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低地(CREST BOOKS)

低地 みんなのレビュー

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みんなのレビュー33件

みんなの評価4.5

評価内訳

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33 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

喪われたものに

2014/09/16 10:48

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:abraxas - この投稿者のレビュー一覧を見る

同じように丸く明るく空に輝いても太陽と月はちがう。遍く人を元気づける太陽に比べれば、月の恩恵を受けるものは夜を行く旅人や眠れず窓辺に立つ人くらい。健やかに夜眠るものにとって月はあってもなくてもかまわないものかも知れない。カルカッタ、トリーガンジに住む双子のような兄弟、スパシュは月、ウダヤンは太陽だった。よく似た顔と声を持ちながら、独り遊びの好きな大人しい兄に比べ、一つ年下のやんちゃな弟は人懐っこく誰にも愛されて育った。

時代は1960年代。アメリカがベトナムを爆撃し、チェ・ゲバラが死に、毛沢東が文革路線へと走り、紅衛兵の叫ぶ「造反有理」のかけ声の下、世界中に学生運動の嵐が吹き荒れた。二人が住むカルカッタの北方、西ベンガル州ダージリン県にあるナクサルバリという村でも共産主義の活動家による武装蜂起が起きた。何が人の運命を左右するかは分からない。その地方にも稀な秀才として市内の大学に通っていた二人の運命はそれを境に二つに分かれ、二度と出会うことはなかったのだ。

海洋化学を専攻する兄はアメリカ留学の道に、弟は教師となり家に残ったものの、家族の知らぬ間にナクサライトの一員として革命の道を歩いていた。ロードアイランドの下宿屋に弟の死を告げる電報が届いたのは1971年。アメリカに来て三年経っていた。身重の妻を独り残し、弟は官憲の手により殺されていた。帰国した兄は弟の子を身ごもったガウリをアメリカに連れ帰り、自分の家族とする。やがて娘ベラが生まれるが、妻は頑なに心を開かず、育児より自分の研究を優先する。ある日、妻は娘を残し家を出、そのまま帰ることはなかった。スパシュはベラを男手一つで育て、困難もあったがベラは逞しく育つ。ベラが身ごもったのを知ったスパシュは今まで秘していた事実を告げるが…。

すぐ下に誰にも愛される弟を持った兄の気持ちが痛いように分かる。両親の愛も周囲の賞賛の声も弟の方に集まることを、兄は羨むでもなく自然に受け止め、自分ひとりの世界にふける。誰も追わず、入り江のように孤独に、波が運ぶ漂流物のような人や愛を受け容れる。弟の愛は分け隔てなく、恵まれぬ者、貧しい者にそそがれるが、かえって自分の近しい者はなおざりにされる。兄はそれを拾うようにして自分の近くに置くが、相手は弟の喪失を嘆くあまり兄の愛に気づかない。なんて哀しいのだろう。いちばん弟を亡くしたことを悲しんでいるのは兄なのに。

淡々とした筆致で綴られる文章は、章が変わるごとに母や妻の視点が現われては、魅力的な弟の在りし日の姿を回想し、読者の前に広げてみせるので、読者がスパシュの傍に立って相憐れむことを許さない。社会正義は弟の側にあり、母親から見れば故郷を捨て、望まれもしない弟の嫁と再婚をする息子など弟の比ではない。すぐ近くにいて、ウダヤンの思想と行動力に影響を受けた妻にしてみれば、善人ではあるけれど、自分と家族のことしか念頭にないスパシュは物足りない。

疾風怒濤のような時代に、大西洋を間に挟み、東のカルカッタと西のロードアイランドを行き来しながら、主人公の眼や耳がとらえるのは、日没の入り江に立つ鷺の姿であったり、屋根を打つ雨音であったり、とあまりにもデタッチメント過ぎるようにもみえる。二人の兄弟はコインの表と裏。二人で一つだった。いつも弟に付き従うように行動していた兄は、独りでは半身をもがれた生き物のようなもの。喪失の重さを人一倍感じていたにちがいない。物語の終盤、事態が一気に動き出す。喪われたものは、贖われることで、報いをもたらすのだろうか。余韻の残る終幕に静かに瞑目するばかりである。

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2014/09/27 14:33

投稿元:ブクログ

あとがきより。
「では、最新の『低地』はどうなのかというと、アメリカにわたる家族のドラマという点では従来の延長にあるのだが、それより前にインドにおいて家族の崩壊があったという意外な発端から話が始まる。ラヒリの作品世界が時間をリセットして、いままでの読者が知っていたラヒリ・ワールドの始まりよりも前に戻ったと言えるだろう。この最新作を着想したのは1997年だと著者自身が言っているので(サロン・ドット・コムとのインタビュー)なんと作家としてのデビュー以前から16年も温めていたことになる。」

「いままでに訳した四冊の中では、今回が最も吹っ切れた作品という感想を私は抱いている。読後感ならぬ訳後感というようなものだ。親世代から受け継いだ話の種を、大きく自由自在に育てている。ここまでくれば「翻訳家」の性質が薄らいで、もはや「フィクション・ライター」としか言いようがない。過去に取材をするくらいは作家としては当たり前で、たとえ親から仕入れたコルカタ産の種を使ったとしても、だからといって「インド系作家」というような分類をすることには、たいして意味がなくなったと思える。」

うん、確かに!
親と自分の人生をなぞる物語の延長線上にありつつも、創作的な部分が増したというか、フィクションとしての、小説としての読み応えがある。
現代の、家族の物語。
愛し合って結婚したのに、子が生まれる前に夫が殺される。
その兄と形だけの結婚をする。夫と娘をおいて一人家を出る。
娘は親を反面教師として結婚という形を選ばなかった。しかし娘を生む。

男が死んだり去ったりしても、女が生き残れば命の連鎖は続いていく。そのことに改めて思い至り、妙に感動した。

2015/10/21 18:55

投稿元:ブクログ

ラヒリは、邦訳されてすぐということはないが、必ず読むと決めている。ひとつはラヒリの文章を訳すのにはこの人以外いないのでは、という小川さんの翻訳を味わうためでもある。

それはさておき、ラヒリらしく、そしてまたラヒリらしからぬ、小説であった。彼女の小説はこれまで米国で暮らすインド移民もしくはその子たちが主人公で、自分のいるところが「自分の土地」とは言い切れぬ、なんともいえない寄る辺なさが常に漂うものである。本作も然り。ただ、今回、前半は米国に渡る前のインドを舞台に、兄弟がそれぞれの選択をしていく過程が丹念に描かれていた。
いつも「祖国(であるはずの)インド」が亡霊のように肩に乗っているのを感じながら過ごす人たちが出てきていたが、今回は、ある意味でほんものの亡霊(死者)とともに過ごす人たちだ。
一見、飄々と、またたくましく生きているように見える人たちそれぞれに何と多くのドラマがあることか。
ところで、本筋とは関係ないのだが、ラヒリの小説を読むと、鷹揚に外国人もしくは他人を受け入れているように見える米国人の存在を感じる。さすが移民の国なのだな。在日のインド人たちは、こうはいくまい。

2014/10/01 22:03

投稿元:ブクログ

ジュンパ・ラヒリを読む継ぐということは、待つ、ということだ。「停電の夜に」から十五年。十五年で四冊は寡作と言ってよい程に少ない。しかし数年毎に出るフランス綴じの持ち重りのする一冊は、本の佇まいが凛々しく感じられる程に存在感があり、頁を繰る前から読むものを自然と引き寄せる。一気に読んでしまいたいとの欲求も一瞬頭をもたげるが、一頁、一頁、ゆっくりと捲り、一文字、一文字、丹念に言葉を拾って読みたい気持ちが勝り、いつまでも厚手の本の中程をうろうろすることになる。期待は裏切られることがない。

これまでも一貫して描いてきた移民とその家族の物語。故郷を離れた親の世代が新しい約束の地で感じる疎外感と、その子供たちが感じる二重に切り離された思い、そんなものがこれまでのジュンパ・ラヒリの描いて来た世界だが、それは作家の中に生まれつき存在する視点、つまりは子の世代から見た家族の物語であったのだと、この本では改めて気付かされる。子から見て、親の世代の疎外感は仮の住まいに於ける、いわば借り物の疎外感であり、祖国に戻れば解消されるものでしかない。彼らには戻るところがある。一方で自分たちには帰属する場所や否応なしに受け入れなければならない慣習すらない。そんな葛藤がこれまでの作品には常にくすぶっていたように思う。しかし「低地」における主人公はそんな二世たちではなく、移民となることを選択せざるを得なかったものたち。親たちの世代もまた母国と異郷の地の二つの強い陰影の中でやはり二重の葛藤をしてきたのだということが語られている。

ひょっとしたらジュンパ・ラヒリの創作活動の原点には、押し付けられた疎外感の理不尽さに対する強い思いがあったのかも知れない、と思う。それを言葉にすることでそれを押し付けた親の世代に対して間接的に抗議する思いが幾らかはあったのではないかと。一方でその矛先には真に打ち倒すようなものは存在しないことも解っていた筈だ。「低地」で描かれたものは、そんなある意味での自分のルーツ探しの答えのようなもの、完全解決は出来ないけれど、答えは過去にではなく未来にあるというメッセージ、あるいは赦しであるように思う。それ故に、幾つかのエピローグ的な文章は、どこかしら予定調和的であるのだろう。

十五年で長篇と短篇が各々二冊。但し「停電の夜に」の印象が強烈過ぎて、ジュンパ・ラヒリはどうしても短篇の人という印象が拭い切れない。この「低地」も長篇との位置付けだけれど、むしろ連作短篇の趣があると感じるのは穿った見方だろうか。もちろん、全体を繋ぐ関係性は強く、長篇小説を読み通す時の面白さは充分に感じられることも確かだ。しかし心地の好い分量の文章毎に切り分けられた一つひとつのエピソードは、自己完結することを志向するようにも読める。一つのエピソードをそう読んでしまうと、エピソード間の関係性は必然ではなくなり、語られなかったエピソードの背景を別の章で読んでいる、という位に、文章の塊の間の関係性は緩くなる。そのように読めば、やや曖昧で予定調和的なエピローグにも過度に違和感を覚えたりすることはない。

あとがきに、ジュンパ・ラヒリの次回作はこれまでとは趣の異なるものになりそうだとある。どんな物語が紡がれるのか、旨いものを出す店で次の一皿にどんな料理が盛られているのかを期待をしながら想像するようにして、待つ。

2014/11/07 23:54

投稿元:ブクログ

死者は生者が生きている限り、共に生き続けるのだろう。
静かな緊張が少し居心地悪く読みづらさがある反面、映像のような臨場感があり、香辛料の色やにおい、トリーガンジやロードアイランドの風景をそこに感じる。この圧倒的な描写に彼女の良さが凝縮されている。

2014/10/27 20:07

投稿元:ブクログ

まるで映画を見ているよう。視点を変えて繰り返し語られることによって、立体的になってくる場面場面。スローモーションのようでいて、二度とやり直しのきかない人生の厳しさがひしひしと伝わってくる。翻訳も相変わらずいい。ドライでもウェットでもない距離感が。

2014/10/26 16:43

投稿元:ブクログ

「停電の夜に」以来、気になっている作家のジュンパ・ラヒリさんの新作です。
今回は長編で、それも3世代にわたる物語です。とはいえ、重々しい年代記ではなく、もっと静かに物語が進んでいきます。ラヒリさんの作品に繰り返し現れる、集団の中での疎外感も描かれていて、それが物語にいい意味での緊張感を与えています。
期待していた作家が、期待以上の凄い作品を発表してくれて、なんだかうれしくなってしまいました。

2015/02/09 20:17

投稿元:ブクログ

最後にざああっと分かるんだよ、彼女がどうして子供に愛着を持てなかったのか。(レビューちゃんと書きたい)

2016/04/13 12:52

投稿元:ブクログ

トリーガンジの低地で生まれ育った二人の兄弟、スバシュとウダヤン。
慎重な兄と快活な弟。対照的な性格の二人は、互いを支え合い信じ合う強い絆で結ばれていた。
やがて、ウダヤンは革命運動にのめり込み、スバシュはアメリカの大学へ。
ある日、スバシュのもとにウダヤンが死んだという知らせが届く。死んだ弟には残された妻がいて、その体内には新しい命が宿っていた。

死んでしまった青年の影を背負いながら生き続ける、残された家族たち。
彼の声、彼の面影、彼のいた土地――すべてが忘れ難い思い出であり、呪縛であり、よりどころでもある。

舞台はインドでありアメリカでありながら、人物の内面描写が巧みで、なおかつ客観性も保っていて、充分に感情移入できます。
死んでしまった人を想いながら、現実の時間軸で生きていく人間の弱さと身勝手なほどのたくましさ。
その人生をまるごと見せてもらえたような、贅沢な読書の時間でした。

2015/06/23 22:26

投稿元:ブクログ

ラヒリはデビュー作において完成度の高い作品を書いていた。
そして この最新作 「低地」において

より複雑な話を 深く 丁寧に また 時間も 空間も 視点も あちこち 飛びながら 一枚の布を丁寧に織り上げる筆力をみせてくれた。

人は 様々な ものに助けられ 影響され 生きていく。
それらは生きるよすがである。


ある人にとってはとても大事なよすがが 別の人には
害毒でしかなく。 また 好意は 受け入れられるとは限らない。

本書は 60年代の インドの学生運動を物語の背景にし
70年代の アメリカ東海岸を舞台として
人生の意味について丁寧に描いてくれる。

おそらくラヒリがそうだからと思われるが
そこそこ賢い人ばかりが描かれる。

大学をでて 研究をして という人たちである。

その人たちが人生をもがきながら生きる。

本の知識と 実生活は 全く関係がないわいけではないが

生活や人生を決定したりはしない。

ラヒリはこのような小説を書くという思考実験を通じて

人間について理解しようとしているのだろう。

そして 読者はそのラヒリに導かれれて 作品世界を歩く。

読むとく行為がこの上なく心地よい。

読み終わるのがもったいなく感じられるほど 堪能した。

次回作が待ち遠しい。

2014/10/22 21:52

投稿元:ブクログ

淡々とした文体を味わいながら、とても濃密な時間を過ごすことが出来ました。ラヒリの作品は、特に読後感が他の作者と違って、何とも言えない満足感、充実感を残してくれます。ラヒリ中毒とでも言いますか。

2016/09/27 09:30

投稿元:ブクログ

生と死、家族と愛、思想と生活。これらを上手く織り交ぜながら、静謐な筆致で進めるストーリー。
福永武彦の「忘却の河」の国際化版と言ったイメージの佳作。

2014/12/04 16:47

投稿元:ブクログ

丁寧な感情の表現、読みごたえがあった
歴史的事件が大きく関わっているので
それについても知りたいと思った
また読みたい

2014/09/16 10:32

投稿元:ブクログ

同じように丸く明るく空に輝いても太陽と月はちがう。遍く人を元気づける太陽に比べれば、月の恩恵を受けるものは夜を行く旅人や眠れず窓辺に立つ人くらい。健やかに夜眠るものにとって月はあってもなくてもかまわないものかも知れない。カルカッタ、トリーガンジに住む双子のような兄弟、スパシュは月、ウダヤンは太陽だった。よく似た顔と声を持ちながら、独り遊びの好きな大人しい兄に比べ、一つ年下のやんちゃな弟は人懐っこく誰にも愛されて育った。

時代は1960年代。アメリカがベトナムを爆撃し、チェ・ゲバラが死に、毛沢東が文革路線へと走り、紅衛兵の叫ぶ「造反有理」のかけ声の下、世界中に学生運動の嵐が吹き荒れた。二人が住むカルカッタの北方、西ベンガル州ダージリン県にあるナクサルバリという村でも共産主義の活動家による武装蜂起が起きた。何が人の運命を左右するかは分からない。その地方にも稀な秀才として市内の大学に通っていた二人の運命はそれを境に二つに分かれ、二度と出会うことはなかったのだ。

海洋化学を専攻する兄はアメリカ留学の道に、弟は教師となり家に残ったものの、家族の知らぬ間にナクサライトの一員として革命の道を歩いていた。ロードアイランドの下宿屋に弟の死を告げる電報が届いたのは1971年。アメリカに来て三年経っていた。身重の妻を独り残し、弟は官憲の手により殺されていた。帰国した兄は弟の子を身ごもったガウリをアメリカに連れ帰り、自分の家族とする。やがて娘ベラが生まれるが、妻は頑なに心を開かず、育児より自分の研究を優先する。ある日、妻は娘を残し家を出、そのまま帰ることはなかった。スパシュはベラを男手一つで育て、困難もあったがベラは逞しく育つ。ベラが身ごもったのを知ったスパシュは今まで秘していた事実を告げるが…。

ジュンパ・ラヒリの最新長篇小説である。それだけの情報で、読む前から期待が高まる作家というのも、そうはいない。その名を一躍有名にした『停電の夜に』以来、『その名にちなんで』、『見知らぬ場所』と、短篇、長篇という枠に関係なく、どの作品も期待を裏切ることはなかった。そして、本作。両親が生まれたカルカッタと、作家自身が育ったロードアイランドの地を主たる舞台にとり、双子のようによく似たベンガル人兄弟と、その家族の半生に渡る人生を描いている。喪失とそれによる孤独からの回復を、静謐な自然描写と精緻な心理描写で描いてみせ、長篇小説作家としての資質を今更ながら明らかにした。著者の代表作になるといっていいだろう。文句なしの傑作である。

すぐ下に誰にも愛される弟を持った兄の気持ちが痛いように分かる。両親の愛も周囲の賞賛の声も弟の方に集まることを、兄は羨むでもなく自然に受け止め、自分ひとりの世界にふける。誰も追わず、入り江のように孤独に、波が運ぶ漂流物のような人や愛を受け容れる。弟の愛は分け隔てなく、恵まれぬ者、貧しい者にそそがれるが、かえって自分の近しい者はなおざりにされる。兄はそれを拾うようにして自分の近くに置くが、相手は弟の喪失を嘆くあまり兄の愛に気づかない。なんて哀しいのだろう。いちばん弟を亡くしたことを悲しんでいるのは兄なのに。

淡々とした筆致で綴られる文章は、章が変わるごとに母や妻の視点が現われては、魅力的な弟の在りし日の姿を回想し、読者の前に広げてみせるので、読者がスパシュの傍に立って相憐れむことを許さない。社会正義は弟の側にあり、母親から見れば故郷を捨て、望まれもしない弟の嫁と再婚をする息子など弟の比ではない。すぐ近くにいて、ウダヤンの思想と行動力に影響を受けた妻にしてみれば、善人ではあるけれど、自分と家族のことしか念頭にないスパシュは物足りない。

疾風怒濤のような時代に、西欧の地図で見るごとく大西洋を真ん中に挟み、東のカルカッタと西のロードアイランドを行き来しながら、主人公の眼や耳がとらえるのは、日没の入り江に立つ鷺の姿であったり、屋根を打つ雨音であったり、とあまりにもデタッチメント過ぎるようにもみえる。二人の兄弟はコインの表と裏。二人で一つだった。いつも弟に付き従うように行動していた兄は、独りでは半身をもがれた生き物のようなもの。喪失の重さを人一倍感じていたにちがいない。物語の終盤、事態が一気に動き出す。喪われたものは、贖われることで、報いをもたらすのだろうか。余韻の残る終幕に静かに瞑目するばかりである。

2015/11/14 19:13

投稿元:ブクログ

やっぱりジュンパ・ラヒリはすばらしい。長編で、すごく読みごたえがあった。満足。わたしはこういう長い話が大好きだ。まさに人生そのものが描かれているというか。
人生、って、自分の思いどおりに生きなきゃいけないとか、楽しく生きなきゃ損だとか、過去にとらわれずつねに前向きに、とかいろいろいわれるけれど、実際は、そういうものでもない、どうしようもないこともある、ということがわかるような。なんだか人生について考えさせられた。スバシュもガウリも、まったく思いどおりの人生ではないし、楽しくも生きてない。過去に、死者にとらわれて、悲しみばかり。それでも人生は続く。
とくにガウリについて、じゃあ、どうすればよかったのか、と思うけれども、どうしてもああいう生き方しかできなかったんだろうな、と。

それと、だれも感情や思いをあらわにしない。自分の思いをのみこみ、人にも尋ねない。なぜ?ときかない。わかりあえない。それでも人間関係は生まれるし、やっぱり人生は続く。
せつなくて苦しい話だけれど、スバシュやガウリの、もがかないというか、なるようになるしかないとでもいうような、淡々とした生き方がいっそ潔いというか、ここちいいような気さえして。
でも、ラストにそれぞれ少しの希望が見えるところがすごくよかった。救われた気がした。

短くて淡々としたような文章がすごく美しくて。インドのトリーガンジやアメリカのロードアイランド、カリフォルニアの風景や季節の描写がすばらしい。

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