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旅行記なんだけど、旅行先の感想を述べるのではなく、旅行にまつわる雑感にしてるところが読ませどころ。旅行から帰っての日本の風景とか、荷物の量とか、若い時の旅行と今の旅行とか。しかし、たくさん旅行に行けていいなぁという気分が感想の半分ですね。
最後の章は一転して、マリ、インド、パキスタンとハードに地域に行った旅行記そのものになっている。文章うまいなぁと思うが、あまり興味は惹かない。
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旅好きだけど、旅慣れない。そんなスタイルだからこそ出会えた、ひと、もの、風景。二度は出会えない貴重な旅のレポート。
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第一章 「旅先で何か食べるのが、私はよほど好きなのだ」
第二章 「旅には親役と子役がいる。年齢や関係じゃなく、質だ」
第三章 「旅と本に関しては、私には一点の曇りもなく幸福な記憶しかない」
第四章 「彼女たちは、母親の世代からずっと、ひどい仕打ちを受けているという意識はあった」
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一章と二章では、旅の途中のあれこれ、が綴られ、三章では旅に関する書物が紹介されている。そして四章では、自由な旅ではなく、女性の人権の心許なさを取材する旅が描かれ、そこで見たもの感じたことごと、観光地化された首都との落差、女性がひとりの人間として自立することの困難さが悲痛な気持ちとともに描かれている。だが、当の彼女たちに希望がないわけではなく、このままではいけないと考える人も多くいて、不断の努力を続けていることに希望を見出すことができるのである。著者と旅人の切り離せない関係を、あれこれ思わされる一冊である。
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旅好きの角田さんのエッセイ。
”けれど旅を終えたとき、私たちは気づくのだ。それらが、きらきらと光を発しながら自身の内に降り積もっているのを。”
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旅好きだけど、旅慣れない。そんなスタイルだからこそ出会えた、ひと、もの、風景。二度は出会えない貴重な旅のレポート。 (「BOOK」データベースより)
海外旅行というと、行きたくて仕方なくて、でも気負いしてしまって疲れてしまう・・というのがたいがいのイメージなんですが。角田さんの旅はステキ。心のままというか、自分らしい旅の数々。その時の気持ちや、状況、経済状態のまま行く旅。本来、そういうものなんですよね。時間がないから、とか、余裕がないから、とかは言い訳。旅に出たい!
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図書館の企画の棚に置いてあった。
そうか、旅に関する内容だからね♪
どうやら秋の行楽シーズンをイメージする企画だったようです。
そういえば、角田光代さんってアジア、バックパッカーのイメージが(小説から)。好きで一人旅に出られていたんだね。
いい季節だし、旅に出たくなる。その旅の途中で読むのもいいかも。
それにしても、ちょっと近所も含めてどこへも行ってないや。たまには出かけないと息がつまりそう。
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“ただの”旅のエッセイを集めた本だよね~、と読み始めたが、それだけじゃなかった。というより、それだけでは済まされなかった、という感が強い。
まず、序章で打ちのめされた。そして、知ってはいるんだけど、やはり凄すぎる角田さんの感性に、打ちのめされつつ読み進める。
で、第四章である。
私が、知らなければならない、知るためには何か読まなくてはならない、でもしんどいから、と後回しにしてきたものたちが密集していた。
まったく、こんな形で、向き合うように示唆されるとは思ってもいなかった。とんだ油断である・・・。
神様はやっぱり見てて、道を指し示すのね、ちぇっ、と思った次第である。。。
さて、私も、私にできることをしなければ、ですね。
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なんて素敵なタイトルなんだろう。旅に関するエッセイ集。旅をしている時は見過ごしているような、何気ない人々の笑顔、食べ物の匂い、いくつかの光景。けれど旅を終えた時気づくのだ。それらがきらきらと光を発しながら自身の上に降り積もっていることを。
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旅に馴染んでいる人っているのだと,角田さんのエッセーを読むたびに思う.心中はドキドキハラハラしているとしても,どこか高みからのほほんと眺めている様子が,次のたびに繋がるのだろう.最後の,マリ,インドなどの地域への活動の取材は考えさせられた.何もできなくてもまず知ることが大切だと知った.
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昨年『Because I am a Girl』を読んで、とても印象的だった。
第四章は、そのキャンペーンの経緯、取材についての文章も掲載されていたので改めて読むことができて良かった。
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数多くの作家さんが旅についてのエッセイを書かれているが、中でもわたしは角田さんの書く旅の記憶たちが一番と言っても過言ではないほどに好き。
過去の角田さんのバックパッカー的な一ヶ月ほどの期間をドミトリーに宿泊した記憶や、今の、長い休みが取れず短い期間を自分の行きたい地で思いっきり旅する角田さんの記憶が詰まった一冊、面白くないわけがない。
最後の章のルポルタージュ、世界の貧困とか、情勢、そして女性の立場。
深く心に残る一冊。おすすめ。
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この本は、角田さんの旅のエッセイをまとめた本。内容が濃すぎて、この一冊はかなりお得なんじゃないかな、と思う。特に4章では、自分の将来についてすごく考えさせられた。。
角田さんは、旅って、面倒だし辛いし嫌だな〜と思うことの方が多いけれど、それでも旅はやめられない、ということを書いていたけれど、私もそう思う。
本当に旅って、自分でルートを考えたり、宿を決めたりするのも面倒だ。「その国治安悪いからやめとき」と言われ、心配のしすぎで疲れてしまったりもする。(結局行くんだけど。)南米を旅行していた時は、「もう安宿に泊まりたくない…バストイレ兼用のところには泊まりたくない…最低限清潔感のあるところに泊まりたい…お湯のシャワーを浴びたい…」とも心底思った。
でも、その国の景色、文化、そこに住んでいる人などを自分の目で見たいから、面倒でも辛くても嫌でも旅行をやめられないし、学生で普通のところに泊まる余裕もないから、仕方なく安宿になる(本当は綺麗なところに泊まりたいが)。しかし、その国の文化や景色、人などを見てしまったら、それらに魅了され、安宿でもあまり気にしなくなり、(というか安宿がどんなところだったかを完全に忘れているだけだが)また違うどこかへ旅をしたくなる。
私にとって、良いところに泊まるより、その国がどんな国であるかを知ることの方が優先事項なんだろう。今のところは。老後は普通に良いところに泊まって旅をしたいけど。笑 というか、老後ならではの旅の仕方があるはず。
私の、この「自分の目でそこに住んでいる人がどんな暮らしをしているのか、どんな文化があるのか、どんな景色が広がっているのか確かめたいからそこに行く」という旅の感覚は、一生変わらないのかもしれないなあ。
だって、この感覚は、海外だけでなく、国内、国内の中の近所でもそうだから。見知らぬ場所も、近所も、よく散歩をしていて、へ〜ここにこんな景色があるんだ、とかこんなお店あるんだ〜とか見るのが好きなのである。延々とそうしていられる。ずいぶんと安上がりな女である。
それにしても、角田さんと言い浅田次郎と言い、私の好きな作家さんは旅好きな作家さんが多いなあ。私も彼らの様に、旅と共に年を重ねてゆきたい。
いろんなところに行きたい〜!
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「これこれ!私の言いたかったことはこれ!」と思いながら読み進めた。
それを表現できる人が作家になれるのでしょう…。
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旅好きの角田さんの旅エッセイ。いつまでも旅慣れないでおどおどビクビクしている角田さんが自分と重なり、読みながら自分の旅のことを思い出しました。いい時間でした。
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「人は、基本的には善きものであると私はどこかで信じている。道を尋ねたら、ほとんどの人が何も考えずに正しい方角を教えようとする。なんでもないことだが、それは、悪意ではなく絶対的な善意である。私がそのように信じられるようになったのは、ひとり旅で多くの人に助けられたからだ。」
このエッセイに書かれているこの文章。
これ、とっても角田さんの人となりを表しているように感じた。
角田さんの信じる性善説こそが彼女の作品の根幹になっているように思う。
どんな人も最終的に受け入れる寛容さが彼女の小説にはあるのだ。
以前は角田さんの書くエッセイ、特に旅にまつわるエッセイはあまり好きになれなかった。
読み手の私が変わったのか、書き手の角田さんが変わったのか、このエッセイはすとんと私の中に入ってきた。
なんだか嬉しい。
ところで以前テレビで見たのだが、インドで道を聞いたらほとんどの人が見当違いの方向を教えていた。
方向が間違っていようが、角田さんにとっては一生懸命教えてくれようとしている行為そのものが善になるんだろうな、とふと思った。
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角田さんはエッセイより断然小説だ、と思ったり書いたりした記憶があるけど、やっぱりそうだと再認識。旅好きな著者の旅に関するエッセイを集めたものなのに、どうにも印象が薄い。読んでいて楽しいと思わない。それがなぜかと考えて、感情の表出がないからだと思い当たる。「ない」ではなくて故意にそのように書いているはずだけど、著者の小説を知っている者からするとなんだかとても物足りない。でも、さらに考えて、そうか角田さんは"自分のこと"を小説と同じようには書かない、書けない、書きたくない、のいずれかなんだろうな、と勝手に納得した。(とはいえ、終盤の国際NGOのBecause I am a Girlキャンペーンの一環で行った旅について書かれたものは、知識を得るという意味で読み応えがあった。)