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5 件中 1 件~ 5 件を表示

2016/08/26 09:19

投稿元:ブクログ

今年の新入生から「脱ゆとり」世代だ、と言うような言葉を聞いて自分でも使っていたのだけど、そもそも「ゆとり世代」とか「ゆとり教育」とは何なのか疑問に思っていたので、正確なところを知るために本書を手にとってみた。本書の主張としては、「ゆとり世代」という言葉や言葉の使われ方自体に否定的であるのだが、そのことの評価や賛否は置いておいてき、世間でいうところの所謂「ゆとり世代」とは、おおよそ「平成生まれ世代」と思ってよさそうです。そしてこの言葉は直接的に所謂「ゆとり教育」によってもたらされた結果と言うよりも、「新人類」とか「団塊世代」というのと同じ<世代論>を反映した呼称であって、教育だけでなくその世代が生きてきた社会背景を反映したものと認識した方が良さそうである。暗記中心の受験戦争への反省と経済成長で手にした豊かさを生活に反映させようと言う背景で登場した「ゆとり」という概念はもちろん平成よりも前から提唱されていたが、ちょうどそれが、週休2日や総合的な学習などの導入による授業数の削減という現実の教育改革、つまり所謂<ゆとり教育>の導入と重なったことで、「ゆとり教育」によって育った<ゆとり世代>と言う考え方に繋がっているようだ。最新のPISAの日本の結果などが上向くとマスコミはすぐに<脱ゆとりで学力が向上した>と言うような記事を書くのだが、その向上した結果はむしろ、ゆとり教育の成果であるのが真実のようである。

2014/12/15 16:54

投稿元:ブクログ

「ゆとり教育」「ゆとり世代」批判は根拠ある正しい認識なのかを、解きほぐす。
ワンパターンな世代論の根拠のなさと危うさに警鐘を鳴らし、「自立し共に生きる力」と「創造的公共的経験」が正しい表現であったとする。

2014/12/07 06:34

投稿元:ブクログ

私の小学校から高校まで学校で習ったことを思い起こしてみると、多くの量を詰め込んでいた感じがあります。討論をしたことはあまり記憶になく、授業ではノートをひたすらとって、テストに追われていたと思います。

それに対して、見直しが議論されて学習内容が結果的に減らされたのが、この本のテーマである「ゆとり教育」だと認識しています。私には娘が二人いますが、長女が丁度その世代にあたり、4歳下の次女はそれが変革を始めた頃に当たります。

ゆとり教育は否定的に取られることが多いですが、調べたことを発表する授業や、討論を重視する授業の素晴らしさを授業参観で感じたものです。但しそれを見ていて感じていたのは、その授業を行う先生の力量が試されるものだなと感じたものでした。

この本は「ゆとり教育」について書かれた本です。ポイントは国際的に比較した学力データで比較すると「ゆとり教育」前後で学力はそれほど変わっていないようですね。

以下は気になったポイントです。

2015/07/02 11:59

投稿元:ブクログ

『「ゆとり」批判はどうつくられたのか――世代論を解きほぐす』
(佐藤博志、岡本智周太郎 次郎社エディタス 2014)

 佐藤博志、岡本智周
 発行日 2014年10月発行
 判型 四六判・並製
 頁数 192ページ
 価格 本体1700円+税
 ISBN ISBN978-4-8118-0778-2
 Cコード C0036

【著者紹介】
  佐藤博志(さとうひろし)
1970年生まれ。筑波大学人間系(大学院人間総合科学研究科)准教授。博士(教育学)。「学校経営と子どもの学びのイノベーション」「教育改革の国際比較」「オーストラリアの教育改革と自律的学校経営」「スクールリーダーの専門的力量の開発」「グローバル化と教育の変容」をおもなテーマとして研究をおこなっている。 著書に『教育学の探究』(川島書店、2013年、編著)、『学校経営の国際的探究』(酒井書店、2012年、編著)、『オーストラリアの教育改革』(学文社、2011年、編著)、『オーストラリア学校経営改革の研究』(東信堂、2009年、日本教育経営学会学術研究賞)、共著に『新版 オーストラリア・ニュージーランドの教育』(東信堂、2014年、共編著)などがある。
  岡本智周(おかもとともちか)
1971年生まれ。筑波大学人間系(大学院人間総合科学研究科)准教授。博士(文学)。「教育内容と社会変動の関連」「学校の社会的機能」「教育とナショナリズム」「共生を促す教育的知識の探索と開発」をおもなテーマとして研究をおこなっている。 著書に『共生社会とナショナルヒストリー』(勁草書房、2013年)、『歴史教科書にみるアメリカ』(学文社、2008年)、『国民史の変貌』(日本評論社、2001年、第1回日本教育社会学会奨励賞)、共著に『学校教育と国民の形成』(学文社、2012年、共著)、『共生と希望の教育学』(筑波大学出版会、2011年、共編著)などがある。
<http://www.tarojiro.co.jp/product/5227/>


【目次】
はじめに◆「ゆとり世代」と呼んでほしくない

第1章◆朝日新聞にみる「ゆとり」言説の変遷──岡本智周
■二〇一二年版PISAの報じられ方
「脱ゆとり成果」報道/「ゆとり教育」世代が受けていたPISA/何を「ゆとり」と呼んでいるのか
■八〇年代からの「ゆとり」言説
夢や理想と地続きだった「ゆとり」/「働き方を見直し、欧米なみのゆとりある暮らしを」
■求められた「ゆとりある教育」
「学校教育を見直し、子どもの生活にゆとりを」/「ゆとりのない詰め込み教育からの脱却を」/「ゆとりある教育」のあり方を問うた九〇年代
■二〇〇二年の急転換
学力低下論、総合学習、学びのすすめ/「国の競争力にかかわる問題」——産業界の懸念/紙面審議会での議論——競争原理をめぐって
■言説が実体化させた「ゆとり世代」
揺れ動いた世代の定義/モンスター新入社員という言説/「ゆとり世代にもかかわらず」——消えないレッテル

第2章◆「ゆとり」批判の政治性──岡本智周
■ラベルを上書きする試み
価値の反転と「さとり世代」/社会や時代の問題として
■世代論の虚しさ
先行世代は後続世代をネーミングする/「ゆとり」批判の特異性
■経験主義と系統主義のせめぎあい
日本の教育におけるせめぎあい/アメリカでのせめぎあい——多文化教育をめぐって
■歴史教科書にみる学習内容の実際
系統主義と「国家」の強調の連動/記述の変遷を読み解く
■教育内容の「変化」とはどのようなものか
「ゆとり教育」で内容は薄まったか/教育内容の変化をとらえる視点
座談◆「ゆとり世代」と勝手に呼ばれてしまった当事者たちのちょっと真剣な議論
いつ、どんなときに、だれから言われてきたか/いったい、なんで、くくられる?/「ゆとり教育」と大学入試のビミョーな関係/同じ量・同じ内容の教育だと安心できる?/押しつけられたものを別の言葉で語りなおす

第3章◆教育施策のコンセプトを読む──佐藤博志
■そもそも「ゆとり教育」って、なに?
ゆとり、新学力観、生きる力/九八年改訂学習指導要領をきっかけとした批判/学習指導要領、その改訂と実施
■新学力観という原石——主体的思考・判断・表現の尊重
新学力観が目指したもの/キー・コンピテンシーと新学力観
■原石に影を落とす指導要録——「関心・意欲・態度」を評価する問題点
成績評価における八九年の変更点/相対評価から絶対評価へ/「関心・意欲・態度」は評価にそぐわない
■生きる力という原石——「自立し共に生きる力」として
打ちだされた二十一世紀の「生きる力」/「生きる力」のわかりづらさ
■生きる力とゆとりの結合——スコレーとしてのゆとり
九六年中教審答申で表現された「ゆとり」とは/スコレーの意義を理論化できなかったことの弊害
■「ゆとり」の真の意味を探る——創造的・公共的経験
教育における現代のスコレーとは/「自立し共に生きる力」と「創造的・公共的経験」を

第4章◆「ゆとり教育」の正体──佐藤博志
■九八年改訂学習指導要領の特徴
「教育内容の厳選」の実際/新設された「総合的な学習の時間」/「授業時数の削減」のとらえ方
■九八年改訂学習指導要領が「ゆとり教育」と呼ばれたとき
「三つの誤解」——元文科省事務次官の発言/批判の背景にある教育観
■文科省主導の軌道修正——〇二年「学びのすすめ」と〇三年学習指導要領一部改正
大学生の学力低下論をきっかけに/最低基準とされた学習指導要領と「確かな学力」/残る疑問
■PISAショックと学力低下批判——「ゆとり教育」批判の再検討①
二つの国際調査/PISAの成績がふるわなかった理由/PISA型問題への対応で上がった成績
■若者世代の行動様式に対する批判——「ゆとり教育」批判の再検討②
行動や性質を異質ととらえる目/理不尽な批判
■「総合的な学習の時間」の二律背反——「ゆとり教育」批判の再検討③
何が問題だったのか/「総合学習」の最大の意義
■何が必要とされているのか
グローバル対応と平和主義と/学力の二極化と高度化するカリキュラムへの対応
■「世代フリー社会」に向かって
世代の枠組みを超えて/誤った言説を解体する力

対談◆佐藤博志×岡本智周「ゆとり」批判とは何だったのか、その先に何が見えてきたのか──世代の葛藤をぬけて共生社会へ
わかりやすさゆえに力をもった「ゆとり」言説/自分たちのおかれた状況を問いなおすということ/「ゆとり教育」批判の二つの方向性と社会的文脈/協力・協 働のあり方とPISAの影響力/二〇二〇年の教育で何が目指されるのか/世代論をめぐって──区別と差別と共生と/多文化リテラシーと学校教育/世代の問 題は共生社会への試金石

2016/08/23 13:27

投稿元:ブクログ

 「ゆとり世代」という言い方に、ずっと違和感を持っていました。そのように呼ばれる世代の若者と接していても、他の年代の人との違いなど別に感じなかったし、何より「ゆとり教育」なるものが仮に行われたとしても、それが例えば携帯電話の普及のように、若者の思考や行動様式を変えてしまうほどの影響力を持つとは、到底思えなかったからです。今回この本を読んで、何となく世に流布している言説は鵜呑みにせず、自分の感覚と照らし合わせ、きちんと調べてから考えてみることが大切だと、あらためて思いました。
 ゆとり世代とは、1987年4月2日~2004年4月1日までに生まれた人たちのことです。学校で教えることなどを定めている学習指導要領というものがあります。これは時代に合うよう定期的に改定されるのですが、ゆとり世代とは、従来のやり方を「詰め込み」として反省し、「ゆとり」を持って学べるようにと改定された学習指導要領の影響下で学んだ人たちのことで、上記の間に生まれた人たちはそれに該当するわけです。因みに、「ゆとり」学習指導要領と全く関わらなくなり、「ゆとり」とは言えなくなる世代の最初は、2016年現在、小学校6年生です。
 ある世代が「ゆとり」と呼ばれ、批判的に語られるようになったきっかけはいくつかあるようですが、その最大のものはPISAショックでしょう。PISAとは、経済開発協力機構(OECD)による学力到達度調査のことで、PISAショックとは2002年あたりから、そのテストでの日本の成績が急に下がっていったことを指します。競争力とやらが大好きな経済団体は怒り、文部省はあわててあたふたと対応をします。その後、2012年のテストで、日本は成績を再び上昇させます。これは「奇跡のV字回復」などともてはやされ、脱ゆとりが功を奏したとして称賛され、同時に、やはり「ゆとり世代」はだめだという見方が定着します。
 でも、この見方がおかしいことは、少し考えればすぐにわかります。「V字回復」を成し遂げた2012年の調査は高校1年生を対象に行われたのですが、この生徒たちが生まれたのは1996年、小学校に入学したのは2003年です。要するにこの生徒たちは「ゆとり教育」ど真ん中の世代であり、好成績は言わば「ゆとり教育」で身につけた学力の結果なのです。「ゆとり教育」が成績を伸ばしたと言った方が、まだ事実に近い。
 著者によると、PISAの成績を左右したのは、設問形式への慣れ、学校がPISAの設問形式を意識した授業を行うようになったことであり、学力、教育内容は「ゆとり教育」においても大騒ぎするほど変わってはいないのです。現に、IEA(国際教育到達度評価学会)によるテスト、TIMSS(国際数学・理科教育調査)においては、日本は一貫してずっと好成績であり、よく例に出される「円周率を3.14でなく3で教える」というのも、公立の教育内容を不十分に見せ、「顧客」を呼び込もうとした塾のPR、デマであったことが判明しています。
 どうしてこんな誤解が生まれたのでしょう。「ゆとり」のせいで成績が下がった!もっと勉強させろ!PISAで再びいい結果が出たのが、ちょうど世の中にこんな言説が蔓延しているときだったので、多くの人が、好成績と「脱ゆとり」を短絡的に結びつけてしまった、おそらくこれが真相です。「ゆとり世代」などというものに、実体はないのです。
 人は手頃な分類言葉ができると、そこにあてはまるものばかりに注意が向き、「A型だから」「おうし座だから」「日本人だから」のような、実は根拠のない理由づけをして、納得したがる動物です。そうすることでこれから起こることが予測できる気になり、多少なりとも安心できるからでしょう。かくして、雰囲気でできてしまった「ゆとり世代」というレッテルは一人歩きを始めます。そう呼ばれる世代に属する人がちょっと自分の考えと合わない行動をとると、即座に「ゆとり世代」だからということになり、そこで思考が止まります。例えば、「ゆとり世代」の特徴としてよく挙げられる「自主性がない」「仕事よりプライベート優先」。個人の活動を仕事より大切にするのは自主性の表われですから、この2項目は明らかに矛盾していますが、それをなんとなくそのまま通用させてしまいます(私は「ゆとり世代」ではありませんが、仕事よりプライベートを優先させることが悪であるという考えなど持ち合わせていません)。その他の特徴、「打たれ弱い」「指示待ち」なども、己の旧態依然たるやり方、価値観が最良だと信じて疑わない、硬直した上司のつまらない愚痴と捉えた方が、よほど理解しやすい。
 ひところ、運動会で順位をつけない、白雪姫の劇では女の子全員が白雪姫役など、珍妙な現象が取り上げられ、「ゆとり教育」と結びつけられていましたが、これも冷静に考えるとおかしい。報道される以上、このようなことは現実にあったのでしょうが、それが多くの学校で一般的であったとは思えません。そもそもこうした現象がニュースになるのは、それが珍しいからです。また、学校は、新たな価値観を創り出して世を牽引していくような組織では、残念ながら、ありません。世間や保護者の要請を受けて、というより顔色をうかがって、対応に追われることが多い場所です。運動会や劇でそのような措置を取った学校は、「ゆとり教育」からの発想で独自にそれを始めたわけではなく、そのような要請、圧力が、保護者の側からあったのでしょう。そしてそう発想した保護者は「ゆとり世代」ではないのです。
 「ゆとり世代」と勝手にくくられてしまっている世代の人が、たいして考えもせずそれを受け入れ、「ゆとり世代ですから」と自らを卑下する姿を時折見かけます。冒頭にも書きましたが、何となくみんながそう言っていることを直ちに受け入れるのでなく、自分の感覚と照らし合わせて、自分で考えてみることが大切である、この本を読んでそれを再認識しました。「グローバル」「コミュニケーション能力」などという今の流行語、私は胡散くささを感じますが、何を指しているのか、どんな意図で使われているのか、立ち止ってきちんと考えてみたいものです。

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