紙の本
ドリアンさんの優しさの結晶
2016/08/26 03:22
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投稿者:szk - この投稿者のレビュー一覧を見る
『叫ぶ詩人の会』と出会ってからもう20数年。いつもドリアンさんが目を向け言葉を紡ぐ人たちは一歩、二歩社会の中枢から身を引いている人たち。この小説の中に出て来る人々も毎日をただ頑張って生きている人たち。必死に正直に真面目に頑張っているのに、ふと立ち止まると報われていなくて戸惑ってしまう人たち。そんな時の心の叫びが8編のお話になっている。『黒猫のミーコ』の雅代さんが時々つぶやく「許そう」。私にも響いた。私も「許」そう。色々なことを。どの登場人物も「さん」づけで書かれていてる。ドリアンさんの柔らかな優しさだ。
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多摩川べりに住まう、ほんのわずかな縁で繋がっている人たちの切ない話。
繋がっているとは言え、互いの人生にはほとんど干渉することなく。それぞれがそれぞれの重さの人生を背負って生きているだけ。
読み終えて、あらためて気づいた。目次の前の中扉の言葉。
「目を覚ますと、風景は変わっていた。」
些細なことで、そんな自分自身の変化に気づくこともあるかもしれない。
そうであればいいな、と思う人の願いかもしれない。
そんなことを思いながら、すべての短編のあとに綴られた一篇の詩に目を落とす。
風景は変わらない。自分も変わらない。
ただ眠っていた間に、自分は流され、眼に映る風景も、いつの間にか時の経過にまかせて、自分の後ろへ置き去りにしていただけ。
こう読んだ。やるせない感情が胸に広がった。
何も変わらないまま、何もかもが変わる。川の流れとは、時の移ろいとは…そのようなものか。
救いようのない心を抱えたまま、人は変わろうとしても変われなかった自分の一生を過ごしていくのだろうか。
やるせないなあ。。そのとおりだろうなあ。
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多摩川を舞台にした連作短編集。多摩川沿いに住んでいるので、気になって購入。
目新しいようなストーリーではないかもしれませんが、多摩川という舞台が良い味を出しています。近隣住民の贔屓目かもしれませんが。
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多摩川、京王線、土手沿いの遊歩道の風景、これはまさに地元です。京王線沿線の啓文堂さん(これも地元の本屋さん)にお勧めのポップと一緒に平積みされてあり、思わず手にとった次第です。
8つの短いストーリーが微妙に絡み合い、そこかしこに出てくる多摩川周辺の風景に、地元ごひいきには、幾度となく”あるある”、”そう、あそこの風景”とうなずいておりました。
ストーリーはどれも仄かに切なく、じんわりと心にしみてくるお話し。中でもバードウォッチングの絡んだ「越冬」は、大栗川と多摩川の交差する知る人ぞ知る野鳥のスポットでもあり、私も幾度となく足を運んだ場所。どこかで作者のドリアン助川さんと出会っていないだろうかと思うと楽しくなってしまいます。
多摩川、多摩丘陵は東京の郊外で自然が残る本当に良いところです。是非足をお運びください。サイクリングロードの自転車散歩がおすすめです。
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岸辺の街の小さな食堂で、映画撮影所で、月明かりのアパートで。名もなき人びとの輝ける一瞬を描く短篇集。「花丼」など全8篇。
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古本屋で、タイトルがふと目に止まってお買い上げした1冊。
短編集なのですが、どれも大泣きしてしまった…泣きたい時に読む本決定です。悲しくて泣きたい、とか、泣いてすっきりしたい、とかなくって『泣きたい時』に読む本。
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短編。暗い部分がありつつも希望を感じられる。感動する部分も結構あり、電車で読めないことも。
皆が苦しくて悩ましい生活の中、いろいろ考えながら、いつの間にか助けになったり、助け合ったりしている。それぞれの登場人物の表現が個性があって良かった。
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多摩川は馴染みの深い川であり書店に平積みされていることもあり購入。
最初の「黒猫のミーコ」を電車で読んでいたら泣きそうになり危なかった。
著者の名前は知っていたがこれからもう少し読んでみよう
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前に「あん」を読んですごく心地良い温かさを感じたから、同じ著者の小説をもうひとつ読んでみようと思って…
この小説も、じんわり涙が出てくるような温かさに包まれてた。
感動の押しつけはまったくないんだけど。ほんとに、じんわり、という感じ。
多摩川沿いで生活を営む人々の短編集。多少、連作めいた要素もあり。
野良猫に名前をつけて可愛がる農家の中年女性、古書店で働く恋する青年、川べりに棲むホームレスに絵を教えてもらった少年、閑古鳥が鳴く食堂の主人、妻をなくしたシングルファーザーetc
日々を送る人々の傍にはいつも川があって、そこには悲しみや辛さや笑顔がある。
ただ通りすがるだけの川、時に訪れて遊ぶ川、たまに脅威にもなる川。
普段そこにあることは意識しなくても、そのエネルギーに影響される、自然というものの力。
それぞれの人間にドラマがある、ということを改めて思った。
毎日、ただすれ違うだけの人にも、生きてきた年数分のドラマがある。
衝撃的なことはめったに起きないからこそ、取り立てて大きな衝撃が起きない物語群がとてもリアルで、とても胸にくる。
日々生きてて、あぁ嫌だなぁと思うこととか、ちょっと嬉しくて笑っちゃう感じとか、してしまったことを悔いて落ち込むこととか、そういう些細なリアルが溢れてる。
最後に温かさが満たす、そういう物語ばかりじゃないのもリアル。
生きてて痛いことも、たくさんあるもんね。
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都会を流れる多摩川沿いに暮らす、年齢も性別もさまざまな人々の何気ない日常のお話し。裕福だったり、そうじゃなかったりするけれど、共通するのは悩みがあること。けれど、ちょっとしたことがきっかけで、すうーっと雲が流れて太陽が顔を出すように解決する。
以下本文より
「人間はね、うちのそばの多摩川を流れていく葉っぱのように、岸辺のあらゆる景色を見て行くの。だからいい時も悪い時も、すべての景色を味わうのが人生なんだとお母さんは思うわ。」
市井の人々の格言です。
ドリアン先生、今回もありがとうございました。
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過小評価されている作家の筆頭であるドリアン助川。名前が悪いのでしょうか。
「あん」で知名度が上がって見な手に取るかと思いきやいまいちパッとしないです。「新宿の猫」とかかなりの佳作だと思うんですけどね。
本作は題名通り多摩川のほとりの町での連作で、どれもこれも少々苦くてでも希望にあふれた物語です。この苦みというのはドリアンさんの本には欠かせない要素で、誰しも何かを失って生きている事を感じられるんですね。優しい視点で描かれながらも、人生の味というのは苦みも含めての事なんだなと思わせてくれます。
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花丼、越冬と月明かりの夜に、が好きだった。
花丼
もう家賃などの支払いも無理で、客も入らないどうにもならなくなったオーナーは、自死しようとしていた人を助ける。そして自分の食堂に連れていく。
すぐに温かいものを食べさたいが、仕込み前で何もない。仕方なく、まかない飯を出す。そうしたところ、大喜びで、お替りまでする。
その後、花丼と名付けたこのメニューを食べに来る人がたくさんあるように。あの時救った人は看板屋さんだった。食堂に、花丼の看板を置いてくれていた。
越冬
シングルマザーとシングルファザーの話。それぞれの子どもが、学校で隣の席に座っていたことから、一緒にバードウォッチングに行く。距離が、だんだんと縮まる中、シングルファザーに関西への転勤が。シングルマザーに、一緒に4人で関西に行かないかと言うと、おもいがけない返事が。一緒に行きますが、このままそれぞれの父、母として4人で暮らしましょう。それぞれの子どもに、他に好きな子ができたら、その時に私は50を過ぎてますが私を花嫁にしてもらえますか?
月明かりの夜に
シングルマザーの子どもとして育った良美。母親に散々わがままを言いながら育った。ある時、今日からあなたの母親は、いません。友達として暮らすので、正子ちゃんと呼びなさい、そして家事の割合を増やす、と。
そんな年月が流れ、母親は亡くなる。遺品整理の中、近所の人にあげた落語のテープ。これはあなたが持っておくべきものだ、と言われ、母親が最後に聞いていたものだと思い聞き直す。するとその中に、母親の肉声が入っていた。
どれも、少しずつ自分に似ているところがあったりして、じわじわくる。生き方、子どもとの接し方、など日々試行錯誤しながら、なんとかここまで来た。そんなに世の中、捨てたものでもないし、なんとかなるさ、そんな気持ちになったりする。でも、ここに描かれているのは、令和のいまでなく、昭和なのかな…
重い本ではなく、サラッと読み切れる短編集。
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8編からなる短編集。最初の二編辺りでもう、やっぱりこの作家さん一番好きだわ〜と、ときめいた。もっと評価されていい作家さんだと心から思う。
中でも、「黒猫のミーコ」「明滅」「台風のあとで」「花丼」は特に好きだった。
ドリアン助川さんの文章には優しさが溢れている。その人物の心の声を、1つずつ丁寧に掬って文章にしてくれる。余白を省いて、行間を読みなさい!というスタイルではなく、読む人にも優しい。なので、読んでいる最中はあれこれ考えることなく、その人物の心が素直に真っ直ぐに心に刺さってくる。では、簡単な内容なのかというとそうでもなく、読んでいる間中、そして読後も、その風景や、人物の感情、どうかすると、その周りに生きる人々まで含めた世界観が、しばらく自分の周りを覆っているような、別世界でありながら、とても親しみのある所へ身を置かせてくれる。しっかりとした物語の世界の中で、読者はあれこれと想像を働かせることができる。そして、その多くは、本来日頃の生活の中で感じ得る人間の優しさであったり、辛さであったりする。これこそが、人の気持ちを考えたり、想像したりするということではないだろうか。
そして、最後に突然の散文詩。スケールが大きく、何者も近づけないような大きな流れた時の存在。震えました。
今読んで良かった。こういう本を読みたかった。文が美しく、現実の生活に即していながらも、なかなか出会うことのない人の真心や優しさに触れさせてくれる本。移り変わる自然の風景と人生の時。
上質な上にわかりやすい文章なので、若い方にもたくさん読んでもらいたいです。
好きだったところ******
少し前に南の風が強く吹いたろう。あれが春の挨拶だ。透き通った刷毛を走らせて、自分の通り道を見せていく。131
今日も一人励ましたと、言った本人だけは思っている。相手の思いやりの方が上でうなずいてくれたかもしれないのに、いいことを言ったような気分で鼻の穴を膨らましている。
だが、一人ぼっちになると、他人を励ました分だけへこむようなところが継治さんにはあった。すべては虚勢なのだ。166
良い時も悪い時も、すべての景色を味わうのが人生なんだとお母さんは思うわ。235
時よ、いつ過ぎ去ったのだ。
輪郭のつかめないこの風景を、
今、愛せよというのか。
なにもかも、これが本当の姿だというのか。239
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ドリアン助川さん、放送作家にラジオのパーソナリティに、そして作家業に多才なんだ。たくさん表現して行く行き方なんだ 多摩川は遠すぎて思い入れはないけど、8人だけじゃないまだまだ物語に富んで2出来てもいいね。正子さんの回が好きかな 娘を1人で育て上げ、逃げずに自分の言葉で立ち向かう、線香を上げにきた友達の会話で人となりも分かる。良い人だった 最後の多摩川を舟で下る回想は正子さんで切ないけど、多摩川に見守られる人生って良いと思う。あんを読んでこんな胸打つ物語をもっと読みたいです、で本屋に出ないのが切ない。
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ドリアン助川、映画「あん」の原作者という知識しかありませんでしたが、短編もいい。とにかく文章力は嫉妬を覚えるほど素晴らしい。こうした良い文章に触れるといつの間にか読む方も心が豊かになります。
内容は、どこにでも居そうな庶民の姿が、思いやりやお節介を通して人生の襞として描かれる連作集。特に、心の底で遠い記憶に埋もれていたはずの出来事が、あることをきっかけでさざなみの様に蘇ってくる様は、時を経ることによって甘酸っぱくより芳醇さを増しているようです。短編小説の名作です。