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hontoレビュー

数えずの井戸(角川文庫)

数えずの井戸 みんなのレビュー

文庫

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みんなのレビュー20件

みんなの評価4.0

評価内訳

20 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

人それぞれの欲、人それぞれの満足。

2016/04/23 20:31

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:更夜 - この投稿者のレビュー一覧を見る

満たされているはずなのに「足りない」「数が足りない」「もっと何かあるはず」
そういった持てる者の憂鬱をよく描いています。
ベースとなっているのは番町皿屋敷の怪談ですが、実は詳しい前後を知らない・・・
奉公した先の大事な皿を割ってしまって、手打ちにされる女中が井戸から現れ
皿を数える、一枚、二枚・・・くらいしか知らなかったところを京極夏彦は丁寧に描いていく。

京極夏彦は「数が足りない」「いつまでも数える」といった事を何度も繰り返しながら、
満たされない者の欲求を描き出しています。
金はいくら稼いでも満足は人それぞれ。
そのように、きりのない慾を抱えて生きる武家社会と蔑まれても、そこにあるもので
満足な町人たちの世界の分離がなんとも切ない。

京極夏彦氏は私と同じ年。
32歳でデビューしたとき、同じ32歳がここまで書くとは・・・と驚愕。
歌人の穂村弘氏も同年代ですが、私達が10代終わりから20代にかけて
それはバブル期と重なります。
穂村さんは、エッセイでバブル期に目覚めた「自己実現」という欲求を書いていますが、
衣食住だけではなくプラスα・・・それが「自己実現」というもの。

この小説の武家の者たちは、「自己実現」に固執している。
衣食住は心配ない。では、さらにプラスαを求める気持が高まって、故に不満です。
満足しない。何か足りないと思う。欠けていると思う。それにいらいらする。

青山播磨は、何をやっても物足りない。何かが欠けていると憂鬱。
その家臣、柴田十太夫は、「褒められたい」という欲求が高い。新しい主人、播磨は叱りは
しないけれど、喜ばない、だから、褒めない。褒められたい・・・その一心です。
播磨の朋友、遠山は、次男で部屋住。生き殺しのような武家社会に呪の思いを持っている。
播磨に嫁する話が持ち上がった大久保吉羅は、強慾。といっても手に届かないものは求めない。
しかし、手に入るものは全て欲しい。だから手に入れる。青山播磨を「手に入れたい」と望む。

しかし、町人である菊や幼なじみの三平は、衣食住で精一杯。
だから他に何をのぞむのだ?日々、食べていけるだけで、十分ではないのか?
比べられても、莫迦としか蔑まれない身分の違い。それがこの悲劇のもとのような気がします。

菊はひょんな事から青山播磨の家の女中となる。
しかし、そこに吉羅がのりこんできて、菊を目の敵にする。
なぜ、欲しいものがない、と言えるのか。慾が人を生かすのではないか。
食べたい。贅沢したい。褒められたい。認められたい。そんな慾のない菊は吉羅にとっては
めざわりなだけ。

そこに青山家家宝と言われる十枚ひと組のめずらしい皿の存在とその行方。
十枚一組だからこそ、価値のあるもので、一枚でも欠けたらそれは意味がない。価値を失う。

さて、本当の価値とは何か。
満たされるというのはどういう事か。
何を基準にしたら満たされるのか。
怪談話としての怖さより、人それぞれの慾の違いが生み出す悲劇。
そこに自分の慾を底の見えない井戸の底をのぞきこむような恐怖を感じます。

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紙の本

欠けている、か。

2016/02/27 00:26

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投稿者:Zero - この投稿者のレビュー一覧を見る

テーマも深いし、構成も凝っているし、さすが京極と思わせる作品。別の作品では「隙間が我慢できない」というテーマのものがあったが、隙間につめてもつめても足りない、欠けているという点では根っこは同じなのかな。

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2014/11/03 17:56

投稿元:ブクログ

久々に京極作品を読んだのですが、京極作品が苦手なひとの気持ちもわかった…すべてが回帰すると言えば言葉はいいけど、堂々巡りで繰り返し繰り返す節回しは苦手なひとは苦手だろうなあと。そこがこそばゆくて魅力なんだけど。

2014/09/18 19:15

投稿元:ブクログ

皿屋敷の京極版。
もともとぼんやりとしか話を知らないから、伝わり方が違ってるってだけでもなるほどと面白く思った。ほんでこの流れ。京極はしんだ後にも救われるからなあ

2014/12/21 19:21

投稿元:ブクログ

江戸怪談シリーズの中で、一番好きです。登場人物の、「数」「数える」ことについての捉え方の違い、異常なまでの固執、漠然とした感覚をよくぞ言葉にしてくれたって感じです。

2015/03/08 13:08

投稿元:ブクログ

番町皿屋敷を知らないものは日本人にはいまい。女中の菊が、足りない皿を数える声が、夜な夜な井戸から聞こえるというものだ。
しかしなぜ、を仔細に知る人はそう多くないのではないだろうか。
皿が足りないくらいで殺されて、恨みを持つようになったのはなぜ?

その問いかけに答えるよう、よく知られた結末に向かっての道筋を描くのが本作だ。
「数える」ことに対する個々人の主張を主として章立ては進む。
先を考えすぎてしまい、身動きができなくなってしまうから数えたくない器量よしの菊。
数えても数えても足りない気がする、青山播磨。
数え切れない米搗きの三平。
誉を数える十太夫。
際限ない欲深さの吉羅。
満ち溢れる遠山主膳。

そこに家宝の皿という要素が加わった瞬間に、全ての歯車は狂う。

途中まで、これがどう収斂するのかまったく読めない展開でわくわくしてました。
ページ数としてはいつものごとく分厚いのだけれど、出勤時間とかの合間合間に読んでも3日くらい。
むしろあっけなく終わってしまった印象すらあります。

仕掛けの部分に時間をかけて、畳むところは第三者の視点からの語りで終わらせているせいか、後味はややそっけないような。
とかく引っ掻き回すのは主膳という人物なのだけれど、彼は播磨が自分と同じでないことが許せない。羨望とも少し違う、播磨の中にある自制心や箍を壊させて、自分と同じところまで落としてやろうという気持ちだけで、引っ掻き回す。
最後の人死にはさながらシェイクスピアのハムレット、敵味方なく死ぬ。そのときの主膳と播磨はなぜか同じに見えた、と語る徳次郎。
個人的には、箍の外れた播磨は主膳も慄くようなばけものであってほしかったのだけれど。(家来を斬り捨てていった、というあたりがその描写かもしれないけれど)

吉羅を誰が斬ったのか、菊を誰が斬ったのかは本編では語られない。
播磨恋しさに縁談を妨げようと皿を隠した腰元の仙が主膳に斬られて以降、何故菊が斬られ吉羅が斬られたのかの子細は不明である。

吉羅を斬ったのが播磨であることは恐らく確かだが、なぜそうなるだろうか。
菊が皿を井戸に投げ入れたとして、吉羅は手打ちの罰を受けるべきだと叫ぶ。主膳が菊を斬り、播磨が吉羅を斬るだろうか。
播磨が菊を斬っていたら、と思うとぞっとする。

否、どちらが斬ったかはおそらく問題にはならないのだ。この時点ではすでに播磨と主膳は、同じものだったのだから。

よく知られた怪談をアレンジする京極氏の作品の中では、「嗤う伊右衛門」が一番の出来だったように思う。
よく出来た物語ではあるが、感情移入は難しい。

2016/08/25 20:39

投稿元:ブクログ

最後に何が起こったか、自分なりには描けたけれど。
菊が皿を数えるのは、何が起こったかわからないから、なのね。

しかし、菊の態度はイライラするわ。バカで阿呆で無自覚に傲慢で。

2014/09/24 03:34

投稿元:ブクログ

様々な皿屋敷の怪談を元にしたものなので、仕方ないのかもしれないが、結末に何故なのかと謎(菊と吉羅は誰に何故切られたのか)が残る。京極版に仕立て直したものであるならば、(個人的な希望としては又市一味が仕掛ける等して、)もう少しすっきりとした落とし所をつけて欲しかった。
だが、先二作もそうであるように、この物悲しさが怪談シリーズの良さであり、又市が絡み過ぎて巷説シリーズの延長線にならないようにしているのかもとも思う。

2014/12/30 18:35

投稿元:ブクログ

実は番町皿屋敷の本筋はよく知らないのだけれど。

さすが京極さん。
この方の再構築の巧さには舌を巻いてしまう。

菊は本当はこんなに純情な娘だったのかも知れないね。
ラストシーンもよかった!

2015/01/14 15:23

投稿元:ブクログ

長い。くどい。登場人物全員がなぜああもくどくどと考える?いっこうに話が進まない。
道を歩くだけでなぜにああも考えることがある?初登場人物がでるたびに、場面が変わるたびに、くどくど考える人たち。人物の性格の設定や説明でその文がいるのでしょうが、くどすぎる。
物語は、嗤う伊右衛門とあまり大差ない登場人物たちが同じような配置で同じようなことを思い、同じようなことが起こったような気がする。

2016/05/17 10:14

投稿元:ブクログ

読むんじゃなかった。
言ってもしょうがないことを、くどくど言う。
考えてもしょうがないことを、くよくよ考える。
こちらまで、物語に取り込まれて、神経を病みそうだ。
読み始めた以上、最後まで読みたいと思うが、ぐじけそぅだ。
とりあえず、最後まで読んだけど。
かなり辛かった。
小説は、読む時期がある。
この本は、今じゃなかった。

2015/01/09 12:53

投稿元:ブクログ

番町皿屋敷、本当はこんなストーリーだった!?


と本気で信じてしまいそう

京極ワールドで切なく悲しい物語が紡がれます
又市シリーズです

2014/12/14 06:45

投稿元:ブクログ

・ 私が知つてゐる皿屋敷は、落語の「お菊の皿」は論外として、黙阿弥の「新皿屋敷月雨暈」、通称魚屋宗五郎も殿様の手打ちはあるものの、例の皿数へがないといふもので、要するにまともなのは岡本綺堂「播州皿屋敷」だけと言つて良い。これには小説もあるが、私には歌舞伎で、今でもよく上演される綺堂の人気作と してある。この作品には手打ちも皿数へもあり、皿屋敷伝説の粋の詰まつた作品と言へる。ポイントは青山播磨の「潔白な男のまことを疑うた、女の罪は重いと 知れ。」(青空文庫本戯曲「播州皿屋敷」による。)、あるいは「もし偽りの恋であつたら、播磨もそちを殺しはせぬ。いつはりならぬ恋を疑はれ、重代の宝を 打割つてまで試されては、どうでも赦すことは相成らぬ。」(同前)といふ台詞にある。お菊への播磨の愛に対する疑念が生んだ悲劇である。お菊が播磨を信じてゐれば起きることのなかつた悲劇である。これは綺堂の皿屋敷解釈である。怪談ではなく悲恋物語であらう。これに対して京極夏彦「数えずの井戸」(角川文庫)は 例の如き京極の物語である。怪談、あるいは怪談もどきである。京極のいつもの登場人物も出てきたりで、見事な大作に仕上がつてゐる。
・中心はいつもの青山播磨とお菊である。ただし、お菊は腰元ではない。播磨の屋敷にたどり着くには深いわけがあつた。そして、これが京極の皿屋敷の悲劇の原因であつた。柴田十太夫もこれに深く関はつてをり、その一方で、真弓やお仙は家宝の皿に深く関はつてゐた。ところが、ここに遠山主膳なる白鞘組の武士が登場する。播磨の同輩である。ただし、こちらは嫡男ではなく部屋住みである。これらが絡んで一大悲劇を生む。私にはその人物設定がいかにも京極らしいと思へる。他の作品にも出てきてゐさうである。「昔数え」はかう始まる、「幼い頃から、そうだった。(原文改行)播磨はいつも、何かが欠けているような焦燥感に追いかけられている。いつも背中が空寒い。(原文改行)揃っていない。足りない。十全でない。」(15頁)「数えずの娘」はかう始まる、「幼い頃から、そうだった。(原文改行)何をやらせても、遅い。見落としやらやり損じが多い。(原文改行)粗忽というのではない。」 (47頁)これはお菊である。「数えずの刀」の初めのあたりにはかうある、「親も兄も嫌いだ。(原文改行)と、 いうより、好きなものがない。何もかも嫌いだ。大嫌いである。(原文改行)自分のことも、 まあ嫌いだ。」(112~113頁)これは主膳である。こんな登場人物の皿屋敷である。無事ですむはずがない。しかもお菊は「特に数はいけない。(原文改行)数えても数えても、数えられない。」(52~53頁)といふ娘である。皿数へには適任ではないか。こんな登場人物に、いつもの登場人物が京極風に変身させられて絡む。すると綺堂とはまるで違ふ世界が現出する。もちろん所謂皿屋敷伝説とも違ふ世界である。ここに更に又市も絡む。といつても又市、ここではほんの端役だから、出番は少なく仕事もほとんどしない。京極の悲劇を語る締めの役である。さうか、これでは憑き物落としもできぬかと思ふ。あの3人の性格からすれば必然の結末なのである。あの小さな皿屋敷からこんな物語が出てくる。これが想像力といふもの、人物造形の妙である。お菊は腰元ではない。が、播磨に近づいてしまへるのである。そして、そこで起きるのは怪談ではない。悲恋物語でもない。運命の為せる業といふべきであらう。京極の物語にはそんなものがいつもある。これもその一つ、どこかで読んだやうなとも思ふ。しかし、新しい皿屋敷を楽しむことはできた。これを嘉しよう。

2014/10/28 20:17

投稿元:ブクログ

一枚、二枚…決して十には届かない。子どもの頃に母から聞いた皿屋敷の怪談は、播州の女中が皿を割った失態のために殺されて井戸に棄てられる、ただただ募る怨みの物語。怪談はおそろしく冷たくて仄暗い。
それが京極先生の手にかかると(先の作品もそうですが)、もの哀しくも人間味に溢れどこかあたたかい物語に…まぁ大号泣でしたけど。
当事者たちの心の動きも、残されたもののやりきれない思いも、細かに描かれていて絶妙。
個人的に今年拝読した小説のなかでは今のところ一番の作品です。

2014/10/30 08:18

投稿元:ブクログ

京極の怪談リメイク3作目
今回は番町皿屋敷のお菊さん

相変わらず、登場人物の独白が長い長い(笑)
それぞれの登場人物が何か欠けてるって寸法ですかい

伊右衛門と小平次よりも、もっと救いのないお話しだなぁ
前作の2つはなんだかんだ言って、ちょっとはいい部分もある終わり方だったのにね

又市さんの仕掛けの意味もよくわからない
冒頭で長々と「何で皿を数えるのか?」の疑問が書かれてあったけど、なんでそんな仕掛けにしたのか?って事はよくわからん
ま、僕の読解力のなさが原因かな

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