初めて体験する「音楽を学ぶことの楽しさ」
- 義務教育で習ったことが邪魔をする
- 憂鬱で曖昧な授業の記憶
- 音楽は好きでも授業が退屈なのはなぜ
- カラオケにリコーダーはもってゆかない
- 勉強に身が入らなくなる理由
- 教科書を「読み物」として読むならば
- 先生用のガイドブックをチラ見してみる
- 教科書の「理想的な使い方」
- この本を読んでほしい方々
- 高校の音楽教科書はこうなっています
- 第1章 小学校のおんがくの教科書
- 覚えたことを忘れてはじめて、「使える」ものになる
- 小学一年生の教科書をめくってみる
- 見ず知らずの人たちを「みんな」にする「歌」
- 「邦楽」を捨て、「西洋音楽」へと走る理由
- 「唱歌」=「こころのうた」は、じつは「からだのうた」なのだ
- 鍵盤ハーモニカは「音程」の存在をほのめかす
- 「歌」以外にも「音楽」があるらしい
- 「鑑賞」という難問
- 不和を呼び込む「階名」の登場
- リコーダーは「歌」を「器楽」にした
- 「自分の外側にも世界がある!」という経験
- 世界には「音程」を出せるものと出せないものがある
- 「音」と「音楽」のあいだ
- 「音痴」の克服
- この音ときれいに響く音はどこ?
- 音が鳴っていないところにも「リズム」はずっと流れている
- 聴くことによる「美的経験」
- 黙って聴いて理解せねばならぬ
- 「芸術」としての音楽という謎
- 音と音の関係性−「純音楽」という理念
- 軍国主義への反省
- 取っ散らかる「日本の伝統音楽」教育
- まとめ
- 第2章 中学校の音楽の教科書
- どんどん増えてる「日本の伝統音楽」
- 教科書の半分が和太鼓・筝・三味線・篠笛・尺八だった
- ドレミのルールに静寂の美学はない
- 無理があるしちょっと非常識
- 学校では教えない「日本の伝統音楽」と、学校で教える「西洋音楽」
- そしてグローバル化を終えた音楽だけが残された
- 「民族音楽」と「伝統音楽」
- 「伝統芸能」の生空間に入り込もう
- 「科学的精神」と音楽
- 音楽が「崇高な芸術」になるまで
- 音楽とは空気の振動である
- 「音の物理学」を学べば聴き方が変わる
- 「長調」と「短調」ってなに?
- ぜんぜん理論的じゃない音楽記号のナゾ
- 「表現課題曲」の印象が薄いのはなぜか
- 教科書に載っているのは「歌手を持たない歌」である
- 義務教育は「商品価値」と絶縁する
- 音楽の授業が不満なのはなぜか
- 「みんな」とシェアできない、したくない音楽
- 好き嫌いで人生を決定することの「重さ」
- 喋る/書く行為の中にも「音楽」はある
- 「言葉」を使って、聴く耳を育てる
- 授業に疑問を持つこと
- まとめ
- 第3章 高校の音楽の教科書
- 高校の音楽は選択科目です
- J−POPも情熱大陸も初音ミクも
- ついに「創作」せねばならぬ
- アコギそして「コードネーム」
- クラシックとポップス、その魅力の異なり
- 歪んだ音、自分にふさわしい声
- 増幅された世界に生まれるもの
- 厳密な思考が作る「現代音楽」、聴けば意外と拍子抜け
- 音を出さない演奏と「ミュジーク・コンクレート」
- クラシック音楽の拡張とポピュラーミュージックの大発展
- 「民族音楽」の商品化と「レコード」の登場
- 録音物に映りこむもの/各民族のリズム構造
- 「録音」で明らかになる多様なリズムとルール
- 「音楽作品の液状化現象」
- 残響とタブレット
- 音楽は「行為」である。そして私たちはすべて、音楽の才能に恵まれている。
- バリバリの商品、J−POPを「音楽する」
- 譜面、楽曲を手元に引き寄せよう
- 「ダンスフロア」は「公共」を体験するための最大の素材なのだ
- 既存の音楽と比較しない/商品価値がなければないほど良い
- 「音楽の知識」から「ミュージッキング」へ
- まとめ
- あとがき
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