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共感的傾聴術 精神分析的に“聴く”力を高める

共感的傾聴術 精神分析的に“聴く”力を高める みんなのレビュー

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2015/01/09 14:51

投稿元:ブクログ

☆5(付箋41枚/P297→割合13.80%)

分析の理論は、傾聴する時にカウンセラーが共感できる幅を増やすためにあるという著者。後半2/3くらいは事例とその解説が占めるのですけれど、応答に使う言葉でこんなに共感できている、いないと分かるものなのか(共感できていれば、クライエントの話しが深まる)、と驚きました。
転移と逆転移に関しては、実感的に理解することが難しいと感じるのですが、少し馴染めてきた気がします。


・わたしが、「受容と共感だけじゃダメだ」とか、「受容と共感をしているのにカウンセリングがうまくいかない」と言う専門家からの来談者の事例について教えてもらうと、ほぼ毎回思うことがあります。それは…。
「共感しているけど来談者が良くならない」のではなく、「共感できていないから来談者が良くなっていない」ということです。

・傾聴の学びにおいて、「アドバイスをしてはいけない」「答えを教えてはいけない」というルールがあるような教え方や、学び方をする人がいます。「来談者自身が答えを見つけることがカウンセリングだから」ということです。しかし、わたしはそのような教え方、学び方は好きではありません。カウンセリングの本質を外しているからです。「アドバイスをしてはいけない」「答えを教えてはいけない」というルールがあらかじめあるわけではありません。そのようなルールは、カウンセラーを不自由にしてしまいます。もし、アドバイスをしたり答えを教えたりすることが来談者に役立つなら、どんどんするべきです。
そうは言っても、わたし自身は、来談者にアドバイスをしたり教えたりすることはほとんどありません。正直に言うと、日本で開業心理臨床をして10年以上になりますが、その間に来談者にアドバイスをしたことが三度あります。そのすべてが当時のわたしの援助能力を超えた来談者で、いずれのセッションも中断しました。

・グリーンソンは、精神分析家が来談者の感情を受け止め共感できるのは、精神分析家が感情の量ではなく、質を共有するからだと述べています。たとえば、赤ちゃんが苦痛で泣くのを見て、お母さんが赤ちゃんを抱きあげ「よしよし」となだめるとき、お母さんは赤ちゃんの苦痛を想像し、味わい、あたかも自分自身の苦痛のように感じ取っています。しかし、お母さんは赤ちゃんほど強く苦痛を感じているわけではありません。もし、お母さんが赤ちゃんと同じように激しい苦痛でパニックになったのでは、適切な世話はできません。

・たとえば、ある来談者が「人間は変化を怖がるものだと心理学の講演で聞きました」と述べたとします。彼がその言葉で表現しているのは、変化することへの彼自身の恐怖であり、より具体的には、「こころに耐えがたい感情や衝動や考えがあるが、それらに直面するのは怖すぎる」という思いかもしれません。また、「自分のそんな感情・衝動・考えを話したら、カウンセラーから悪く評価されたり、嫌われたり、攻撃されたりするかもしれない」という恐怖かもしれません。そこには、「受け入れがたい感情・衝動・考えを話して共感的に理解され、受け入れられ、軽くなりたい」という��いと、「話すのは怖すぎる」という思いの両方があります。その両方を共感的に理解し、そういう矛盾を抱えて苦しんでいる来談者をありのままに受け入れることができるほど、来談者はいっそう深い思いを感じ語ることができ、来談者のこころが開放される過程が進みます。
そのような状況の来談者について、カウンセラーが「あの来談者は良くなりたくないんじゃないか」と話すのを聞くことがあります。そういった発言をするカウンセラーには、共感も無条件の受容も欠如しています。すべての来談者が(そしてそのカウンセラー自身も)、「良くなりたい」という思いと、「でも良くなるために必要な探究と直面は怖くてできない」という思いの、両方を持っているものです。

・ミラーニューロンが発見されたサルの脳のF5領域は、運動野です。人間の脳ではそこはブローカ野にあたり、やはりミラーニューロンが存在しています。ブローカ野は運動言語中枢であり、そこにミラーニューロンが分布することによって、幼児はお母さんの口の動きをまねて言語を習得することが可能になっています。
ミラーニューロンの分布において人間がサルと異なるのは、人間の脳の場合は、前頭葉にある、意図やある種の感情に関わる部分にもミラーニューロンが分布していることです。つまり、人間の場合はミラーニューロンが、他者の感情を自分のことのように理解する共感に関係しているのです。

・なぜカウンセラーは、来談者の苦しみを眼の前にしても、ネガティブな感情を引きずらないのでしょうか。それは、カウンセラーとして働いていると他者の幸せを願う気持ちが繰り返し強化されるため、ちょうど思いやりトレーニングを受けた参加者のように愛や思いやりの感情が深くなり、それに関わる脳機能も活性化するためかもしれません。来談者の苦しみに触れると、辛さよりも愛と優しさの気持ちが引き出されるのです。

・来談者のほとんどが根深い劣等感に苦しんでいます。彼らは、「もっと人に認められれば劣等感から解放される」とか、「もっと成功すれば(または収入が上がれば、人気者になれば、素敵な恋人ができれば、好成績や高学歴を得れば、楽しくなれば、など)劣等感から解放される」と信じ、強迫的な努力を行っています。そして彼らは、自分が劣等感を感じるのは「あの人ほど仕事の成果が出せなかったから」「自分の学歴が低いから」「あの人ほど美人じゃないから」など、特定の行動や結果のせいだと信じています。しかしそれらは本当は、いつもこころの底にある劣等感が刺激されるきっかけにすぎません。
劣等感の本当の源は、親の無条件の愛情を実感できず、「有能じゃなければ(優しくなければ、かわいらしくなければ、など)お父ちゃん、お母ちゃんは、ぼく・わたしを認めてくれない」と感じたこころの痛みなのです。

・わたしたちが本当にこころを開いて自由に話をするとき、話の脈絡は飛び、順序も一貫しません。自分のことを話していたと思えばほかの人の話になり、昨日の話をしていたかと思えば来週のことを話したり、事実を説明していたかと思えば感情を語ったり、あることがらについて話手は違うことがらに話題が移り、饒舌に話すときもあればときどき間をとったり…、という具合です。���ですから、その反対の、次のような行動はすべて抵抗の表れです。
○現在のことばかりを話し、過去の辛いことについては語らない(またはその逆に現在の状況、苦しみを語らない)。
○自分のことばかりを話し、配偶者のことや親のことなど、重要な他者については語らない。または、語ってもごく短く表面的な話ししかしない(またはその逆に自分の感情や行動を語らない)。
○自由な連想に沿って語るのではなく、順序良く正しい筋道で話そうとする。ときには、話すことを紙に書いて持参し、それに沿って話す。
○沈黙がなく話し続ける(または沈黙がやたらに多い)。
○感情が先走るばかりで、何が起きたか、誰が何を言ったかなど、具体的な事実について分かるように語らない(または出来事の説明ばかりで感情を表現しない)。
○特定のことがらばかりにこだわって話し、話題が広がらない(または話題が次々変わり、どのことがらについても詳しく分からない)。
これらはすべて、来談者が何かを避けているときです。つまり、来談者のこころのなかで抵抗が働いているために、本当に重要なことを話せていないときなのです。

・転移反応の特徴すべてに共通する根本的な要素は、その不適切さにあります。不適切さの例として、ある先生に恐怖を感じ、その先生を避けようとする大学生、あやねさんを取り上げましょう。もしその先生が短期で意地悪で、学生をすぐに叱りつけたり嫌味を言ったりするなら、あやねさんがその先生を嫌がるのは現実的な藩王でしょう。しかし、もしあやねさんが、教師だという理由から恐怖を感じたりさけたくなったりするなら、それはその先生の性格に現実的に反応しているのではなく、おそらく過去の大切な誰かに感じた気持ちをその先生に置き換えたものでしょう。逆に、意地悪な先生に対して怒りや避けたい気持ちが湧かなければ、それもおそらく転移反応でしょう。

・彼らの幼いことからの愛情飢餓が、現在の他者によって本当に満たされることはあり得ません。ですから、その慢性的な飢えが強い人ほど、「もっと、もっと」と求めるようになります。彼らは愛情飢餓と空虚感の苦しみを一生懸命に抑えようとしながらも、ウツウツとした思いをいつもこころに感じながら生きてきたわけです。そしてそれがガッと表面意識に出てきたときには、「24時間くっついていても、彼らの激しい飢えは満たされない」とさえ感じるかもしれません。
…ですから、幼少期に拒絶され傷ついた人の飢えを、現実の人間関係によって満たすことは不可能です。それゆえ、彼らは現実の人間関係において必然的に、「拒絶された、見捨てられた」と感じる経験を繰り返します。

・転移の両価性の例として、英語の先生に好かれようと一生懸命に勉強する生徒について考えてみましょう。その生徒は、意識上では先生のことが好きですが(陽性の転移感情)、その裏には、「先生は成績優秀な生徒しか受け入れない拒否的な人間だ」という陰性転移の近くが潜んでいます。

・念のためにお伝えしますが、わたしが今述べたことを逆に取って、「お母さん、ご自分を責めてはいけません。他人を求めることも必要です。どうぞ思う存分お子さんについての不満をおっしゃってください」と来談者に伝えることも、こころの援助にはなりません。来談者がその働きかけに合わせて子どもについての不満を話したとしても、「カウンセラーは子どもへの不満を話してほしいんだ」と思って話しているわけで、“良い来談者”を演じているのです。これもやはり、来談者がより自由になり、自分自身をより信頼するようになる、真の建設的な変化が生じる過程ではありません。
ロジャースはこれについて、「感情を感じても安全ですよ、などと教えれば教えるほど、本当に意味があって自分の実感にぴったり合うような学びは生じにくくなる」と述べ、さらに、「カウンセラーにできるのは、真に意味のある学びが可能になる条件を作ることだ」と述べています。

・わたしがカウンセリングを受けていたとき、「カウンセリングに絶対に遅刻してはならない」と思っている自分に気づいたことがありました。そのことについて語るうち、わたしの母が時間に遅れるのをひどく嫌ったこと、そしてわたしが遅れたときに厳しく叱られたことを思い出しました。また、時刻に遅れると「カウンセリングに抵抗している」とカウンセラーに思われるのではないかと考え、それが嫌で、「抵抗をしない良い来談者」になろうとしていたことにも気づきました。これは「カウンセラーに好かれたい」という依存的な陽性転移です。そして、そんな転移を起こさざるを得ない、わたしの幼いころからの愛情飢餓のもととなった出来事などについて、理解的で共感的なカウンセラーに語りました。
同じく大切なことですが、そのときわたしは、「カウンセラーに弱点を見せて嫌われたくない。カウンセラーから『心理的に健康な人だ』と思われたい」という気持ちを、その場でありありと感じながら語ることができました。転移反応を行動化するのではなく、カウンセリング中に言葉で表現できたのです。

・転移反応を起こす来訪者にカウンセラーがしても無益なことの一つは、転移反応について教えようとすることです。理屈で理解したところで、転移を起こさざるを得ない心の痛み、空虚感、怒り、憎しみなどはまったく解決されません。かえって、自分の転移反応について理屈レベルで納得してしまうと、転移感情を感じることも語ることもしづらくなり、解決から遠ざかることがあります。

・「役に立たない」と佳子さんが文句を言ったのは、カウンセリングが展開して彼女に陰性転移が生じ、それをわたしに直接語ることができた、ということだったのです。わたしはそれが分からず、「少しも良くなっていない」と言われてあわて、焦り、不安定になりました。
わたしが不安定になったのは「有能なカウンセラーとして人の役に立てなければ、自分はこの世に存在する価値がない」という信念があったためでした。そんな信念が自分の奥深くにあることを実感したのは、それから何年も経て、わたし自身がカウンセリングを受けているときでした。もしもわたしがあのとき、「今のありのままの自分で価値があるし、存在していいんだ」ということを当たり前に深く納得していれば、動揺は少なかっただろうと思います。わたしがあのとき不安になった原因は、「カウンセリングがうまく展開したので陰性転移が表現された」という理論的な理解がなかったことと���わたし自身のこころの傷に根ざす自己無価値感の二つでした。
…佳子さんに必要だったのは、苦しみを取り去ってくれないわたしに対する彼女の不信感と苦しみを十分に表現できる場を提供され、不信感をわたしに共感的に受け入れられることでした。それが高い程度にできれば、やがてカウンセリングがさらに進んだときに、わたしに対する期待が非現実的に大きかったこと、そしてわたしを信頼してこころを開くことのできない原因である対人不信感に、みずから実感を持って気づいたでしょう。そして、非現実的な期待をかけずにはおれない寄る辺なさ、頼りなさ、無力感を実感し、語りはじめたでしょう。きっと佳子さんは、それらと対人不信感をいつも「感じないように、直面しないように」と抑え込みながら、でもこころの奥にいつもフツフツと感じながら生きており、それがパニック発作として現れたのでしょう。

・また、わたしたちが苦しむ人の助けになろうとする時に陥りやすい落とし穴ですが、来談者が良くなることをカウンセラーが必要とすると、来談者は重荷になります。「お願いだからわたしのために良くなってください」というカウンセラーの思いが、来談者に伝わるからです。これも、カウンセラーが来談者に援助を求めていることになります。わたしたちは、他人から良くなることを必要とされると、安心して良くなることができません。

・来談者の不信感や不満に受容的かつ共感的に対応するとは、たとえば次のような介入を指しています。

○先生は結婚されていますか?
→もしわたしが独身だったらあなたの夫婦関係の苦しみが理解できないんじゃないか、と感じられるんでしょうか。
○先週と同じで、気分にあまり変化はないかな。
→こうして話し合いをしているけど、良くなっていないと感じられるんでしょうか。
○守秘義務は守ってくれますか。
→わたしがひょっとすると他の人に言うんじゃないか、という不安が湧いておられるんでしょうか。
(または)今日お話しされたことはすごく傷つきやすいことなので、とても大切に扱ってほしい、というお気持ちでしょうか。

このような場面で、わたしは保証や答えを与えることはまずありません。保証や答えを与えるとは、たとえば次のような介入です。
「いいえ、わたしは独身です」
「気分に変化がないということは、悪くなってはいないということですよね。よかったですね」
「前にお伝えしたように、守秘義務は守りますから安心してください」

このように保証したくなるのは、カウンセラーの逆転移によるものです。質問に答えなければ来談者が怒るのではないかと不安になったり、来談者から信頼してもらおうとしたり、来談者から文句を言われたくない、と思ったりするからです。

・あるカウンセラー研修会に参加したときのことです。若い男性カウンセラーが、「正直言うとぼくはまだ、親に甘えていたいし、親に受け入れてほしい」と、自分の思いを参加者の前で正直に語りました。すると、わたしの後ろに座っていたカウンセラー志望の年配の女性が、「そんな考えは甘いわ!」「何言ってるのよあの子!本当に甘い!」と、批判的な独り言を繰り返しつぶやくのが聞こ��ました。わたしはその女性に対して、「彼の考え方が甘いのは本人も分かっている!彼は人になかなか言えない本音をここで思い切って正直に話してくれているのに、それを批判するなんてひどい!」と腹が立ちました。わたしはそのとき、その女性を裁き、見下していました。そして、わたしのなかに他人を批判し見下す自分がいることに、気づいたのです。
繰り返しになりますが、わたしたちが他人の“悪い”面を見て腹が立つのは、自分に同じ面があり、しかもそれを自分では受け入れていないときです。

・カウンセラーが行うことは、来談者が表現している重要なことをなるべく来談者の身になって共感的に理解し、その理解を言葉で返すことです。そのとき、来談者が方言、声の様子、言葉によって表現していることを、カウンセラーがあたかも自分のことのように、なるべくありありと想像して感じることが大切です。
わたしの経験では、カウンセラーがそれ以外の意図を持って対応すると、カウンセリング過程を妨害してしまいます。それ以外の意図としては、たとえば次のようなものがあります。
来談者の考え方や行動を「正そう」とか「直そう」とする、何かの行動をさせようとする、教えようとする、説得しようとする、何かに気づかせようとする、感情を感じさせようとする、何かについて話させようとする、掘り下げようとする、来談者の緊張、不安、不信感、落ち込み、怒りなどの感情を変えようとする、苦しみから救おうとする、カウンセラーのことを信頼させようとか、カウンセラーに好感を持たせようとする、などです。
とても重要なことなので繰り返しますが、カウンセラーが行うことは、来談者が表現している重要なことをなるべく来談者の身になって、ありありと想像して共感的に理解し、その理解を言葉で返すことです。

・深く細やかな共感をするためには理論が必要です。理論は来談者を共感的に理解するためにあるのです。カウンセラーが理論の助けによって来談者の苦しみをより細やかに、より深く、よりありありと想像し理解するほど、その理解は来談者に伝わります。すると、来談者はそれまで直面することのできなかった深い感情や思いが感じられるようになり、それをもっと語りたくなります。これが、こころの自己治癒力による動きです。

・それは、カウンセラーの指示や誘導によって行えるものではありません。つまり、カウンセラーが西本くんに「わたしにどんな気持ちを持っているかを話してください」とか、「わたしのことが怖いんじゃないですか?」などと発言して話させたのでは、変容は起きないということです。あくまで、西本くんが自発的にカウンセラーに対する警戒心や不安を「いま―ここ」で感じながら、それを語ることが必要です。
それが可能になるには、西本くんが感じているおびえと、そのそこにあるカウンセラーの愛情を求める欲求(カウンセラーから良く評価されたいという欲求)と、それら二つの気持ちに対する禁止(おびえてはいけない、甘えてはいけないという思い)を、カウンセラーができるだけ自分のことのように想像しながら共感的に理解することが必要です。

・西本くんが何を主訴としてカウンセリングにやってきたかは、本書の叙述からは分かりません。しかし、彼が何を主訴だと述べるかに関係なく、彼が初回面接の最初から見せているカウンセラーへの不信感こそが、彼の人生の問題や苦しみを作る重要な要因になっています。つまり西本くんは、だれかれ関係なく、あらゆる人たちから愛情(承認、良い評価、好意など)を過剰に求めており、それが得られない可能性がひどく恐ろしく思えるのです。それが対人恐怖の症状であり、彼はその恐怖と孤独感に苦しんでいます。
なお、対人恐怖に苦しむ人は、人を怖れているのではありません。彼らは人を怖れているどころか、人々の愛情、関心、承認、高い評価などを過剰に求めています。彼・彼女が恐れているのは、それらがもらえないことなのです。人々の愛情や関心を過剰に強く求める一方で、「人が自分のことを知ったら嫌うだろう(拒絶するだろう、攻撃するだろう、軽蔑するだろう、など)」とも信じています。それゆえ人との交流がとても恐ろしく感じられるのです。
西本くんが周囲の人々から求めている愛情欲求は過剰なため、それが現実の人間関係によって満たされることはあり得ません。彼は幼児ではないので、周囲の人たちがいつも彼に温かい関心を注ぐはずがないからです。

・対人恐怖と愛情飢餓の苦しみは、必ず同時に存在します。

・来談者ははじめ、悩みごとについて、「あのとき―あそこで」起きたことを話します。たとえば「昨日、学校で、クラスのみんなからヘンな目で見られたんじゃないかと思って怖くなったんです」というように。悩みごとを話してカウンセラーに共感され、分かってもらうのは意味のあることです。しかし、来談者が抱いている「人からヘンに思われる」恐怖を、「あのとき―あそこで」起きた過去の恐怖として語るのではなく、目の前のカウンセラーに対して「いま―ここ」で感じている恐怖として語り、それをそのまま受け止めてもらい、共感的に理解してもらうほうが、来談者にとってずっとインパクトの大きな、意味のある経験になります。

・怒りを抑圧し投影することによって対人恐怖症状が生まれるように、耐えられない感情を感じないよう防衛する、その仕方によってその他さまざまな神経症の症状が形成されます。
たとえば、怒りを含む耐えがたい感情が自分のこころにあることがまったく受け入れられない人が、感情が高まって心臓がドキドキしたり呼吸が激しくなったりすると、「ぼくは何の感情も感じていないのに、急に鼓動が激しくなり、息が苦しくなっている!心臓麻痺じゃないか!?呼吸困難じゃないか!?」と解釈し、恐怖で気が動転してしまうパニック障害の症状になります。
または、怒り、攻撃性、性衝動などが耐えられない人が、それら恐ろしい感情・衝動が自分のなかにあることが認めらず外にあると考え、「世界は訳の分からない恐ろしいものであふれている!だからわたしは怖くてたまらないんだ」と解釈すると、自分の部屋にあるものがすべて穢れや病原菌に犯されているために触れることができないという強迫性パーソナリティ障害の汚染恐怖症状になったり、「何か恐ろしいものが外から来て自分にくっついて離れない!だからわたしはこんなに怖いんだ」と解釈して、いくら手を洗っても汚いものが取れないという、強迫的な洗���行為症状になったりします。
さらに、「わたしが訳の分からないこんなに激しい恐怖を感じている理由が分かった。それは家が留守中に家事になりそうだからだ(または、泥棒に入られそうだからだ)」と解釈すると、ガスの元栓が閉じているか、玄関が施錠されているかを、何度繰り返し確かめても安心できないという強迫的な確認症状になります。
あるいは、自分のなかにある攻撃心があまりに恐ろしすぎて、その存在すら認識できない人が、攻撃心を意識しそうになると、「自分が突然、街で人を刺してしまったらどうしよう」「車を運転すると人をはねてしまうんじゃないか」と訳が分からず極端に恐ろしくなるという加害恐怖症状になります。もしも訳が分かってしまうと、自分のなかにある強烈な攻撃心を感じてしまうのです。

・カウンセラーが何と言って応答するか、というテクニックは重要です。来談者が表現している大切なポイントだけを簡潔に言葉にして返すことによって、対話が進んでいきます。反対に、最も大切なポイント以外のことを言葉にして返すと焦点がぼけますし、来談者の連想も止まってしまい、話しづらくなります。しかし、そのようなテクニック以上に重要なのは、カウンセラーの共感的理解です。
来談者の転移抵抗を取り上げる場面において、特に重要な共感のポイントは次の5つだと思います。これらをできるだけ来談者の身になって想像しながら応答するときにこそ、共感的な対話になると思います。
①来談者が感じているカウンセラーへの怖れを、できるだけ自分のことのように想像すること。
②来談者の怖れの底にある、カウンセラーに好かれたい、良く評価してほしい、受け入れてほしいという欲求を、自分のことのように想像すること。
③その欲求には、幼児が親から情緒的かつ身体的親密さを求める、広い意味で性的な質を帯びた愛情欲求が含まれている。来談者がカウンセラーに対して向けているその愛情欲求を、なるべく自分のことのように想像すること。
④来談者は、カウンセラーの愛情を求める欲求に罪悪感を持っているため、その欲求の一部を(多くの場合は大部分を)、感じないように抑圧していること。
⑤カウンセラーの愛情を幼児的に求める欲求の底にある、人々の愛情を求めてやまない慢性的な孤独感の苦しみを、自分のことのように想像すること。

これら五つのポイントをこころに置いて来談者の感情をありありと想像しながら応答するのと、それらが分からずただ来談者の言葉どおり「話しづらいんですね」と返すのとでは、対話はまったく違ったものになります。前者はカウンセリングになり、後者は単なる愚痴聞きになります。
ロジャースが、「カウンセリングにおいて重要なのは情緒的な関係性の質であり、それに比べると、来談者が何と言ったか、カウンセラーが何と言ったかという言葉は、最小限の重要性しかありません」と述べたのも、これと同じようなことを言いたかったのでしょう。

・「でも、ちゃんと解決したほうがいいことがあるような気がするし…。」という言葉に、「ええ、ぜひ解決しましょう」または「はい、解決すべきことがあると思いますよ」と答えるとしたら、西本くんの「自分のこころを本当に見つめるのが怖い���という怖れを、理解も受容もしていない応答です。
カウンセラーは、「こころの問題に向き合い、それを解決するべきだ」という価値観を伝えています。このように、カウンセラーが“正しいこと、すべきこと”を伝えると、来談者は本音を言う代わりに、カウンセラーの価値に合わせた言動をするようになります。西本くんの場合は、親御さんの「勉強して良い成績を取るのが良いことだ」という価値観に合わせて自分自身を殺して生きてきたパターンを、カウンセラーとの間で繰り返すことになります。すると、自分の本心を吟味する過程が起きないため連想も進まず、カウンセラーが求める“正しい”ことを話すようになったり、話すことが浮かばなくて困ったりするようになるでしょう。

・西本くんが「この学校って、ギスギスしていると思いません?」と発言したのは、カウンセラーがこの学校の雰囲気をどう感じているかを知りたいからではなく、彼が居心地悪く感じているということを分かってほしいからです。ですからこの場面で、学校がギスギスしているか否かについてカウンセラーが自分の考えを述べるのは、ナンセンスです。カウンセラーはそれを理解したので、「ギスギスして居心地が悪いんでしょうか?」と応答しました。
このときカウンセラーは、「“この学校は”ギスギスして居心地が悪いんでしょうか?」とは応答しませんでした。ギスギスしている主語を、学校と限定することを避けたのです。これは適切だったと思います。というのは、西本くんがギスギスを感じているのはこの世の中すべてであり、彼がいつもそうしてギスギスを感じている根本の原因は、親との関係がギスギスしているからです。

・カウンセラーが、西本くんの怒りと怒りに対する罪悪感について共感的かつ受容的な態度を維持していると、西本くんにとって怒りを抑圧する必要性が低下し、怒りをより感じて表現することができるようになります。そして、わたしの臨床経験では、セッションにおいて怒りをありありと感じ表現する過程を経るにつれ、対人恐怖の症状は徐々に軽くなっていきます。

・「無理してきたことにご自分で気づいているんですね」というカウンセラーの応答もよくありません。このような言い方をすると、「気づくことが良いことです」というカウンセラーの個人的な価値観を伝えるからです。特に、カウンセリングを勉強したことのある来談者は、「気づきは良いことだ」という価値観を学んでいることが多いものです。そんな来談者に対してこのような応答をすると、来談者は「○○に気づいた、と言えばカウンセラーは認めて受け入れてくれるんだ」と感じて、実感も本当の変化も伴わず高度に知性化された“気づき”について、たくさん話すようになることがあります。「わたしが男性が苦手なのは、父親が怖い人だからだと気づきました」とか、「他人と過去は変えられないから、自分が変わることが必要だと気づきました」などです。
このように、道徳的・倫理的に“良いことだ”とされている価値観を伝えてしまわないよう、カウンセラーは留意する必要があります。たとえば、「まじめに働いてこられたんですね」「お子さんをすごく愛しておられるんですね」「相手の立場に立つことが大切だと思われるんですね��などの応答をすると、来談者はそれらの一般的に“正しい”とされている価値観に外れる本音を話しづらくなります。

・また、希望的な言い方で応答するカウンセラーがいます。この場合だとたとえば、「友達はほしいけど、距離を置きながらじゃないと付き合えないなって」に対し、「人と距離を置かずに付き合いたいんですね」のようにです。同様に、「また1年生なんで、友達もあまりいなくて」に対し、「早く友達が欲しいですよね」という応答も希望的です。これらの希望的な応答には来談者の苦しみへの共感が欠けています。そのため表面的な対話になりがちです。
西本くんとのこの対話では、カウンセラーは彼の基本的な対人不信感が理解でき、人々に対する彼の不信感とおびえを想像しながら、「やっぱり人とは距離を置かなければ傷つく、と思ったんでしょうか?」と返しました。それが十分に共感的な応答になったので、彼は不信感について「用心しないとね。身構えないと」と、より具体的に語ることができました。

・西本くんの「カウンセリングって、ぼくが思っていることを言うだけなんですか?」という発言は、質問ではなく、不満を婉曲に表現したものです。来談者がカウンセラーに本当の意味で質問をすることは、ほとんどありません。質問形式の発言は、そのほぼすべてが不満、依存欲求、または怖れが婉曲に表現されたものです。もっとも、来談者自身もそのことに気付いていないことが多いものですが、カウンセラーの共感が不十分なときに、来談者はよく質問をします。共感の足りないカウンセラーほど、来談者から質問をされたりアドバイスを求められたりするものです。

・カウンセリングにおいて意味があるのは、来談者が語ることによってこころに動きが生じることです。話すこと自体に意味があるわけではありません。もし、話をしたり情報を集めたりすること自体に意味があるなら、警察の事情聴取によって犯罪者は更生するはずです。面接が、情報収集のための事情聴取ではなく、来談者の成長と癒しをもたらす営みになるためにカウンセラーが行うことは、来談者の話についていきながら、来談者が経験していることを深く共感的に理解し、応答によってその共感を伝えることでしょう。

・子どもには親の気持ちや都合を察する能力はありません。ですから親の行動を自分本位に受け取ります。そのため子どもは、親が欲求を即座に満たしてはくれないとき、「お父ちゃん・お母ちゃんは、ぼく・わたしを大切に思っていない」と受け取ります。たとえば、幼児が就寝時刻になってもまだおもちゃで遊んでいたいとき、親はおもちゃを取り上げて寝かせるでしょう。そうしなければ、翌朝は睡眠不足のまま幼稚園や保育園に行くことになるからです。また、幼児が歯磨きを嫌がっていても、親はむりやり子どもの歯を磨くこともあるでしょう。いずれも子どものためを思ってのことであり、親の愛情ゆえの行動です。しかし、子供には親の思いが理解できないので、「お母ちゃんは意地悪をする」と受け取るでしょう。
あるいは、親が子どもに愛情を向けるこころのゆとりがないため、子どもに冷たく当たったり、きつく当たったりすることもあります。そのとき子どもには、親は子供への愛情はあるし、子��もに優しくして楽しく過ごしたい気持ちもあるが、今はそれを感じるゆとりがない、ということは理解できません。ですから「お父ちゃん・お母ちゃんはわたしを愛していないんだ」と解釈します。そしてそれがさらに、「愛してくれないのは、わたしが悪い子だからだ」という解釈につながります。

・佐藤くんは、宮沢賢治は自分のことを後回しにして人を助けたのに、それに比べて彼自身は自分のことでいっぱいだ、と言います。彼は、そんな自分に劣等感を感じているのです。そのことからうかがえるのは、おそらく彼は幼いころ親から、「人の気持ちを考えなさい」という厳しいしつけを受けたのだろう、ということです。親が子どもにそう要求するとき、本当は「人の気持ち一般について考えなさい」と言っているのではなく、「わたし(父親または母親)のニーズをあなたが満たしなさい」と要求しているのです。

・佐藤くんは「こんな世の中が悲しいです」と語って泣いていますが、泣くという行動には、しばしば行動化の意味合いがあります。行動化とは、何らかの感情を感じるのが苦しすぎるため、それを感じないようにする目的で行動することを指します。来談者は泣くことによって、感情を語り感じることを無意識的に抑えていることが多いのです。カウンセラーは来談者が泣くと、「彼・彼女が感情によく振れているのであり、カウンセリングが進んでいる」と考えることが多いようですが、必ずしもそうとは言えません。泣いている来談者は、見かけほど感情を強く感じてはいないことが多いものです。わたしたちが本当に感情をひしひしと強く感じているときは、泣くことによって語りをやめるのではなく、ありありとそれを感じながら語るものです。

・ときどき、三好さんのように、「自分を理解したい」とカウンセリングに来る来談者がいます。しかし、それは防衛が働いた言い方であって、それが本当の目的で人がカウンセリングに来ることはありません。「自分を理解したいから来ました」と言う来談者も、本当は何らかのこころの苦しみからラクになりたいと願って、カウンセリングに来ているのです。さらに深いレベルでは、人がカウンセリングに通う本当の目的は、主訴がどうあれ、自分のことを共感的に理解してもらい、ありのまま受け入れてもらいたいからです。言い換えれば、人は無条件の愛を求めてカウンセリングに来るのです。
ですから、来談者が「自分を理解するためにカウンセリングに来ました」と言うのは、「苦しみに直面するのは怖すぎる」「こころに苦しみがあると認めることすら怖すぎる」という抵抗の表現です。
また、「自分を理解したいからカウンセリングを受けるんです」という言い方には、「カウンセラーから心理的に異常な人、弱い人だと思われたくない」という転移抵抗も働いているでしょうし、そこには、カウンセリングを受ける人たちに対する偏見もうかがえます。

・カウンセラーはここで、「心理学をよく学んでおられるんですね」と返しました。これは次の二つの理由から、拙い応答です。
一つ目の理由は、三好さんの「若いころから心理学に興味があって」という発言が、「長年にわたってこころの苦しみを感じてきた」という訴えであることを、理解していないことです。この発言は、彼女がカウンセリングを受けに来た理由である苦しみ(主訴)を伝えるものですから、そこに表現されている苦しみに共感することが重要です。しかし、彼女のこの発言からではどんな苦しみなのかが分かりませんから、それを語りやすくするような応答のほうがよかったでしょう。
たとえば、「摂食障害や親御さんとの関係など、こころについて関心を持ってこられたんですね」という応答が考えられるでしょう。
(二つ目の理由は、「勉強は良いことだ」というような評価的なニュアンスを伝えるから)

・三好さんはその価値観(勉強、読書、成績などに価値を置く)に沿ってカウンセラーに「本を出した立派なカウンセラー」であることを求める思いが湧いたのでしょう。本を出したカウンセラーだったら尊敬するし、そうでなければ軽蔑するのです。三好さんはカウンセラーの「いいえ」という返答を受けて、「あ、すいません」と誤っています。それは彼女が「失礼なことを尋ねてしまった」と思ったからであり、その質問が失礼だと思ったのは、カウンセラーが本を出していないことについて軽蔑心があるからです。そんな三好さんの思いを共感的に明確化する方向の応答としては、たとえば、「わたしが本を出しているカウンセラーならいいな、という思いをちょっとお感じなんでしょうか」ぐらいが適切だったでしょう。

・傾聴とは、来談者の経験をなるべく来談者の身になって想像して理解し、その理解を言葉で返す営みです。逆転移が起きると、そのことをおろそかにしたくなったり、またはそのことができないこころの状態になります。たとえば、前カウンセラーの不適切な行動について聴いていると、現カウンセラーのなかに、前カウンセラーに対する批判的な思いが湧いてくるかもしれません。そのとき、「批判的な思いを抑えよう」とするのは、援助者が自分自身を不自由にしてしまうので、最適なあり方ではありません。しかし、カウンセラーが自分自身の怒りにとらわれてしまい、来談者の気持ちに共感することができなくなれば、援助が妨げられてしまいます。
カウンセラーが怒りにとらわれるとき、おそらくそのカウンセラー自身に、誰か重要な他者から傷つけられたとか理不尽に搾取されたなどと感じた過去の出来事があり、そのこころの痛みが残っているのでしょう。カウンセラーのこころにその痛みがまだあるほど、来談者は「安心して自分の思いを語り、吟味する」ということが難しくなります。

・来談者の前カウンセラーに対する怒りは、現実に沿った適切な反応かもしれません。怒りは攻撃者から自分を守るために必要な感情だからです。前カウンセラーが来談者の性的領域に不当に侵入しようとしたなら、それを阻止して自分自身を守るために、怒りが必要だったでしょう。
しかし、わたしたちが感情的になるとき、未解決の問題・こころの痛みもそこに関わっていることがよくあります。来談者の怒りに反応してカウンセラーまでが怒り出すと、来談者の怒りのなかにある過去の傷つきに源を持つ転移反応の部分を、明らかにすることができません。というのは、一緒に怒り出すカウンセラーは、来談者の怒りや傷つきの感情のなかにある過剰な反応を見抜くことができず、「あなたの怒���は現実的で当然の反応であり、あなたはひどいカウンセラーに当たった哀れで無力な犠牲者です」というメッセージを伝えてしまうからです。

2016/05/05 12:28

投稿元:ブクログ

1月から読んできた本の感想をまとめてアップします

この本はカウンセラー仲間にすすめられて読んでみた本
「精神分析」という切り口で書かれていて、目から鱗的な発見がありました

付箋部分をご紹介します

・来談者の癒しと変容をうながすプロの共感とは、理論の助けを得て、来談者が言葉だけでは表現できない
 思いまでくみ取ることです

・他人に腹を立てたり、他人を嫌ったり、軽蔑したり、悪口を言ったりすることの多い人ほど、自分自身への
 無条件の愛が乏しいものです。自分のことが嫌いなのです(p6)

・その人が他人に対して容易に感じる怒りや攻撃性は、根本的には親に向けられたものです(p7)

・カウンセラーは、来談者の感情にどっぷり浸かりながらも飲み込まれてしまうのではなく、感情に浸かっている
 自分自身のこころと来談者を、客観的に観察することが大切です(p24)

・共感についてコフートは「他者のなかに自己を発見すること」「他者を包含するための自己の拡大」
 「人から返ってくる響きを受け取り、確かめ、理解すること」さらには「ある人が客観的な観察者の立場を
 保持しながら、同時にもう一人の内的人生を経験すること(そうしようと試みること)」であると述べました(p26)

・つまり共感とは、他者の感情を身体感覚によって理解することなのです(p31)

・共感で大切なことは、来談者の訴えを聴きながら、彼らの苦しみをなるべく自分のことのようにありありと想像する
 ことですが、そのとき、彼らが求め続けずにはいられない愛情欲求にときまとう性的で粘着的な感覚に思いをはせることが
 とても大切だと、わたしは感じています(p54)

・カウンセリングの成否は転移抵抗をいかに扱うかによって、そのほとんどが決まると言えます(p65)

・来談者を理解していないからこそ、考え方や気持ちを変えようとしたくなるのです(p67)

・本当の自己理解とは、感情レベルのひしひし、ありありした実感を伴った気づき体験のことで、わたしたちは
 それを経験するたびにより自由で楽になれます(p102)

・わたしたちが自分の何かを否定するとき、否定したその部分がわたしたちをコントロールします(p111)

・深く細やかな共感をするためには理論が必要です。理論は来談者を共感的に理解するためにあるのです(p119)

・完璧なカウンセリングなどあり得ませんし、完璧なカウンセリングができる必要もありません。問うべきは
 来談者が「さらに時間とお金を使ってでも、またカウンセリングに来たい」と感じられるだけの共感的理解と
 無条件の受容ができ、それを来談者が感じられるような応答ができたか、ということです(p162)

・カウンセリングにおいて意味があるのは、来談者が語ることによってこころに動きが生じることです。
 話すこと自体に意味があるわけではありません(p171)

・さらに深いレベル��は、人がカウンセリングに通う本当の目的は、主訴がどうあれ、自分のことを共感的に
 理解してもらい、ありのまま受けれてもらいたいからです。言い変えれば、人は無条件の愛を求めて
 カウンセリングに来るのです(p262)

・カウンセラーの努力は来談者の幸せのためではなく成長を助けるものなのでしょう(p295)

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