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みんなのレビュー127件

みんなの評価3.8

評価内訳

127 件中 1 件~ 15 件を表示

2014/09/12 00:23

投稿元:ブクログ

Kindle版で読了。記号論的なことのさわりを語るのに、検索ワードという比喩は若年層にはわかりやすい。検索ワードすら見当たらずに遭難してる人も多いけど。

2014/08/02 19:18

投稿元:ブクログ

ネットの統制から逸脱するには グーグルが予測できない言葉で検索すること

自分を変えるために環境を変える

人生を充実のために、強い絆と弱い絆が必要 ネットは強い絆をより強くするメディア

台湾人 本省人と外省人(国民党の蒋介石と一緒に中国からきた) 日本のサブカルチャーが好きなのは本省人

インド アライバルビザ バックパッカーの情報しかない オペロイに泊まると説明したらすぐ発給

旅は自分でなく、検索ワードを変える

ネットでは見たいものしか見ることができない

2004 スマトラ沖地震 インドネシア アチェ州 壊滅的被害 Aceh Tsunami Museumといれるとそれだけで風景が一変 日本語の検索ではわからない

チェルノブイリもキリル文字でいれると違った結果が得られる

村人/旅人/観光客

ネットにはだれかがアップロードしようと思ったもの以外は転がっていない。
言葉にならないものを言葉にしようと努力すること

チェルノブイリ博物館
情報の提示だけでなく、感情の操作も必要

旅先で新しい情報に出会う必要はない。出会うべきは新しい欲望

情報はいくらでも複製できるけれども、時間は複製できない

日韓関係については、もはや正しい歴史認識を共有すべきではなく、むしろ「歴史認識に共有できないという認識を共有すべき」だと考えています。

真実はひとつ。けれども言葉ではそこに到達できない。だとすれば、真実を探さないことが合理的であることもありえます。

言葉だけでは争いを止められないということを前提にとして、では争いを止めるためにはどうしたらよいのかに関心をもち考えてきた

ネットは原理的に、「あるひとが検索で辿りついた世界観」と「別の人が検索で辿りついた世界観」を調停できないメディアなのです

現在の世界観に都合のいいように再解釈できてしまう。人間にはそういう力がある。けれども解釈の力はモノには及ばない。歴史を残すには、そういうモノを残すのが一番なのです。

記憶はいくらでも書き換えられる

記憶の書き換えに抵抗するモノを残す

僕たちは検索を駆使することで無限の情報から無限の物語を引き出すことができる時代に生きています。だからこそ、ひとりひとりが、物語と現実の関係について自覚的でなければなりません。情報だけの世界に生きているていると、乱立する物語の中で現実を見失ってしまいます。新しいモノに出会い、新しい検索ワードを手に入れることで、言葉の環境をたえず更新しなければいけないのです。

国民と国民は言葉を介してすれ違うことしかできないけれど、個人と個人は「憐れみ」で弱く繋がることができる。それにこそ21世紀のグローバル社会の希望があると考えています。

タイシルク ジムトンプソン 諜報機関の一員として第二次大戦末期に東南アジアに赴任。終戦後タイにのこって実業家に転身。タイシルクを世界に売りだして成功。最後はベトナム戦争中に失踪

グローバル化の本質はコピー

人生のリソースには限りがある

年齢を重ねると、情報収集のフィルターが目詰まりを起こし、新たな検索ワードを思いつかなくなる

ネットは体力勝負の消耗戦

強い絆は計画性の世界
弱い絆は偶然性の世界

日本人は、会社や町内会などの、自分が所属している狭いコミュニティの人間関係を大切にしすぎ

日本人はとにかく村人が好きです。正社員が好き。ウチとソトを分けて、ウチで連帯するのが好き。
そんな息苦しい環境は無視し、観光客であることを誇りに思いましょう

人生は一度きり。なんども繰り返せるわけじゃない。だから統計には惑わされず、偶然の連鎖を肯定し、悔いなく生きようというのが僕のメッセージです

旅では、ネットには接続するけど、人間関係は切断する

2015/10/18 00:31

投稿元:ブクログ

一気読み!

著者ならではの納得感を誘う語り口だったけど、ただ納得するだけでなく、自分はどうネット検索とつきあっていきたいのか、どんな旅をしたいか(旅をどう活かしたいか)、ついでに福島観光地化を個人的にはどう評価したいのか…落ち着いて再読しないと。

さしあたり、「百聞は一見に如かず。とにかく現場に行くべし」「fbやグーグル検索で情報収集してるだけでいい気になるな」という戒めは心に留めておこう。

2014/08/26 08:35

投稿元:ブクログ

・リアルの経験がもたらす「ノイズ」がネットでの経験をより豊かで予測不可能なものにする。
・無責任な「観光客」として物事に関わっていくことの重要性。

東浩紀氏の論じる生き方は、常に肩肘張らないところがいい。

2014/08/25 03:00

投稿元:ブクログ

SNSや検索の情報フィルター機能により、思考世界がどんどんと狭くなっていく。これをインターネットにより「強いつながり」がますます強化されるということを言っている。これはイーライ・パリサーが『閉じこもるインターネット』でも「フィルターバブル」現象として詳しく批判的に論じたように、多くの人が共通感覚として持っているものだ(と、自分は思っている)。「ネットでは見たいものしか見ることができない」というのは今後の社会分析をする上では非常に重要な認識になるだろう。
著者は、「検索ワード」にその荷を背負わせているが、明らかにネットのつながりを狭く強くする方向に動かしているのは検索ではなくSNSによる情報フィルタの影響の方が強い。そんなことはほとんど自明なように思われるのに、あえて「検索ワード」を「ずらす」ということにこだわる。そこには、「検索ワード」という使い勝手のいい言葉思い付いたなということで、無理につなげてしまう一種の思考上の欺瞞のように思える。フィルターバブルは「検索ワード」が限定されてしまうことにより発生するものではない。それを「検索ワード」とすることによって、議論の正確さが失われてしまうのではないだろうか。

そして、「強いつながり」や「フィルターバブル」からの脱却を「観光」に求めるのはいかにも軽すぎる。「観光」においてのある種の無責任さと一時性がその利点として強調されるが、著者のポジションとしてもそれは軽すぎるのではないか。

著者は、観光客となることについて、次のように5つの心得としてアドバイスしている。
1.無責任を怖れない。
2.偶然に身をゆだねる。
3.成功とか失敗とか考えない。
4.ネットには接続しておく。
5.しかし無視する。

これらのことで何が変わるのかわからない。これはメタファーなのか。

「フィルターバブル」を意識的に破ることが重要だということ。ただ意識をしても日常では実行は難しいので、あえて観光するということで場所を動かすことで実現しようというのがメッセージであるのか。
もちろん、いかに「フィルターバブル」による切断を破るのかというのが思考が果たすべき大きな役割となるのかもしれない。ただ、「観光」はその解なのだろうか、と思う。

「観光」の定義が必要だろうというところで、「観光」- 欲望させるための「観光地化」という論旨が出てくる。
「旅先で新しい情報に出合う必要はありません。出会うべきは新しい欲望なのです」と言う。アウシュビッツも広島も観光地となった。チェルノブイリもそうなっている。福島もそうなるべきだという。それが忘れられないために必要な作法だ、そう言っているように思える。

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著者は、アウシュビッツを学生時代に訪れ、「アウシュビッツについて何十冊の本を読むよりも、強烈なものを受け取った」と言う。それは、あまりにナイーブな「感想」ではないのだろうか。
自分も学生時代にヨーロッパの東欧・中欧を一人旅したが、同じくアウシュビッツに行かなくては、と思い立ったのも理由のひとつだ。著者は1990年代の半ばに訪れたと書いているので、ほぼ同時期にそこへ行ったことになる。ビルケナウにもタクシーで行って、同じように過ごした。そして、自分はそれとは少し違う思いをもった。クラクフの町のレストランで、たまたま駅で一緒になった日本人と「肉は食べづらいなあ」というような会話をしながら結局カツレツのようなものを食べた気がする。強烈な印象を受けなかったわけではないが、それよりも何かを強烈な印象を受けなくてはならないという力を内側から感じた。自分はこの目でその地を見た、その事実ができたことが大事だという気がした。そう思わなくてはならないとも思った。
もしかしたらそれは逆に今では実際に現地に行く必要もなく得られる感覚なのかもしれない。

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この本に対して自分が象徴的であると感じたのは、「ぼくの出発点は、ジャック・デリダという、二十世紀フランスの哲学者の研究です」と書くところだ。つまり、東氏がデリダの研究をしていたことはおろか、そもそもデリダという人が誰だか知らない人を読者として前提していることがわかる。「一回限り「この人生」」や「たったひとりの「この娘」」と書くときに、柄谷行人の『探求II』の「この私」の単独性の議論を意識しているはずだ。正しい正しくないは別にして、読者にそのような読みを要求しない。そもそも「ですます」調だ。言論空間はずいぶんと変わったなと感じた。

福島の「観光化」はひとつのソリューションとしてありうる話だとは思った。ただ、閉じたネットからの脱却が「観光」であるとは思えなかった。

2015/10/26 21:05

投稿元:ブクログ

観光客という立ち位置を楽しみ、環境を変えて、検索ワードを変える旅に出るという内容。
こんなに強い口調だとは思わなかったので、急にこわい人の前に来たような姿勢がよくなっちゃうような気持ちになった。
とにかく環境を変える事で欲する情報がかわり、それによって得られる新たな角度の情報について。でした。
これは北海道旅行をはさんで読んだのでとても面白かった。
旅には前後の長い長い移動があって、その空白が大事なのだと書いてあったけど本当に。その通りだと思った。
本当はSNSを捨てて旅に出るべきなのだろう。
だけどSNSで得られる情報で旅をした事も楽しかった。
とにかく移動しまくること、そのことについて調べる事。
の本でした。
言葉遣いとかは好みではなかったけど、頭のいい人があえて強い口調を選んで書いた本という印象が残った、嫌みのない内容でした。

2017/02/15 15:17

投稿元:ブクログ

インターネットで検索するとその履歴からGoogle等の検索サイトがその人にあった情報を勝手に提供してくる。
結果、ネットから与えられる情報によってその検索している個人が得られる情報は限られる..等々

自分を人生を変えたければ「環境を変えることだ」
与えられた情報で自分を創るのは無く
偶然から..例えば偶然隣り合わせた人が読んでいた新聞の中にとても気になる文字や文章がある..等

環境を変えることで思いがけない発見がある
著者はそれを「ノイズ」と書いていた。

環境を変える最たる物が「旅」時間をかけて移動しその移動時間の中に「ノイズ」を得るための何かが有る..との事。
旅に出ることで環境が変わり、ネットで検索するその検索するキーワードも変わってくる。
例えば福島原発とFUKUSHIMA とアルファベットで検索するだけでも得られる情報は大きく変わるという。

また旅=観光客の立場で「もの」を見ることも面白み(言葉が適当かどうかは一旦横に置く)があるという

付かず離れずの距離感を保ちながら客観的に判断出来、そこに動かぬ「もの」が存在していれば更に心に感情に響く物がありそれはネットで検索して得た情報とは雲泥の差があるという。
旅にかけた時間分、それ以上の重さがあるという。

ネットを否定している訳ではなく、ネットはある項目を掘り下げるツールとしては魅力的だとも書いている。
ただ「ノイズ」が入ってこないとも...

そうなのだ!
焦点を絞って得たい情報と漠とした中から偶然目に飛び込んでくる情報もある。そしてその未知の偶然の情報に心動かされることは少なくない。

著者は「階級」「所属」という言葉を使っていたけれど
ネット検索の履歴からその「所属」に見合った情報で創られて自分なんて まっぴらごめん と思ってしまう。

Googleの予測出来ない検索ワード//
それは環境を変えて..旅に出てみる!そこで新たな視点で検索してみる//ってことかも知れない。

凄い//面白いこと書いてるなーって思ってしまった一冊

凄く読みやすくてサクサク読める。
でもって自分の殻から飛び出すにはやっぱり「『旅だ』と思わせてくれた。

2014/08/15 21:39

投稿元:ブクログ

著者はまず、ネットは強い絆をどんどん強くするメディアであると主張している。そして、弱い絆はノイズに満ちたものである、と。タイトルにもなっている「弱いつながり」は、今の自分の世界にはない要素を取り入れることができる、ネットではないリアルの世界でもたらされる「ノイズ」を指している。Google検索は予測キーワードで個人の世界を強化し、深化させる。けれども、広がりはほとんどない。著者はそれを危惧している。
経験、すなわち検索不可能なことから得られるものは、濃く、インパクトの強いことが多い。著者は本書で、ネットにはノイズがないので、現実世界でそれを見つけるべきだと提案する。その手段のひとつに、旅を例にあげている。そして、本書でそこで得た気付きなどを歴史、そして地域的背景と絡めて紹介している。

本書を読んでうんうん、と肯き、どこか前向きな気持ちになれるひとはとても多いと思う。けれども、それを実践できるか、その先にこの本の存在意義があると思う。気付きはあれども、既に自分で実践していたり、体験していたことが多く書かれていたので新鮮味はそこまでなかったし、「検索ワードを探すための旅ってそもそもどうなの?」とも思ってしまった。とはいえ良書であるに違いないので、多くの人に読んでほしいと思う。

2015/09/14 11:50

投稿元:ブクログ

キーメッセージを実感を持って、馴染みがない読者にもできるだけ誤解のないようにするには、この分量が必要なんだ!というのが読後直後の驚き。わかってもらうというのは、手抜きでは成り立たないのね。普段の自分のコミュニケーションを反省。

必要最低限のフォローも書かれ、北欧家具のようなすっきりした文章も好み。文学的文章ではなくても、文体は書き手を感じる。

旅に求めるものに大変なシンパシー。非日常の時間に身を置いて考える時間、偶然を選び取ること。観光はしてないし一見無駄にみえる旅行中の移動時間、大好き。偶然の出会いや見たもの感じたことから、自分がバージョンアップした感じになる。本屋さんで色々な本を手にとってみるのも、わたしにとって似た意味合い。

個人間の理解共感と、国民としての反発、日々感じるところ。

言葉では解決できない戦いをどうにかして、次のステップに進める方法(経済界では既にやられていると思う) 、この本の内容を試して解決できたらいいなぁと希望の光が見える気がする。
概念(本文中ではメタ)と現実が乖離していく現象、よくITの仕事でデータを見ていると感じる。データはひとつひとつ、実際の人間の活動の結果なんだけど、サマリーしてデータになるとだんだん現実味が薄くなる。サマリーした話で議論すると解決できないことが、1度一件ずつにフォーカスして実感に訴えかけると解決にむかえる。

深い人間関係があれば、弱いつながりっているの?と問われたことがあって、思うところをちゃんと説明できなかったことがあるのだけれど、その時言いたかったことはこれだ!

2014/11/12 21:08

投稿元:ブクログ

「人間は弱く、欲望をコントロールできない。ときに愚かな行動をとる。しかし、だからこそ社会をつくることができる。」

 自由意志をもった主体的な自己というのが文明が理想とする人間像としてあるけれど、著者はそんなものなくて、人間なんて身体に制約された極めて動物的な存在なんだよ、と気持ちのいい諦観とともに自我を否定します。肥大化した自我に囚われている人はそんな言葉に救われるんじゃないでしょうか。
 何故に偶然性に身をさらすのかといえば、体力や精神の老いに対抗するため。夢を実現とかミッションの遂行とか直線的なことではありません。自分が思っているような「かけがえのない個人」なんて者はなくて、私は環境によって作り出された構造的な存在なんだから、自己啓発本を読んでマインドセットすることなく、環境を変えれば私なんて勝手に変わる。その変わった結果としてしか私はありえない。勇気と努力で行動するんじゃなくて、外的なもので行動をせざるを得ない環境に身を置くことが大切ということなんですが、そうなるとやっぱり制度設計の課題になるんだななんて思ったり。
とにかく、海外旅行へ行く動機の内の一つになりました。

2014/12/09 17:34

投稿元:ブクログ

軽く読めて、凝り固まった頭をほぐすのにいいと思う。環境が自分を決めるというのは全く賛成できるわけじゃないけど、そういう部分もあるし、そこで変えたいと思ったら環境をかえるほうが効果的だったりもする。少し行動してみようと思える本。

2015/05/22 12:32

投稿元:ブクログ

柔らかくライトに語られる話題のエッセイですが、現代考察に満ちた「思想」書であり、インターネッツ社会の中での「自由」論であり、その道筋をプラグマチックに語られているところの「指南」書でもあります。
そのキーワードは「観光」。偶然を必然・運命と期待する「自分探しの旅」ではなく、偶然をそのまま偶然の契機として外へ開いていくところの「観光」。受け身であるからこそ肩の力を抜いてオプショナルツアーに参加できる「観光」です。その気軽な観光行程での具体的な「知恵」について語られています。
また著者自らが「自己啓発」書の体裁と言っているようにある種のTipsでもありますが、重要なのはこの体裁含めて態度の「軽さ」です。この「軽さ」は軽率さ安易さではなく、本人が気づかないままの重力に囚われないところの「軽さ」であり、世界に対して開けっぴろげに受け身であるところの「軽さ」です。
しかしながら、偶然にやってきた「弱い繋がり」の「その「弱さ」こそが強い絆よりも強いものなのだ」という著者の逆説は「敢えて」のポストモダニストの風貌ではもはやなく、40代の家族の中の父であり組織を動かす社会人であるところの、一人のリアリストからの腹の底からの述懐に聞こえます。

著者の今後の道標をつける重要な書ではないでしょうか。

2014/09/25 01:28

投稿元:ブクログ

渋谷の文教堂にて平積みにされているところを発見。
タイトルに少し惹かれるものがあり、軽く立ち読みしてみました。
著者が高校の先輩であること、大学の授業で読んだ「動物化するポストモダン」の作者であることが分かり、軽い運命的なものを感じて購入してみました。
結論から言うと1300円の価値はなかったかな……。

以下、本の核心に迫る内容につき。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

内容的にはそこまで濃くない、というか、薄いです。
ですが、ある一点において大変勉強になりました。本書で私が得た教訓は
「人生にノイズを混ぜよ、その為に弱いつながりを大切にせよ」
この一言(二言?)に尽きるかと思います。

本書は元々が「福島第一原発観光地化計画」を推進している著者が、
その計画を背景として彼の哲学を展開している、そんなお話です。
正直、本筋がかっちり有るわけではなく、論も色々な方面を転々としており、
著者が語りたいことを語りたいように語っている、そんな印象です。
著者が賢すぎて、その頭の中の点と点を結ぶ線を描けていないのかもしれないですが。

ただ、そんな中でも、上述の教訓についてはとても納得がありました。
>「かけがえのない個人」などというものは存在しない。
>ぼくたちが考えること、思いつくこと、欲望することは、
>たいてい環境から予測可能なことでしかない。
>あなたは、あなたの環境から予想されるパラメータの集合でしかない。

ネット時代の現代では、検索結果は自分が見たいと思っているものしか出てこない。
Google検索の結果、人々はコンピュータによって想定されるような方向性にしか進んでいかない、ということです。
これはとても興味深く、納得出来るものでした。全ては環境が規定する、っていうあれですね。
そして、それを打破する為の手段が、上にも書いた「人生にノイズを混ぜよ」です。
自分の人生にノイズを混ぜるのに有効な手段は、「弱いつながり」であると本書は論じています。
旅に出る・自分の場所を変えることで、様々なノイズを自分に蓄えよ、と。

自分自身に置き換えてみると、確かにその通りだという納得感があり。
#私事ですが、今年は今まで触れたことがない様々な場所(ボイトレやらエステやら演劇やら)に触れ、
#自分の人生に今までに無い広がりを感じることができたことを思い出しました。
弱いつながりを沢山作って、弱いなりにソレをどうやって維持していくか?
これを考えることが、人生を豊かにすることに繋がっていくのだろうな、と感じました。

2015/06/29 13:45

投稿元:ブクログ

一気に読んだ
とてもわかりやすく描かれている。
どこにも属してない浮遊しつつ足が着いたスタンスというかその姿は惹かれるものがある。
より深くネットに潜るためにリアルを変える旅。憐れみで弱くつながっているなど新しい視点と感覚。あとは言葉にできず自分の中でやんわりとあったものは言葉にされた感じがあるのはソーシャルメディアのところ。

2014/11/04 22:44

投稿元:ブクログ

2014年7月初版
東浩紀 著
==

今は何でも「検索」出来る時代。しかし検索は異なるワード、
表現をすれば出てくる結果は全く違うモノとなる。
検索ワードは自分が得た経験や発想からしか生まれない。
環境を意図的に変えることでしか、自分の発想は変わらない。
旅を通じて自分にノイズを入れ、検索ワードを自分の言葉に変えていくことが大切なのでないか。

そんな内容です。
個人的には共感する部分がとても多い一方で、自分も完全にここで語られる問題に当てはまるなあと感じるわけです。必要なのは、やっぱり勇気とアニマルスピリットなのかもしれない。

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