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2014/12/11 20:51

投稿元:ブクログ

1912年に刊行された本書は、宗教的体験の個人心理を追求したウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』とはちょうど反対に、社会学の巨人として、学問的記述で宗教を描き出そうと試みる。
デュルケーム自身はフィールドワークなんてやったことないだろうと思うのだが、ここでは人類学の成果である諸知識を縦横に駆使して、オーストラリアの当時の未開社会を分析する。やはりこの時代としては、画期的な、偉大な書物であったろう。
けれども、いつものことながら、デュルケームの論理は私にはどこか未熟に思え、非常にしばしば整合性のない推論、曲解に走っているように見える。
そもそも、オーストラリアのトーテム社会は、人類の歴史的祖型であるなどと言い切る根拠はどこにもない。たとえは悪いが、チンパンジーは人類の祖先ではなく途中で枝分かれした親戚の種である。20世紀にも残っていた、オーストラリアや南西諸島、アメリカ大陸の「未開人」の文化は、西ヨーロッパ文化の原型だとは言えない。
あちこちにトーテミスムの痕跡があったとしても、たとえば日本やヨーロッパ、古代ギリシャにトーテミスムの痕跡をしめす証拠が出たことはない。
従って、オーストラリアの未開文明をただちに「人類文化の発展過程の起源の状態」であるなどと断定するのはかなり勝手な思い込みに過ぎない。
それと、ここではデュルケームが「宗教」概念にこだわりすぎているのが気になった。話が呪術の方に進んでくるとすぐに、彼は「それはもはや宗教に属さない問題である」として議論を打ち切ってしまうのだ。だが、どう考えても宗教と呪術はひとつながりにつながっている、当該文化のパラダイムの中枢であって、分かちがたいものだ。
「聖と俗」という二分法にもこだわっているようだが、聖と俗が分離するのはおそらく社会の複雑化・分業化がすすんで儀式が固定化した段階でのことだろう。つまりそれは後から出てくる区分であって、原初状態というのは、すべてが渾然一体となった、「未分化の」宇宙観なのではないかと思う。
デュルケームのこの本は、このように、結局西欧文明を人類発展の普遍的・必然的帰着であるとする、ヘーゲル的世界観から抜け出せていない。デュルケームは他文化の宗教を理解しようとする際に、あまりにもキリスト教という「進化形」を意識しすぎている。
それでもなお、この本が面白いのは、オーストラリア未開社会の民族誌が非常に詳細に紹介されている点だ。

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