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hontoレビュー

「待つ」ということ(角川選書)

「待つ」ということ みんなのレビュー

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みんなのレビュー39件

みんなの評価4.1

評価内訳

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39 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

「待った」なし

2011/12/31 13:56

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Tucker - この投稿者のレビュー一覧を見る

「待つ」という事をテーマにした考察。

「待つ」必要がない世の中になってきた。
・・・というより「待つ」事を極度に嫌うような世の中になってきた、と言うべきか。
そういう自分も飲食店で行列ができていたら、それだけで行く気が失せてしまうクチなので、偉そうな事は言えた義理ではない。

すぐ理解できたり、役に立つ事が重宝され、「じっくり育てる」「機が熟すのを待つ」などという言葉はあまり聞かれない言葉になっている。
ただ、待つ必要がない事がそんなにいいのだろうか、とふと思う事がある。
「早く、早く」と急かされた挙句、後になって時間が余るかと言うと、今度は「次へ」となって結局、ずっと追い立てられ続けるのでは、と思ってしまう。

待つ必要がなければ、人より早くいろいろな事ができていいだろうが、魔法の杖の一振りで様々なものが出てくるわけでもない。
世界一の処理速度を誇るコンピュータであっても、数値の入力が終わる前に計算結果は出てこないし、どんなに速く移動したとしても光の速度は超えられない。

要するに「待つ」事は絶対必要。

ただ待っているだけでは、そのうちイライラしてしまい、自分の首を絞めるだけになってしまう。
「待ちきる」ためには「待つ」事を忘れなければならない(と本書の中に書いてあった)

「待つ」事は、自分の意のままにならない事に従わなければならない事でもあるが、むしろそれを楽しむくらいの余裕が必要なのかもしれない。

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2012/11/06 17:32

投稿元:ブクログ

「待つ」ことは、必ずしも期待や予感、望みだけを伴うものではない。諦めや放棄といった、一見「待つ」とは相容れない行為とも深く関わりがある。そして『ゴドーを待ちながら』の二人のように、もはや待つために待っている、ということもありえる・・・。「待つ」ことの深さを教えてくれる本。

“・・・電車を待つ、返事を待つ、出産を待つ、春の訪れを待つ、刑期明けを待つ、そして酒の発酵を待つのと同じ、予期としての<待つ>である。そのときひとは、「いま」というところから、未来を完了態で先取りしようとしている。が、これは未来の経験の半面でしかない。あるのかないのかさえさだかでない、なんのはずみで起こるのかわからない、不意を襲ってふりかかる・・・といった思いがけなさの感覚が、未来の経験にはたしかにあるからだ。
<待つ>にも同じように、何を待っているのか自身にもわからないような<待つ>があるのではないだろうか。そう、予期ではない待機としての<待つ>が。あるいはさらに、あらゆる予期がことごとく潰えたあと、諦めきったあとで、そこからようやく立ち上がってくる<待つ>が。” (本文P.28)

2006/11/28 23:10

投稿元:ブクログ

烏兎の庭 第三部 書評 10.28.06
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto03/bunsho/matu.html

2008/11/17 00:32

投稿元:ブクログ

影ながら尊敬してるある人からもらった本。
鷲田氏をおすすめしたらこれくれたw
ほんっと、おもしろいです。鷲田バンザイ!

2009/01/10 21:21

投稿元:ブクログ

またなくてよい社会になった。待つことができない社会になった。意のままにならないもの、どうしようのないもの。じっているしかないもの、そういうものへの感受性をわたしたちはいつしか無くしたのだろうか。偶然を待つ、自分を越えたものにつきしたがうという心根をいつか喪ったのだろうか。ときが満ちる、機が熟すのを待つ、それはもうわたしたちにはあたわうこなのか。
自分におこった不具合をなんとかしようとするcopingひと程周辺症状、なかでも妄想や徘徊などの陽性症状を招き寄せることが多い。なんとかしようという意欲まで失ってしまうと、陽性症状はあまりみられなくなる 痴ほう パッシングケア、 パッチングケア

2007/03/05 20:24

投稿元:ブクログ

まず、表紙が素敵。つぎに、目次がひきつける。


何を待つでもなく「待つ」
「自分を中断し、放棄する中で浮かび上がってくる<待つ>」
(アイデンティティ=自己)同一性からの逸脱。ゼミで野矢茂樹「心と他者」、井上達夫「他者への自由」を読んで以来、「自己」からの解放、自己への自由、そういったワードにめぐり合うことが多い。

私自身の「自分を所有しすぎている」という窒息感も満更独りよがりではないのかもしれない。
「そして意識が緊張を高めるにつれて、「意識レベルでの知覚は著しく減少し、サブリミナルな刺激については一層敏感な状態になっていく」(ウィルソン・ブライアン・キイ『メディア・セックス』)。つまり、意識が緊張すればするだけ、ひとはサブリミナルな刺激に対して無防備になるということだ。」(P.46)


ケアの話は勉強になる。

2007/06/15 02:04

投稿元:ブクログ

保証のなさが、「待つ」を成り立たせしめている。確かに、ある時間に確実にくるのであれば、私もその時間に行こうとするだろう。

2012/02/29 13:33

投稿元:ブクログ

鷲田さんのなかではそこまで好きではないかも。答えの見つからない、同じところをぐるぐると循環し続けるかんじ。

2012/10/29 23:37

投稿元:ブクログ

ものを長い眼で見る余裕がなくなった。仕事場では、短い期間に「成果」を出すことが要求される。どんな組織でも、中期計画、年度計画、そしてそれぞれに数値目標を掲げ、その達成度を測らないといけない。

せっかちは、息せき切って現在を駆り、未来に向けて深い前傾姿勢をとっているようにみえて、実は未来を視野に入れていない。未来というものの訪れを待ちうけるということがなく、いったん決めたものの枠内で、一刻も早くその決着を見ようとする。待つというより迎えにゆくのだが、迎えようとするのは未来ではない、ちょっと前に決めたことの結末である。決めた時に視野になかったものは、最後まで視野に入らない。かたくなであり、不寛容である。

意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性をいつか無くした。偶然を待つ、じぶんを超えたものにつきしたがうという心根をいつか喪った。

「待つ」という行為は、そうした「応え」の保証がないところで、それでも一方が関係を願いつつ、あるいは信じつつ、それを保持しようとするところに生まれる

「待つ」ことはしかし、待っても待っても「応え」はなかったという記憶をたえず消去し続けることでしか維持できない。

意のままにならないもの、偶然に翻弄されるもの、じぶんを超えたもの、じぶんの力ではどうしようもならないもの、それに対してはただ受け身でいるしかないもの、いたずらに動くことなくただそこにじっとしているしかないもの。そういうものにふれてしまい、それでも「期待」や「願い」や「祈り」を込め直し、幾度となくくりかえされるそれへの断念のなかでもそれを手放すことなくいること。

待つことは、偶然の(想定外の)働きに期待することが含まれている。それを先に囲い込んではならない。つまり、ひとはその外部にみずから開きっぱなしにしておけるか、それ「待つ」には賭けられている

「待つ」は、いまここでの解決を断念したひとに残された乏しい行為であるが、そこにこの世への信頼の最後のひとかけらがなければ、きっと、待つことすらできない

未来や過去をもてるというのは、現在から離れるということであり、現在にあって不在のものを思うことができるということである。

いつまでも過去になってくれない疼き。疼きは原因となった出来事が過ぎ去ったにも関わらず、いまも執拗にわたしに襲いかかる。ひとを「いま」に閉じ込める

言葉は「いま」から引き剥がしてくれるものである言葉によって人は時間の地平を超える。目の前にあるもの(現前)から離れることができるということ、それが希望と追憶を可能にし、誇りと落胆をもたらす。

未来があるというのは希望がもてるということである

☆夢を想起するという体験が、「夢を見た」という経験に他ならない。
→既に経ているもので、そこに回帰や意識がないもの、それが経験。認知するたとえば言語や映像で。それが体験。体験に昇華した時、それは自分にとって現在から一歩俯瞰してみる距離を得たこととなる。それは過去や未来を得ること、すなわち希望と追憶への端緒になりうる。誇りと落胆をもたらし、駆動する力となる。

「予」という字が示している如く、それらは未来の到来に先だって、あるいはそれに備える形で「あらかじめ」未来に投射される

すでに知っているにちがいないものを予期する。このとき、未知は既知の派生態でしかない。「何か」への期待には、こうした既知のものからする予期が含まれている。過去になにか参照しうるもの、ないしは参照するべきものがあり、それを引いてくるのが、予期や予測というものである。そこには真に未知であると言いうるものはない

待つというのは、その意味で、応えの保証がないところで、起こるかもしれない関係をいつか受け入れられるよう、身を開いたままにしておくこと

期待が彼の中に集結させる注意力は、彼の期待しているものの実現を獲得することにあてられるのではなく、ただ期待だけによってあらゆる実現可能な事物を遠ざかるに任せることにあてられており、実現不可能なるものへの接近なのだ

期待するなかで、期待されているその当のものがしだいに遠ざかってゆき、ついに何かを期待することそのことからも逃れてゆく。その時に注意がめざめる。その注意が、「彼を期待されざるものに向かって開く期待の無限」へと連れてゆく

待つ中で、待つことじたいへの意識が、意識の全面を覆うようになる。いいかえると、意識が「待つ」というただ一点に収斂し、それにがんじがらめになってしまう。待つが待つこととして純化してゆき、待つこと以外考えられなくなる。これがおそらく「待つ」が頑なになるということなのだろう

意識がこのように集中し出すと、外界からのさまざまの感覚入力に対して意識的に感知する部分も、ごく限られてくる。捕獲の網がそれだけ狭まっているからである。意識が緊張を高めるにつれ、「意識レベルでの知覚は著しく減少し、サブリミナルな刺激については一層敏感になっていく」。つまり意識が緊張すればするほど、ひとはサブリミナルな刺激に対して無防備になる。不安定になる。

待ちきるためにはひとまず、「待つ」という心の構えを解かねばならない。待つということを停止せねば、待ちきることはできない

☆幸、不幸をながくとらえぬこと。小刻みにとらえること。周囲を短く考えることにすること。老いの防ぎの方法

☆小さな小さな出来事にかまけていること。埋没すること。あとはきっと時間がなんとかしてくれる。

☆語る。つまりはじぶんを鬱ぎから解き放つそのプロセス。語るものがみずから語ることでその鬱ぎから距離をとれる。聴くものは要約してはならない。物語を提示してはならない

溺れたままでは語れない。とぎれとぎれに語る、その重さを聴く者は耐える。

待機性というのは、もっと鷹揚なゆったりとした内的状態。

性急さ、すなわち現在を無視して未来へととびこむことや、焦燥感、即ち未来を無理におのれの内に引き入れることは禁句である

待つの飽和度を減じてなお待つ。静かな期待。九鬼のいきとの重複。色っぽい肯定のうちに黒ずんだ否定を隠している

待つ。願望の遮断。

気を余所へ���ること。たとえば記憶を遠ざけること、思い出を喚起しそうなすべてのものを廃棄する、どんな些細な変化の兆候も予兆と受け止めないこと。いやそもそもその兆候を探らないこと。いかなる意味ありげなものにも感応しないこと

☆相手が追いつめられるまで待つ。つまりは切り抜けられないところまで。底つき体験のようなレベルまで。困ってもらわないと事態は動かない。

患者を思い通りに、しばしば扱いが楽になるようにコントロールしたいという願望があるが、それは援助者の自身の裏返し

ときにはあえて、事の本質にはふれないで、焦点をずらす

なにかを本当に理解するというのは同化ではなく、貪欲で自己愛的な自我の放棄、つまりは所有権はく奪をともなうもの。これまでなじみのなかった何かを理解したときには、ひとはもう、おのれの軸を移し、自己を理解する新しい地平に入っている

どんな理屈のとおったストーリーを紡いでも、被援助者においてそれが破たんするまで待たねばならぬ

何かを創るという意志はかえって邪魔。

礼拝の目的あるいは効果が精神の神秘的な力を高ぶらせるところにあるとは僕は信じていない。それどころか、礼拝の原則はいろいろな衝動を訓練して情熱や感動を静めるにある。

精神をまるで機会のようなアパティ(無感覚)の状態に置くというぎりぎりの緊張の中で、かろうしてそれはなりたつ

☆彼らにとって、時間はつねにどこかへ至りつくその途上でしかなかった。それは「目的」を果たすためのプロセスでしかなく、したがって時間はその未来に向けて駆るものでしかなかった。それ以外の時間は、ただつぶすためにあるのでしかなかった。そうした暇つぶしとしてなされる行動はすべて、無意味であり、脈絡のないものであり、退屈なものだった。

何のためにいまこのような行動をとっているのかを考え続けなければならない。その目的が見えないときには、その過程でなされるすべては時間つぶしになる。

なぜ到来を待ち望むのか。逆説的なことだが、待つことができないからである。

待つことを放棄することがそれでも待つことにつながるのは、そこに未知へのなんらかの開けがあるからである

▲不意の客を迎え入れること、それは客という他者をわたしのうちに併合することではない。それは他者を自己へと同化することではなく、逆に他者の前に自己を差し出すことであり、その意味で、他者との抜き差しならぬ関係に、みずかrを傷つくこともいとわずに挿入してゆくこと。わたし独りが関係の意味を決めるのではない。そういう他者との関係の中にみずからを据えること。

自分自身がじぶんにとって他者のごとく疎遠なものに転化するということ。歓待はそのような自己の崩れのなかにしか訪れない。

待つことはようへんというよりか、発酵。相手がおのずから発行し始める、そのように関係の布置としての場

わたしの意識のいとなみではない。待つ、は我思うというかたちで生まれる出来事ではない。

2008/03/27 16:07

投稿元:ブクログ

4月に東野圭吾3連続で読んで、その次がこれ、というのが、今見たら笑えます。笑
現代は、「待てない」社会になっている、と。
たしかに。私もそうかもしれません。
ゆとりを意識しなくちゃ。

2007,may

2014/02/05 16:56

投稿元:ブクログ

染みわたる。言葉だけをこねくりまわしてるのではなくて、経験や実感に基づいて話している感じがするし、優しい口調が好きです。悩ましい出来事に、ヒントがもらえる、そんな本。

2013/01/14 00:15

投稿元:ブクログ

待つ。待ちこがれ、待ちかまえ、待ち遠しくて、待ち伏せ、待ちかね、待ちあぐね、待ちくたびれて、…。
もう常に人は何かは待ってるんじゃないかと思うくらい、いろんな待つが出てくる。期待と待機ってすごくわかりやすい。いろんな例が出てきておもしろいけど、気を抜くと迷子になりそう。

あと表紙の写真の待ってる感がたまらない。

2011/05/03 13:18

投稿元:ブクログ

僕が通っている大学総長の一書。
待つことの重要性を教えてくれる。待ってなくなった現代のせせこまっちさ、みみっちさを感じさせてくれる。

ここでいう<待つ>は、ゆとりとは違います。時間の云々ではないです。
自分を開くとう意味に近いと思います。

一度お会いしたいと思っています。
今度、伺ってみようっと。

2010/07/29 08:48

投稿元:ブクログ

途中話が認知症治療とか老いの方へ向かったが、引用している小説や色々な人達の言葉と共に印象的だった一冊。

2009/12/25 20:50

投稿元:ブクログ

待つことという肯定 希望
期待することを放棄した先にある「待つ」ということ。
待つことという自由。

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