紙の本
にっぽんを見直そう
2017/11/23 08:11
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投稿者:想井兼人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
街にあふれる看板、山々を固めるコンクリート治山、海岸はテトラポットで防御を固める。日本では当たり前の風景に見えることも、本書を読んだ後で眺めたら奇怪奇天烈な情景に見えてしまう。
日本は美しいとメディアは声高に叫ぶが、本当にそう思うの?あの看板見てみなさいよと言いたくなる。ああ、おたくの看板もあるのか・・・。
日本の見直し、どうにかしていきたいというアメリカ人著者の活動を、少しでも見習いたいものだ。
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周りとの調和という考え方
2016/11/14 18:15
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投稿者:うむうむ - この投稿者のレビュー一覧を見る
確かに、由緒ある建物の横に似つかわしくない威圧的なビル、山肌に巨大なコンクリートの壁、必要以上に目立つ看板や案内など、周りとの調和という考え方が不足している事実が、この本でよく分かります。
ただ、最近の観光化された古い町並みみたいに、表層的に調和さえ取れていればよいかというと、それだけでもない気がします。住民の息吹が感じられないテーマパークみたいになってしまってもつまらないので、その辺のさじ加減が難しいように思います。
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周りの景色を見直しました
2016/02/14 21:06
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投稿者:Chocolat - この投稿者のレビュー一覧を見る
たとえば、子どもたちが遠足で行った郊外の絵を思い出して描くとしたら、きっと、電線や看板や鉄塔等は除いて、自然の風景だけを描くだろうなと、気づきました。日本人にとって見慣れた風景は、見慣れてはいけない風景だったんですね。景観保存地区や神社仏閣の敷地内は規制されてても、遠くからそこを眺めると、邪魔なものがいっぱい目に入る…残念ですね。
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明珠在掌
2016/03/09 19:43
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投稿者:キック - この投稿者のレビュー一覧を見る
『日本は長年必死に「文明」と「発展」を求めて、山と川をコンクリートで埋め、古い町は恥だと思って壊し、交通のない「ループ橋」やお客の訪れない「ふれあいの館」をたくさん作ってきました。しかし、日本は「光る珠」として美しい自然と文化的なたたずまいを初めから掌の中に持っていたのです。それを再認識することが、これからの課題です(206ページ)』
本書は「景観」に関心がない日本人に対する怒りにも似た警告と、景観を取り戻すための提言の書です。
第1章から第6章では、電線・鉄塔・基地局や看板の無秩序な設置、景観に配慮しないコンクリート工事や箱もの建築、そして、至る所で散見されるブルーシート等、「観光立国」には程遠いハード面の惨状を豊富な写真でレポートしています。加えて第7章では、歯抜けとなっている京町家周辺の景観を槍玉に挙げ、京都市民の町並みへの無理解を嘆いています。そして終章では、第7章までの実態を踏まえ、景観を取り戻すための提言を行っています。これは机上論ではない実体験を踏まえた提言であり、説得力がありました。
しかし、個々人の事情も考慮せずに、町家を自発的に守ることを京都市民に求めるのは酷というものです。結局、守りたい景観は行政による規制や保護が必要と思いました。また、昨今の苛烈な自然災害を目の当たりにすると、自然災害から効率よく身を守ってくれるコンクリート工事を簡単に切り捨てることはできるでしょうか。カー氏の主張は総論賛成ですが、各論では難しい問題が多々あると思いました。
ところで、現在、銀座から京橋・日本橋にかけて、ビルの建て替えラッシュが起きています。しかし、高さも外壁の色調も何一つ統一されていません。せっかく、町並みが綺麗に整備できる50年に一度くらいのチャンスだったのに、残念です。効率が最優先であり、町並みを綺麗に整えようという発想は、東京にはないようです。
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「今では稀少なものになってしまった「何でもない風景」」文中にあった言葉。心に残る。「何でもない風景」に心惹かれる人もいるのだから、変わらないことや当たり前のことが悪いことではないことを、忘れてはいけないと思った。
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樋口忠彦『日本の景観』読書日記の際に書いたように,風景・景観に関する基本文献を少しずつ読んでいこうと思っている。Amazonで検索していた際に見つかったのが本書。まあ,よくある感じの日本的なものに魅せられた外国人が,現代日本の風景の乱れを嘆く本。著者は2002年に『犬と鬼』という本を出し,風景・景観に限らず日本の文化が破壊されているのは,日本の官僚政治に原因があり,公共事業としての土木工事の実態を明らかにしているらしい。
本書の内容は,その結果現れる風景に限定し,さまざまな側面からそのあり方をアイロニックに語っている。目次はとても分かりやすい。
序章
第一章 細かな規制と正反対の眺め――電線,鉄塔,携帯基地局
第二章 「町をきれいにしましょう」――看板と広告
第三章 コンクリートの前衛芸術――土木
第四章 人をビックリさせるものを作る力――建築,モニュメント
第五章 ピカピカの「工場思想」――工業モード
第六章 人生は「ふれあい」――スローガン
第七章 古いものは恥ずかしい――町へのプライド
第八章 国土の大掃除――観光テクノロジー
終章 日本人が掌に持っている宝
本書もご多分に漏れず,米国生まれの著者が欧米的な風景のあり方を上位に置き,それに相対するものとして日本の風景を位置づける。しかし,日本文化の本質ないし,潜在力という点では評価は高く,そうした「本来優れた日本文化」が現代では乱されていると主張する。
まあ,この手の主張はありふれているが,日立の看板の話は面白い。日本各地に存在する重要文化財の立て札にはもれなく「HITACHI」のロゴが入っているという。こういうところにも企業文化的な日本のあざましさがあらわれているのだという。
読みながら,かなりうんざりさせられるが,よく考えると読者に考えさせられることは少なくないと思う。このような主張を読み,「外国人のくせに分かったようなことを書くな」という反応は排他的なナショナリズムの反映だといえる。「欧米的価値観と日本の価値観は違う」というような感想も同様の感情の反映だ。どうしたら,そういう感情なしに本書の主張を批判できるだろうか。それはとても難しい。
本書でも土木情事に関する記述は多く,ダムや法面,改修された河川,護岸のテトラポットなど,日本の風景にはコンクリートが大量に使われていることを指摘している。この点については私も風景という観点は抜きにして,国土を覆っている大量のコンクリートがこの先どうなるのか,しかも多くの場合そのなかには鉄筋が入っている。もし,これらを取り除く場合に発生する産業廃棄物をどう処理したらよいのだろうか。言い方が悪いが,放射能に汚染された土や水の処理に近いものがあるかもしれない。
しかし,私は著者のように,コンクリートだけを問題にすべきではないと思う。著者がコンクリートを不要というのなら,私はある程度のアスファルトも不要だと思う。著者は車社会の米国人だからか,車社会がもたらした景観の変容については批判的ではない(北米の地理学者レルフはこの問題を大きく論じていたが)。コンクリート以上に圧倒的な割合で地表面��覆っているアスファルトも不要なものは撤去すべきではないだろうか。
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ニッポンの景観が壊されていくと。電信柱、橋、携帯の基地局、ダム、護岸、工事の際の防護壁、ブルーシート。欧米では、建物の工事の際も、景観と訪れる人への配慮で、足場などにも工夫を施すと。ちょうど、鎌倉の段葛も工事に入ったが、無愛想な壁面になり、道路を断絶している。もう少し何とかならないものかと、この本を読んで特に思う。
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[ 内容 ]
「醜悪な建築」「邪魔な工業物」「過剰な看板」などの写真を並べながら、なぜ日本の景観は破壊されるのか、貴重な観光資源を取り戻すにはどうすればいいのかなどを論じた、異色のヴィジュアル文明批評。
[ 目次 ]
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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東京は住む環境に値しない。
長野県どん詰まりの田舎から東京に帰るたびに常々思う。
人が多すぎ、なんか生ゴミ臭い、空は狭い、水がマズい。
そんなコンクリートジャングルの汚い写真がこれでもかと本書には掲載されている。
だから本来の日本の風景を取り戻そう、というのが筆者の主張である。
さて、ここまで同意してきたのだが、この主張には反発してみよう。
一転反論である。
かつて日本の町は木と紙と土の家だった。
大地震が起き、戦争で焼け野原になり、その度に焦土の中から復興してきた。
現在の日本の(特に東京)のコンクリートジャングルは合理性の塊である。
地震に強い、火事に強い、さらには東京一極集中の人口を飲み込むマンション群。
景観、そんなものは災害の度に失くしてきた。
出口戦略がまるで無く、ただただ合理性のみを追求してきた街並みが東京である。
その結果、日本が得た最大の武器はインフラ技術である。
家電、半導体など日本がかつて市場を席巻していたことは今は昔、軒並みオワっている。
21世紀に入り情報産業で日本は押され続け、世界に対して技術的優位を保っている分野は、もうほとんど無い。
残ったのは自動車産業、そしてインフラ技術だ。
コンクリートで谷を埋め、コンクリートで川を堰き止め、山を削り、道を伸ばし、自然を破壊してきた代償に得たのがインフラ技術である。
そのインフラ技術を求める声が世界にある。
その技術は誇ってもいい。
だから、日本の醜い景観を並べ「だから日本は醜い」とディスるだけの主張には腹が立つのだ。
数百年前の街並みが未だに残る大学町、オックスフォード。
塔から見下ろすレンガ色の家々、フィレンツェ。
いくつもの時計塔が町から突きだす、コペンハーゲン。
旧市街のカラフルな家が並ぶ旧市街、ストックホルム。
川向うに立ち並ぶ無数の塔が夜の街に浮かぶ、プラハ。
ヨーロッパの国々は美しい。
景観を壊すことは文化を壊すことだ。
しかし、東京のどこに守るべき景観がある?
描くべき未来がなく、合理性を追求し続ける都市、東京。
SF映画で描かれる未来的な都市になる可能性があるのは、世界中で東京だけなのではないかと思う。
ならばいっそ、その可能性に賭けてみるのが面白いのではないか。
東京は汚い、住む環境にない、ならば田舎に来ればいい。
今住んでいる長野県は空家率が全国二位、お隣の山梨県は全国一位だそうだ。
これから空家率は増える一方、需要が無いなら価格も下がるだろう。
平日は東京で仕事をして、休日は田舎ライフ。
都会の汚さを嘆くなら、そんなライフスタイルはどうだい?
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筆者の視点は独特だが、ユーモアに溢れ、納得させられる点が多かった。
日本の良き風景を創るため、自分の仕事でも大切にしなければならないと感じた。
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今まで日本の景観をぶち壊しにしてきた無法者に知って欲しい。それは今も続いているのだ・・・そんな著者の憤りを感じさせ、共感もする。
著者アレックス・カー氏は亀岡、バンコク、徳島県祖谷などを拠点とする多地域居住者だ。
日本は製造業の時代がピークを過ぎ、今後は観光業育成が課題だが、日本の景観に対する認識に対し、疑問を持つ著者。
奇抜なデザインで歴史や自然を圧倒する土木構造物・建築物を対象とした「アレックス景観賞」。皮肉たっぷりの解説を楽しめる。
日本は戦後の70年で見事なまでに国土を汚してしまいました。かつてあった「何もない魅力」が失われている。ブルーシートがない、ビニールハウスがない、看板や電線や鉄塔がない、コンクリートの法面がないそんな景観を復元するために、国土の大掃除が求められているという。
確かに暮らしの中の景観は人間のメンタルから影響が及んでいると感じる。
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確かにニッポンの景観は醜悪。
ごもっともな指摘ばかり。
皮肉がキツイので身内の悪口を言われているような気分にもなるけれど、ニッポン人も成長から成熟へと向かっていけるように、少しずつやっていくしかない。
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これまで海外を旅してきて感じた疑問、不満が全て氷解されるような本だった。途中、?となるような所もあるが著者が日本を愛し、遅れている日本人に諭してくれているのが分かった。皮肉などの表現も愛しているからこその言い方だと、胸に刺さるようであった。日本の観光はもっと考えないといけない。良書であった。
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今年話題の新書とのこと。日本に長く住むアメリカ人で、東洋文化研究者である著者が、日本の公共事業がどれだけ景観をぶっ壊しているかを熱く語ってる。お説ご尤も、全く異論ない、ばっさり切って当然、でもなんかものすごく脂っぽいラーメン食べた後みたいなもたれ感はなんだろう?(苦笑)
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外国人の筆者が、日本の景観の問題点を、多数の写真を見せながら皮肉混じりに語る。
門司港レトロ地区も門司港ホテルは昔からの雰囲気を伝えているが、門司港レトロハイマートは周囲との景観の調和の点で ?
公共事業の質的転換が急務であると思う。せめて東京五輪までには全国津々浦々電線地中化してほしいものだ。
筆者が古民家再生に携わった長崎県小値賀町、一度行ってみたい。