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田舎でロックンロール

田舎でロックンロール みんなのレビュー

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みんなのレビュー28件

みんなの評価3.8

評価内訳

28 件中 1 件~ 15 件を表示

2015/04/29 20:21

投稿元:ブクログ

岐阜の田舎出身の奥田の中学高校時代の洋楽体験
LP約5000枚
アナログオーディオ購入
元の音がいいと音が違うことを確認

2014/12/18 18:49

投稿元:ブクログ

小説かと思ったらエッセイでした。
作者の青春の思い出にまつわるロック話が多いため、
作者と同世代の人なら楽しめると思います。

2014/12/14 13:41

投稿元:ブクログ

オクダ少年のロックな日々!?私は疎くてほぼ知らない世界なのですが、それでも十分に楽しめました♪
ちなみにツレは、ほとんど知っているようでしたね~w
聴いてみたいアルバムもあったので、ツレの膨大な・・・というより整理されていないコレクションのなかから発掘してもらわないとww

2014/12/19 09:43

投稿元:ブクログ

丸刈り坊主が田舎道を「アビィ・ロード」を自転車の荷台に積んで爆走…という表紙のイラストに釣られて読みました。70年代洋楽ロックが好きだった同世代の人にはたまらない本なのではないでしょうか。本で紹介されていたレコード、あまり知らないのもあったのでちょっと探しに街に繰り出したいです。

2015/01/21 11:19

投稿元:ブクログ

時代は違うのに自分の中高時代を書いてもらえてるみたいで端々で嬉しくなった。奥田英朗が好きなのは育った環境が似てるからかなぁと想像してたけど、本当に似てることが分かった。修学旅行の整列の練習をするのなんてうちの中学くらいと思ってたけど、他にもあったのか。

2015/03/08 08:22

投稿元:ブクログ

うむ〜奥田英朗の小説を楽しみにしていたが、少年時代の音楽に語るエッセイでちょっとがっかり。でも、同じ世代で音楽紹介は、懐かしい。途中で積読だが、もう読まないだろうな〜。

2015/01/12 23:21

投稿元:ブクログ

本書は、ボクにとっての憧れの時代をニッポンの片田舎でリアルタイムに過ごしたロック少年、奥田英明のエッセイである。

ボクが洋楽に興味を持ったきっかけは1年上の先輩のバンドが奏でるメロディーだった。
多分、文化祭だったのか謝恩会だったのかその出し物としてバンドの練習をしていたんだと思う。
ボクは毎朝校舎の中庭でテニスをしており、そんな中、中庭を囲む音楽室のほうから聴き慣れないメロディーが流れてきたのだ。
後で知ることになるその曲はJOURNEYの♪Don't Stop Believin'♪だった。
出だしのピアノのメロディーに、なんだこれはっ!?とまさに天啓のよぉ〜な出会いだった。
以来、ボクは当時のFENのヒットチャートを毎週心待ちにし、ミュージックライフを初めとする音楽誌を貪り読んで情報収集に励むガキとなる。

若干こじらせ始めるのはRainbowに出会い、Deep Purpleに先祖返りしてパープルファミリーに手を出し始めたころから、完全にこじらせてHR/HMの暗がりに我が身を投じることになるのだが、それはまた別の話(笑)

まさに本書の主人公奥田少年と同様に田舎の洋楽少年ならではの情報への飢餓感や、中学生ならではの経済的な限界をどうやるくりするかなど当時の自分が思い起こされ、本書全編において当時の自分を観ているかのように面白可笑しく、そして懐かしさに満たされたまま読了した。

あとがきで作者はこういう。

『本エッセイは一九七二~七七年までの、わたしの洋楽青春期を綴ったものであるが、七七年を終わりにしたのはポピュラー音楽史においても必然だったとあらためて思う。ロックもソウルもジャズも、七八年になるとシーンがガラリと変わるのである。
ロックはAORと産業ロックへ、ソウルはディスコ・ミュージックへ、ジャズはフュージョンへと、まるで計ったように同時期に、それぞれが舵取りし、ひとことで言えば商業主義の産物となった。これまでロックの「ロ」の字も口にしなかった連中が、大学生になるやいきなりサーファーに変身し、「イーグルスって最高だぜ」なんてことを言い出した。まるでブティックで服を選ぶように、音楽もファッション・アイテムのひとつとなった。まったくもってクソな(しかし金になる)時代に突入するのである。だからあらためて、わたしはラッキーな世代だと思う。ロックの無垢な時代が、自分の青春期だったのだ。』

ボクがこの時代に憧れる所以である。まさにそうなのだ。
ボクが洋楽に目覚めたのはすでに産業ロックが確立し、さらにはMTV時代の幕開けと共にエンターテインメントとしての音楽が重視され始めた時期なのである。
故に、ボクの洋楽嗜好は高校・大学をかけて60年代後半から70年代のまだ不定型なものであり、実験が繰り返されていた時代のロックへと遡っていくことになる。

当時からの自分の音楽コレクションはCDから全てiTunesで管理されている。中学高校というまだ感性豊かな時代に洋楽に出会えてあらためて良かったと本書を読み終えて思った次第である。

2015/05/03 10:54

投稿元:ブクログ

誰が言ってたかなぁ
人はこれまでに食べていたもので出来ている

さしずめ「文」ならば
これまでに触れてきたもの
これまでに見てきたもの
これまでに聴いてきたもの
これまでに考えてきたもの

支えられてくるのでしょうね

1959生まれの奥田さん
その時代に生まれて
そのあと
耳に入ってきた「音」
共通項が多ければ多いほど
そのおもしろさの度合いも
多くなることでしよう

私も むろん その一人です

2015/09/12 05:34

投稿元:ブクログ

岐阜の田舎で育った奥田英朗氏のエッセイ。ロックンロールに憧れ、ロック狂いの中学、高校時代を描いた作品。ほぼ同時代を生きた者としては、そうだったそうだったと思い出しながら読むことができる。

2015/07/23 08:04

投稿元:ブクログ

自分とは10年のギャップがあるかな。
私も学生のころエアチェックしたりしたものです。オクダ少年のロック体験は共感するところ大きいです。
学生の10年は大きく体験談としては同世代体験とはいかないので、ふ~んみたいな一歩外側から眺めちゃいます。仕方ないですね。

・リテラシー、素地、ベースが必要
・好きになろうとする、理解しようとする向上心
・ミュージックマガジンと中村とうよう氏

自分にもオーバーラップします。

本や映画もそうだけど音楽も出会ってないものがいっぱいあります。手元においとけば70年代へ導いてくれる一冊になります。図書館に返しちゃうだけどね、ボクは。

2015/07/16 02:27

投稿元:ブクログ

読んで良かった。図書館で何気なく。久々のエッセイ。エッセイなんて読むつもり無かったのだけど。間違えた。「20世紀少年」読み返してしまった。泣いた。あと、ジェイムス・ヘイブンスに想いが馳せた。感傷。

最近、奥田英朗さんの著作、読んでなかったから、ますます読みたくなった。何を読むか。

2014/12/11 17:49

投稿元:ブクログ

奥田さんのロックンロールにかけた中学・高校時代のエッセイ。
同郷同世代の私には頗るよく分かる時代背景。
そうそうそうだった!の共感の連続。
ただオクダ少年ほどロックに興味はなくちょっと残念。
奥田さんのロック心酔度は半端なく、今でもあの時代のロックを熱く語れるのだろう。

2014/12/24 01:48

投稿元:ブクログ

1972年~1977年までの、奥田氏中1から高校3年までの洋楽ロック青春記。
同じようなものにイラストレーター牧野良幸氏の「僕の音盤青春記1971-1976」がある。牧野氏は愛知県岡崎市。奥田氏は岐阜県各務原市。牧野氏のも中学から高校にかけてのもので、70年代に、田舎で、中高時代に洋楽に目覚めのめり込んでゆく、という図が描かれている。同じ時期、同じような田舎で、ラジオから、何か今まで聴いてきた日本の音楽とは違う、聴いたことの無い、ワクワクする音とで出会う、このワクワク感、初めて経験する、というこれが青春だろう。

奥田氏は、中一になり小遣いでラジオを買う。最初は南沙織や天地真理などの歌謡曲、そしてフォークに移り、AMラジオにリクエスト葉書を出す。半年もすると外国のポップスに心をとらえ始める。「木枯らしの少女」「愛するハーモニー」「気になる女の子」・・ これら外国の音楽に惹かれた理由を「なぜかしらん、自分でもよくわからん。西洋に対するあこがれがあったのか。」「外国のポップスを聴くと、日本の音楽はどれもみすぼらしく感じ、もう歌謡曲にもフォークにも戻れなくなった」とある。英語に関しては「ボイス、楽器として聴いている」と。ここがまったく同じだ。

日本語の歌が好きな人にはよく、意味もわからないのに、といわれるが洋楽に夢中になるタイプは、英語、歌詞の部分は楽器として聴いているのである。ここのところが、邦楽派か洋楽派かへの分かれ目ではないか。

奥田氏がロック好きなのは小説のはしばしからこぼれていたが、この本でそれが明かされる。当時外タレ(古語ですか)は東京にしかこないものと思っていたが、名古屋にはけっこう行ってたんですね。氏は高校時代にクイーンとかサンタナを名古屋で観ている。

2014/12/05 12:59

投稿元:ブクログ

久しぶりの奥田エッセイ。期待通りに、いやそれ以上に面白かったー。好きだなあ。

著者がロックおじさんであることは知っていたが、その始まりとなる中学から高校までのゴールデンエイジのことが語られている。同い年である私には、ああそれよくわかる!というエピソード満載。①田舎育ちの②50代で③多少なりとも「洋楽」に興味のあった人は、心から楽しんで読めるはず。ディープパープルやツェッペリンに魂を奪われた人なら、悶絶ものでは? これに当てはまらなくても、一風変わった青春記として十分読む値打ちがある一冊だと思う。

レコードを買おうにもお金はなく、町にレコード店と呼べるほどのものもなく、そもそも家にステレオもない。そんな中学生がロックに目覚め、ラジオにかじりついて好きな曲を何とか聴こうとする。念願のステレオを買ってもらったときの天にも昇る心地、高校生になり初めて行ったライブのめくるめく興奮、やっとの思いで買ったレコードがスカだった時の激しい落胆。いやいやまったく、ロックに限らず、昭和の(田舎の)子供は好きなものが容易には手に入らなかったものよ。情報もすごく限られてた。オクダ少年の喜怒哀楽はまことにうなずける。

私自身はロックにさほど興味がなくて、「洋楽」との出会いはカーペンターズやミッシェル・ポルナレフ、その後ビートルズ、流行ったのはそれなりに聴いたけど「ホテル・カリフォルニア」止まりであった。奥田氏の当時から今に至るロックへの「愛」と傾倒ぶりに感嘆しつつ、そういうマニアになる人とならない人との違いを指摘した次のくだりに、かなり納得した。
「わたしの印象では、洋楽ファンの枝分かれは、このインプロビゼイションに反応できるかどうかだったような気がする。延々と続くギターソロやドラムソロを退屈に感じる少年少女も当然いるわけで、そういう子たちは演奏よりも曲が好きだったのだと思う」

マニアではない身にとっては、当然ほとんど知らないミュージシャンの名が次々登場することになるが、絶賛したりクサしたりするその評がとても面白いのだ。知らないのにねえ。各章の終わりについているレコード評も、字が小さいのにみっちり楽しんだ。やっぱり愛があるからかなあ。難解とされるライ・クーダーについて「世の中にはこういう高等遊民がいないとそれは味気ないもので」と述べているところなんか妙に心に残った。

奥田英朗といえば、偏屈で鳴らしているわけで、ここでもそれは遺憾なく発揮されている。
プロフェッショナルな熟練の技を尊敬するゆえ、パンクも社会派も大嫌い。アイドルにも同じ理由で無関心。
「学芸会レベルの歌と踊りに夢中になる心理がまるで理解できない。あんなものがクール・ジャパンとは国辱もの」「日本人は永遠にコドモですな。ははは」

音楽性と商業的成功との兼ね合いについて書かれたところも面白い。
「さり気なく問題発言をするが、売れるというのは馬鹿まで相手にするということである。スタジアムでライヴをやるようなミュージシャンは、それを引き受ける図太さ(あるいは強烈な自己顕示欲)がなくてはならない」「(売れるというのは)聴き手のリテラシー���不要にするということなんですね」
これって音楽に限らないわけで、奥田さん自身、作家としての自分のポジションについて、ロックシーンにおけるスティーリー・ダン(えーっと、よく知らないですが)が憧れだと書いている。
「一年に一作ぐらいのペースで本を出し、それなりに売れて、評価もされ、長く愛してくれるファンがいて、裏切らない。ああ、そんな作家でいられたら--。わたしはずいぶん虫のいいこと書いてるなあ。ははは」 まったくだ。ははは。

それにしても、こういうものを書いて、同世代にしか通じない懐かし話にならないのはさすがである。その上で、同い年としてはやっぱり、つまらん小ネタに喜んじゃうのである。わたしも放課後の教室でコックリさんをしてキャーキャー言ってた中学生だったし、石橋正次の「夜明けの停車場」を今でも歌えるよ、奥田さん!

2014/11/12 20:16

投稿元:ブクログ

☆☆☆☆☆5つ!

わたしと同じ1959年生まれの奥田英朗の出身地が岐阜県だということはづいぶん前からなんとなく知っていた。
でも岐阜市で生まれてその後小学3年生から高校卒業の年まで各務原市で暮らした、という事はこの本で知った。

実はわたしが住んでいる愛知県木曽川南岸沿いのF町の川向うが各務原市なのである。
なので、犬山城下にあるダムの上にしつらえられた「ライン大橋」を渡って各務原へはしばしば行き来している。この本の舞台となる40年ほど前なら、なるほど大いなる田舎だったのだろうなぁ、と思える今でも田舎の町並みである。

この本は奥田英朗が書く70年台前半の田舎のロックンロールの本である(あ、題名でもそう書いてあるな。しつこかった、すまぬ。)
当時各務原の田舎では、いかに情報の伝達が遅くて東京の文化から取り残されていたかということが、ロックという題材を得てこれでもか、と描かれている。野球はドラゴンズでプロレスは新日本だったらしくて、巨人て何?ジャイアント馬場って誰?というぐあいだったらしい。

わたしの生まれ育った四国徳島池田町も正真正銘の田舎だったが、岐阜各務原の如く独自の文化(中京圏)など無かったので、必然的に中央東京の文化しか入ってこなかった。大阪のほうが確かに近かったが、田舎過ぎると少し近くの都会より遠いけど東京、となってしまうのであった。いやこの場でわたしの田舎の話はどうでもよい。すまぬ。

のっけの章ではオーディオの事に加えて何故かロックならぬフォークソングについても少し語っている。
そのなかで「南こうせつが出てフォークを湿っぽくするのはもう少し後のことだ」という奥田自身の思ったことをさらりと書いたところがやけ印象に残っている。
そうかそうか、こうせつがフォークを明るい場所から薄ら寒い四畳半(いや「三畳一間」だったかw)に引きずり降ろしてしまったのか。そうだったのか・・・というのは、わたしの印象でもある。同じ世代なのでそういうことなのだ、すまぬ。

奥田少年は1973年中学2年生14歳の時に家にステレオ装置が来たのだそうな。本書にはVictorの4チャンネルStereo云々と書いてある。

おやまてよ四国田舎の俺んちはもっとづっと早かったぞ。たしか小学生の早い頃から我が家にはNational Thechnics Stereoがあったぞ。そうです、うちの父親は音楽好きだったのです。当時いくらしたかは全然知らないがづいぶんと立派なStereo装置と、更にわなんとオープンリールテープデッキまであった。でっかい30cmくらいのリールが掛かる本格的なものであった。うちの親父は音楽の他に写真なんかも遣っていて自宅の階段下部屋には写真の現像/焼付けの時に使う暗室まであった。今思うと結構芸術性に富んだ家庭だったのな。

でも当時の父親の音楽の趣向は流石に演歌一辺倒で、わたしの印象に残っている一番の曲が『星影のワルツ』であった。千昌夫の『星影のワルツ』はちょっと調べると1966年発売されて、長くゆくーりぢわぢわと浸透し、ヒットチャートに登ったのは1968年の模様。そしてその頃は既に我が家にはステレオがあったのだ!ドダ。奥田んち(同い年なので���きなり呼び捨てw)よりづいぶん早いぞ!

しかしわたしは奥田の様な軽いロック少年にはならづに、正しい日本フォークの道を歩いた。
吉田拓郎のコピーに始まり古井戸チャボさんの究極アコースティックリードギターに極まったギター弾き語りの技は、その後のバブル絶頂期へ向けての殺人的会社労働環境の期間やむなく休止したが、ほどなきその崩壊とともに徐々にまた往年のギター演奏に戻って来てこんにちここに至る「弾き語りおっさん」への道がひらけてきているのだ。
なに、お前のステレオ音楽鑑賞&ミュジシャンまがい伝記なんて別に読みたくないんだよ!って、あ、そうですね。すまんこってした。

ともかくこの奥田英朗エッセイ、同世代の読者で少しでも青春時代に音楽と親しんだ経験ありの人ならもうほうずり物のオモシロ本であります。今すぐ近所の本屋でも、遠くて一番近い南米Amazonでもいいので、スッ飛んでいって読んでくださいましまし。絶体絶命的におススメです!

ああ、またもや無駄に長い文章を書いてしまった。再びもしここまで読んでくれた方がいらっしゃれば、深く感謝します。すまぬすまぬ。

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