紙の本
社会構造の変化と共同体の崩壊についての関連について
2014/08/09 22:23
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投稿者:やびー - この投稿者のレビュー一覧を見る
おなじみ、氏のブログや対談、インタビューからの内容を集めたコンピ本と言えば、内用の充実さにおどろくだろう。
閉塞感が漂う、現代日本が抱える様々な問題を氏いわく「当たり前のこと」に着眼し提言する。
共同体の崩壊や常識、共通の価値観が失われ、個への執着する未来を予言する日本絶望論とも言える一冊。
氏の着眼点が凄いのは、共同体を破壊する原因を資本主義に置いた所だろう。善くも悪くも封建性と言う共同体が個人を守り家を護っていた。節度を守り身の程を知る、成長でな無く成熟する事が大人になる事だと、先人達は教え導いてきた。
とは反対に、自由や欲しい物を手に入れたい「欲望」を疎外するわけでは無い。 あまりに極端化し、経済活動に特化した場合に失われる物が図り知れない位の損失だろうと氏は言う。
それは、共同体における個と公のバランスであり、社会構造を安易に変化させず人間社会の営みを継続できる環境が人を成熟へと導くのだろう。
柄谷行人氏の「世界史の構造」に顕れる、資本=ネーション=国家の構造の中で資本が共同帯を破壊すると言及しているが本著ではさらに解りやすく具体的に表現されていると感じた。
紙の本
総市場経済化した日本で
2015/01/01 17:40
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投稿者:ぽぽいぽいぽいぴー - この投稿者のレビュー一覧を見る
「共同体」という切り口から論じてあるが、柱となって突き刺さっているのは、
"日本社会の株式会社化"という『街場の憂国論』以降の筆者の危機意識だ。
資本主義社会の成熟の過程で、必然的に共同体は衰退し学校教育は崩壊したという
筆者の見解は筋が通っており共感できた。
家族・学校・会社…筆者の提唱する「師弟関係があり」「市場経済から離れた」
小さな共同体を自分の足元から広げていくところに今後の見通しがあるのだと感じた。
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息苦しい世の中
2017/02/26 19:41
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投稿者:るう - この投稿者のレビュー一覧を見る
柔らかく語られているが中身はけっこう絶望的です。何故こうも息苦しい世の中になってしまったか 頭の中でモヤモヤとはしているが明確な形にならずにいた事をきっぱり言語化されたような。
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リーダーシップについて語る本は数多あるが、フォロワーシップについて切り込む内容のものはなかなかない。ていうか、まずそういう視点にならないし。そんなところ気付かないし。
そこがさすが内田樹なのです。
フォロワーシップ、つまり弟子論。
弟子論といえば漱石の「こころ」。
『先生』を盲目的に追っかけていた『私』は、最終的に『先生』の生そのものを余すことなく受け入れることになった。
誰をフォローするのか、その直感力がすごく大事であり、「こころ」では『私』のフォロワーシップが存分に発揮されたことになる。
結局『私』の真面目さが『先生』のお眼鏡に叶ったわけだが、そういう師がいて弟子がいてっていう関係が、どうやら健全な共同体の根っこにあるらしい。
今は何でもイーブンな関係というのが取り沙汰されるが、そういう風潮に待ったをかける貴重な論考。
やっぱりさすが内田樹なのです。
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個人的に気に入っている内田樹先生の本。
内田先生の本は大体読んでいるので、内容的には
今までの著書と大きくは変わっていないように思えます。
だから、新しいことはあまりないのですが、
だんだん内田先生の書いていることが、先鋭的・過激に
なっているような気がします。彼の意見に異をとなえる
というか反対者を過激に攻撃するというのではなくて
なんか書いていることが、純化しているという感じ
がします。当たり前のことを、彼の素晴らしい理屈で
展開されていて、それがとても気持よくどんどん読み込めていく本だと思います。
最後の章(講)の『弟子という生き方』の部分では少し
粘着性のあるどろっとした話もあって、ここは新しい部分かと思います。
また、教育の大切さ。教育の本質。人間関係の根っこ
がこの理屈にあるような気がします。
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私淑するウチダ先生の著作とあらば読まずばなるまい、という勢いで読んだ一冊。いつもの話のくり返しという部分もあり、また相変わらず示唆に富んでいました。
非正規雇用者の窮状について怒り狂うことが(それが善意であったとしても)当事者の自尊感情を棄損するメカニズムについては、改めて蒙を啓かれる思いで読みました。他にも耳の痛い話がちらほらありましたが、実に多くのことに対するセンサーを解放する記述に満ちた一冊でした。
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前書きにもあるように、内田先生の「いつもの」話をあらためてまとめた共同体論。人間は社会的な生き物であることは言うまでもないが、近年の社会では「共同体」をどんどん解体していく力が働いている。新自由主義と呼ばれる資本主義経済の先鋭的な行動規範がその源になっている。家族を解体し、近所を解体し、村や町をを解体し、疑似家族としての日本的な「カイシャ」を解体し、国民国家までがそのターゲットになっている。共同体の解体が利益を生み出す仕組みがおそらくある以上、それは避けられないのかもしれない。が、しかしすべての共同体が解体されてしまった後のことを誰も考えようとしない。救いはあるのか。そのささやかな回答がここにある。ほんとうにささやかでか細い希望ではあるけれど。
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始めて読んで内田本。
読みやすさから、
此の本に手を取った。
非常に社会学的には最もな事を言ってるとは感じるのだが、
当事者意識みたいなものが感じられなかった。
(勿論、著者も意識してのことだと思うが。。)
消費者マインドについての考察は面白い。
コミュニケーション論について論じる内容があれば、
読んでみたいと思った。
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内田先生の本はもう何冊も読んでいるのだけど、レビューを書くとなると難しくていつもうまく書けないでいる。最初に書いておくと、今回もレビューにはならなさそうだ。これまで何冊も読んでいるせいで、内田先生が仰ったことに自分がただ同意しているだけなのか、元々自分がそう思っていたのか、もう分からなくなっているから、というのがレビューを書きづらい理由。
さて、この本では家族やコミュニケーション、教育、地域共同体など、「人と人との結びつき」のありかたについて論じられている。いずれも単純で身近なテーマであり理解に苦しむような箇所はなく、今の日本の現状について「何かおかしくないか?」と思っていたこと、あるいは実は感じていたことに気付いていなかったようなことについて言及された箇所にくると、「あ、この違和感はここからきてたのか」と気付かされることが多い。たとえばよく教育問題として挙げられているいじめ、学力低下についても、ただただ憂うのではなく、「どうしてこうなったのか?」「これからどうすればいいのか?」が述べられていて、結局は「おとなになりましょう」「若い人の成長を支援しましょう」といった「当たり前のこと」に帰着している。そういった「当たり前のこと」に帰着するような問題がごろごろ転がっているのはなぜか?という問いをたてると、「変化」「スピード」を求めすぎている現代日本の様々な問題点が浮かび上がってくる。
この本に書かれていること全てが正解ではないだろう。ただ、少なくとも、今起きている問題はこれまで私たちが選択してきたことの「結果」であり、ただただ「何とかしろ」とがなり立てるだけで状況が好転することは有り得ないということだけははっきりしている。まずは「足元の瓦礫を片付けること」からやっていくしかないのだろう。
(一部の表現・文章はまえがき、本文より抜粋)
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『階層の二極化と反知性主義の関連は、指摘する人があまりいませんけれど、これは車の両輪のような現象だと思います』 ー『第七講 弟子という生き方』
例えば郊外の森に囲まれた一軒家に暮らすことにどれだけの価値を見出だせるか。自己充足的な生活が可能で、自然豊かな環境が整っているとして。
その問いに応えようとすると、どれだけ個人主義を標榜しようとも、人は究極的には社会的生物であるということを思い知る。なに不自由なく暮らせるとしても、人は他人との遣り取りを求めるもの。例えば最近読んだ「極北」の主人公が、閉ざされてはいるが安定している現状から不確かな未来へ向けて行動することを選択しても違和感なく追うことできるのもその証であったのだと気付く。結局、内田樹先生が「当たり前」のこととしている感覚の拠り所はその辺りに根元があるように思う。
共同体というもの対する相性は、個人的には余り良くない。そもそも、全体主義的匂いのしそうな考えには鳥肌が立つ。でも、弟子という生き方には共感が湧く。自分自身のこれまでを振り返ってみて、自分のしてきた努力はというものは結局のところ尊敬する人の見渡している高みにへ近づきたいという単純な動機に裏付けられたものであったなとの想いもある。
なるほどなぁ、とまたしても眼から鱗が落ちるような感慨に捕らわれる。内田樹先生の指摘は相変わらず説得力がある。一見正しそうに見えるものの真の構図はこれこれこういうことなんですよ、と、またしても自分が如何に目明きの癖に何も見えていなかったかを思い知る。
そして全体主義を忌避して敢えて取った行動が、反って全体主義を助長しかねないということを指摘され、ぐうとなる。これからは精々ゴミを拾う人になろうと思う。
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街場シリーズ・共同体論。他所で語られていることの繰り返し部分も多く、大切なことだからなのだということを強く意識させる。次世代へのパスがだせること、ロールモデルがいない状態で、自分がまず「おとな」になってみること、システム保全仕事はボランティアだけど、システムの保全が「自分の仕事」だと思う人がいないと、システムは瓦解する。他にも色々あるが、コミュニケーション能力という言葉が内包する違和感がまたすこし氷解した。
あと、「身体に悪いことはしない(しなかった)」と敢然と言われたことで、同じくそうで、そうだったけど、そこに迷いもあったので、それでいいんだと少し気楽になった。
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いい先生をもち、大人で、若い人を大切にし、道端のごみもなんとなく気になって拾ってしまう。そんな人こそ、今の日本に必要だというまっとうな、しかし、あまり誰も言わない話。
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(以下引用)
豊かさと親しみは食い合せが悪いんです。金ができるとみんながだんだん排他的になる。でも、まだ日本全体が貧しくなってきて、共和的な貧しさの知恵の必要性を感じ始めている。いつの時代がいいとか悪いとか、一概には言えないと思います。個人が原子化して、親族や地域社会が崩壊したのは、日本が安全で豊かになって、一人でも暮らせるようになったことの代償なんですから。それ自体は言祝ぐ成果なのです。(P.89)
この三種類の社会制度資本(自然資源、社会的インフラ、制度資本)は、専門家によってクールかつリアルな専門的知見によって管理運営されなかればならない。私念や私欲が介在してはならない。当たり前のことです。ですから、社会的共通資本の運営は、政治イデオロギーと市場経済は関与してはならないとされています。政治イデオロギーはどれほど賛同者が多くても、それを駆動しているのは私念です。市場はどれほど規模が大きくても、それを駆動しているのは私欲です。私念と私欲を動機に行動することが「悪い」からではありません。私念は常に誤り、私欲は常に邪悪であるからではありません。そうではなく、私念は私欲は「ころころ変わる」からです。(P.136)
コミュニケーション能力とは、コミュニケーションを円滑に進める力ではなく、コミュニケーションが不調に陥ったときに、そこから抜け出すための能力だということです。(P.166)
我が国のエリート層を形成する受験秀才たちは、あらかじめ問いと答えがセットになっているものを丸暗記して、それを出力する仕事には長けていますが、正解が示されていない問いの前で「臨機応変に、自己責任で判断する」訓練は受けていません。むしろ誤答を病的に恐れるあまり、「想定外の事態」に遭遇すると、「何もしないでフリーズする」ほうを選ぶ。彼らにとって「回答留保」は「誤答」よりましなのです。でもライオンが襲ってきたときに「どちらに逃げてもよいか、正解が予示されていないから」という理由でその場で立ち尽くすシマウマは、たいてい最初に捕食されます。ですから秀才たちに制度設計を委ねると、その社会が危機を生き延びる可能性は必然的に逓減することになります。(P.170)
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最近のニュースをみていると、「おとな」になりきれていない「おとな」が多いことを実感させられる。混沌とした日本社会の中でどう生きていくのかー、子どもたちに何を伝えていく必要があるのかー、色々考えさせられることが多かった。
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自己発見のためにはルーティンを守ることがけっこう大切なんです。毎日毎週同じことを繰り返す。同じことを繰り返していないと、自分の中に生じた変化がわかりませんから。
例えば、毎日同じ時間に同じ道を通学していると、四季の変化がわかる。昨日はまだ咲いていなかった花が咲いていたり、霜柱が立ち始めたり、同じ道を歩いている自分の歩幅が変わっていたり、視線の高さが違っていることに気付く。自分の身体に起きつつある微細な変化を点検するためには、定型的な生活を過ごす必要があるんです。(p.82)
子供に必要なのは、もっと静かで、安定的で、内省的な時間なんです。(p.83)
年収によって格付けされるということが理不尽だというのではなくて、人々は等しい条件で競争するのでなければならないし、現に等しい条件で競争しているという前提そのものが「嘘」だからです。(p.117)
弱者支援が「もっと金を」ということに一元化されてしまうと、それは同時に「金がすべての人間的問題を解決する。金以外には人間の苦しみや欠如感を埋める手立てはない」という命題に同意していることになる。そのことの危険性について、もっと警戒心を持ってほしいということを申し上げているのです。(p.130)
もっと重大なのは、マニュアルを精緻化することで、僕たちの社会は「どうしてよいかわからないときに、適切にふるまう」という、人間が生き延びるために最も必要な力を傷つけ続けているということです。(p.169)
長い時間をかけて、さまざまな機会に遭遇し、想像を絶した状況に投じられたあとに、それぞれの才能は開花する。
「鶏鳴狗盗」が教えるのは、好機を得てはじめてその才能が花開くこともある、ということです。それまでどんな価値があるか知れなかったある種の個人的な「傾向」のようなものが、特異な経験を通過することで「受肉」する。(p.186)
人間の営みというのは本質的に集団的なものであって、集団全体のスキルを上げて、知性を活性化し、感情を豊かにして、集団としての生きる力を高めることが、生き延びる上では必要だということを確認すればいいんです。(p.219)
学ぶというのは、何らかの実定的な知識や技術や情報を教わることではなく、「学ぶ仕方を学ぶ」ということなんです。弟子はそれを師から学ぶ。(p.248)