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哲学の使い方(岩波新書 新赤版)

哲学の使い方 みんなのレビュー

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みんなのレビュー21件

みんなの評価4.0

評価内訳

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21 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

これからの哲学

2017/03/20 14:37

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:きよし - この投稿者のレビュー一覧を見る

僕は鷲田さんが好きである。今の日本で率先して哲学の有用性を提唱してくださっている方だと感じている。

今回の『哲学の使い方』の主題となっているのは、「これからの時代、これからの日本においての哲学の在り方」ではないだろうか。

僕たちの日常から、哲学はどんどん馴染みのないものになろうとしているような気がする。例えば、大学で哲学を専攻していても就活で何の役に立つのかと問われる時代になってきた。

しかし、鷲田さんが一貫して主張していることのひとつに、哲学は今の時代においても必要とされているのだ、ということがあるとおもわれる。

具体的な話をしよう。メルロ=ポンティの言葉に「哲学とはおのれ自身の端緒がたえず更新されてゆく経験である」というものがある。それがこの本の冒頭で紹介されている。
僕なりの解釈だと、「僕たち人間は年齢を重ねるにしたがって、考え方やものの見方が変わっていくものだ。そして、それを学ぶには哲学に価値がある」という意味だとかんがえる。
僕たちは生きている限り、就職したり失業したり、結婚したり離婚したり、誰かが産まれたり誰かを見送ったり、数々の出来事に遭遇する。
そして、なかには、今までの考え方や自分のものさしでは対処できない出来事がある。そういう場合、勇気の要ることだが、今までの自分の一部とは訣別して、新たな価値観を形成しなおす必要がある。
そうなると、「自分とは何か」「人生とは何か」という本質的な問いに行き着く。それこそが、哲学が二千年以上問うてきたことである。
したがって、哲学するというのは特別なことではなく、僕たちが節目節目に自然と行うべきことなのだ。
哲学書は時代や国をこえて残されているものであり、それはやはり大勢が腑におちる論述がなされているからに他ならない。

ときには哲学書を片手に、人生という難問にじっくり取り組んでみるのも良いのではないだろうか。

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紙の本

深い思考

2014/10/07 15:47

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ロンリーハート - この投稿者のレビュー一覧を見る

「哲学の使い方」という、正に今ある自己の生のための方法論を求めて、鷲田さんの本を手に取り、結局得たものは方法論というより、概念的なものだった。
「哲学」は、哲学を学び探求する者の「哲学」ではなく、深く考えることこそ「哲学」であるとの見方を得た。
肺活量のいる思考、ずーっと深く深く考え抜くだけの知的耐性を備えた市民になろうとすることの意義を見出すところに、答えのない出口の内容な印象の今に光が見出せる。しかし、実践の伴わない、肌感覚の反省もできないような思考は避けなければならない。

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2016/11/13 12:51

投稿元:ブクログ

あれほどじぶんを震撼させたものが時とともにあまりにも速やかに褪せゆくことに愕然としもする。時間はあらゆるものを洗い流してゆく。
ほんとうに大事なことは、ある事態に直面して、これは絶対手放してはならないものなのか、なくてもよいものなのか、あるいは絶対にあってはいけないものなのか、そういうことをきちっと見極めるような視力である。
長くて苦しい議論、譲れない主張の応酬の果てに、そんな苦しいなかで双方が最後まで議論の土俵から下りなかったことにふと思いがおよぶ瞬間に、はじめて相手に歩み寄り、相手の内なる疼きをほんとうに聴くことができるようになるのだろう。
専門家が「特殊な素人」でしかありえなくなった時代
どの価値を優先するのか
ほんとうのプロというのは他のプロとうまく共同作業できる人のことであり、じぶんがやろうとしていることの大事さを、そしておもしろさを、きちんと伝えられる人であり、そのために他のプロの発言にもきちんと耳を傾けることのできる人
これまでじぶんの視野になかった問いをじぶんの中に叩き込んでゆく
理解しあえなくてあたりまえだという前提に立てば、「ともにいられる」場所はもうすこし開かれる。
対話は、他人とおなじ考え、おなじ気持ちになるために試みられるのではない。語りあえば語りあうほど他人とじぶんとの違いがより微細にわかるようになること、それが対話だ。「わかりあえない」「伝わらない」という戸惑いや痛みから出発すること、それは、不可解なものに身を開くことである。対話のなかでみずからの思考をも鍛えてゆく。よくよく考えたうえで口にされる他人の異なる思いや考えにこれまたよく耳を澄ますことで、じぶんの考えを再点検しはじめるからだ。
「どんな専門家がいい専門家だと思いますか?」返ってきた答えは、「いっしょに考えてくれる人」
専門家への信頼の根はいつの時代も、学者がその知性をじぶんの利益のために使っていないというところにある。

2014/10/19 17:32

投稿元:ブクログ

臨床哲学と名付けられた哲学を知る必要はある。
哲学とはモノローグではなく、ダイアローグなんですね。
哲学をわかりやすく解説してくれる鷲田清一。それほどに哲学を愛されている雰囲気が伝わってきます。

2014/10/07 18:56

投稿元:ブクログ

哲学は他人の役にたつために存在しているものではない。
人が哲学に焦がれるのは、今の自分の道具立てでは自分が今直面している問題がうまく解けないとき。
博士号とは本来、この分野に限ってはなんでも知り尽くしているということに対してではなく、いかなる未知の問題に対してもそれにふさわしい科学の方法を用いて確かな探究ができるという一般的能力に対して賦与される称号である。

2017/02/19 23:43

投稿元:ブクログ

引用は面白いのだけれど、途中からなんだか説教されているみたいな気持ちになってきた。でも確かに、言っていることは正論だ。

2015/01/06 00:20

投稿元:ブクログ

響く言葉がたくさんあり、かなりメモを取ったのだが、即実用的かは分からない。でも考えるためのヒント、鷲田さんが本書で哲学することについて語る時に言ってた“補助線”のようなものを、与えてくれる本だった。よく引用されるアドルノやメルロポンティの原書を読みたくなる。よくわからん部分もあったので、図書館で借りたけど、買っておいて時々読み返すのもいいと思った。後半になればなるほど、それまで読み進めてきた事柄が繋がっていく感覚を得られておもしろい。

鷲田さんの言葉じゃないけど引用されてて気に入った部分。元気が出た。
C・カストリアディス「思考することは、洞窟から出ることでも、影の不確かさをもの自体の際立った輪郭で、また炎のゆらめく明りを本物の太陽の光で置き換えることでもない。それは、「空を向いて、花のなかに横たわって」(リルケ)いられる時に、迷宮に入ること、もっと正確には、ある迷宮を存在させ、かつ現出させることである。また、我々がたゆまず奥へ進むからこそ存在する回廊をさまようことであり、我々が入るとまた入口が閉まる袋小路の奥でぐるぐる回ることであるーーこの堂々めぐりが、説明不能なままに、仕切り壁に通り抜けられる亀裂を生じさせるまで。」

「哲学カフェ」には非常に興味が湧いた。生き方に迷っているとか、進路に迷っているとか、そういう大きなことがらに直面してうろたえているときだけではなく、ちょっとした人間関係、仕事のミスで打ちひしがれているときでも、そっと手にとって心の穏やかさを取り戻させてくれそうな本でした。

2015/01/07 22:28

投稿元:ブクログ

読むのに凄く時間がかかりました。内容を飲み込めた自信は全くないですが、エッセンスはなんとなくわかったかなぁと…。

忙しい暮らしをしていると早急に結論を求めがちというか、結論がなきゃダメという雰囲気に流されてしまいがちですが、問いを考えて考え抜くことで問題を解体するということも大切だと再認識させられました。本当の意味で「聴く」というのとも、やっぱり大事。
哲学は学者や大学のものではなくて、みんなのものです。

2016/11/23 01:16

投稿元:ブクログ

著者が「臨床哲学」を提唱していることは以前から聞き及んでいたのですが、本書を読んで、ようやくその概要を知ることができたような気がします。

著者が主催する「哲学カフェ」の具体的なエピソードも紹介されており、〈現場〉の中から紡ぎ出される知恵に耳を傾けようとする繊細な知性の息吹を、ほんの少しですが、垣間見たように思いました。

2015/04/07 10:18

投稿元:ブクログ

哲学界のたこ八郎、鷲田先生による言葉の拾遺集が朝日新聞の連載で始まったのは、この春の喜びである。まだ一週間ほどだけど、八面六臂の参照先は、先生らしくもあり、意外にも感じられたり、とにかく行く末が楽しみです。

確か東北震災後のことだったと思うが、あるシンポジウムで科学者が集まるなか、鷲田先生ひとり人文系として出席されていて、議論が科学者の専門家としてのありかたというようなあたりに及んださい、先生が発言されたことがいまでも強く印象にのこる。
「何でも答えてくれる人というのはあまり信用がおけないわけです。自分の持ってる知識の範囲内で言ってるだけだろうと思うから。思考の限界まで考えに考えてる人は、あっさりと、わからないことはわからないと言う。こういう人は信用できる」

この言葉はそのまま本書のエッセンスである。哲学者も全く同じである。先生が長く取り組まれている、一般市民による哲学カフェに至る道は、臨床というキーワードの周辺にいるあらゆる人びとに参照してもらいたいものだ。

パスカルの系列は現代にこのように生きている。

2014/12/21 13:02

投稿元:ブクログ

非常に難解。特に中盤あたりはとりわけ難解で
理解するのが一苦労でした。まだ全部がわかったわけ
ではないと思いますが。また哲学の本質的な書物を
読みたいと思います。
”答えがすぐにでない、あるいは答えが複数ありうる、
いや答えがあるかどうかもよくわからない、
そんな問題群が私たちの人生や社会生活を
取り巻いている。そんなとき大切なのことは、答えが
まだ出ていないという無呼吸の状態にできるだけ
長く持ち耐えられるような知的耐久性を身につけること”
このことは非常にいい文章だと思います。が。。
本の中で哲学的殺し文句として紹介されている文書
『自己とは何であるか?自己とは自己自身に関係する
ところの関係である、すなわち関係ということには関係
が自己自身に関係するものなることが
含まれている。』(キュルケゴール『死に至る病』)
最初に読んだ時はさっぱり何のことやらでしたが。
最後にもう一度読むと少し(少しだけ)わかる気が
きがしました。

2014/10/20 19:59

投稿元:ブクログ

日本人の書く哲学入門書というのは、とかく、西洋の哲学のおおざっぱな解説に終わりがち。
本書は哲学は学問のみに終わらず、人間や世界のあらゆる問いを立てるという活動すべてが哲学になる、その対象領域は科学,倫理、芸術、政治、経済さまざまに及ぶ。哲学が近寄りがたいのは、ときに一般人をけむに巻く難解な言術のせいであるが、社会生活を営むうえで欠かせないものである。

臨床哲学者というだけであって、社会のさまざまな身近な事象やときには村上龍のようなエンタメ文学からも素材をとり、哲学への入口へと誘う。

すべてをまったく理解するのは難しいが、この著者には読者を難解な用語で遠ざけるよな俯瞰的な思考が感じられず、読みあたりがよい。こんな哲学書に出会いたかった。

2014/09/01 07:44

投稿元:ブクログ

「見晴らしよい世界」って良いね!

岩波書店のPR
「「答えがすぐには出ない、答えが複数ありうる、いや答えがあるかどうかもよくわからない」──そんな息苦しさを抱えた時代に、社会生活において、人生において、私たちは哲学をどう「使う」ことができるのか? 《初期設定》からの問いかえしを試み、新たな見晴らしよい世界のありかたを求め描く、著者渾身の書き下ろし。 」

2015/02/12 20:56

投稿元:ブクログ

  「ほしいものが、ほしいわ」。糸井重里が西武百貨店のために制作した広告コピー、哲学者の鷲田清一さんによると、時代の根源語と云う点で哲学と相通じるものがあるのだと云う。時代の大きな変容、しかし感触としてはあっても何なのか判らない、そのもやもやを一瞬にして結晶させるもの、それが哲学の言葉であり、広告のコピーと云えるのだ、と。
  確かに、この「ほしいものが、ほしいわ」のコピー、これは単純に「欲しいものが欲しい」というただの反復語ではない。今、この刹那に欲しいと思うものが欲しいのであって、翌日にはもう欲しいと思っているとは限らない。例えば、女子学生がルイヴィトンのバッグを欲しいと思うその瞬間が欲しいときであって、では六ヶ月アルバイトをして買うかと云えば、まずNoに違いあるまい。モノが飽和状態にあるこの現代で、目まぐるしく刺激を受けながら人間の欲望自体もその刹那に変化するという事実。これらの根源はいったい何なのか。
  鷲田清一「哲学の使い方」。現代の哲学の恐るべき閉鎖性の反省に立ち、哲学はどうあるべきなのかを優しく説く。とかく難解な言葉を駆使してメタフィジカルの壁の中の世界だけに停滞する今の哲学の世界だが、実際にはこの世の本当の真実とは何なのか、世の中の現場に降りて時代の中で哲学するとはどういうことなのか。提唱されている「哲学カフェ」とは・・・!? 哲学を哲学する学問に閉じ込めず、世間のフィールドで生じている出来事を一歩振り返って本当の意味を問う、曖昧に流されがちな意味の根源の真実を問う。そうすることで人間として本当のあるべき姿が見えてくるのではないか、との強い思い。日本の哲学者にもこんな人がいるのかというなかなかに興味深い本。勿論、難しい言葉も多く、やや四苦八苦しながらではあったが、哲学の何たるかを示す覚醒の本と云えるのではなかろうか。

2016/06/08 02:09

投稿元:ブクログ

この本さえ読めば素人でも哲学の使い方、仕方がわかると
いうようなハウツー本、マニュアル本ではないので要注意。

この現代という時において哲学とはどのような役割を果たす
べきか、どのようにあるべきか、そもそも哲学は意味ある
ものとして存在しうるのかどうか。哲学者が哲学者として
哲学と向き合う上で発せざるを得ない「悲痛な叫び」として
私はこの本を受け止めたのだが、さほど間違ってはいないと
思っている。

日本の教育には宗教教育(ある一つの宗教の教義を教え込む
のではなく、人間として宗教というものとどう向き合うか
を教える教育)が欠けているのが大問題であるのと同様、
哲学教育も欠けているのは大問題である、と思う。

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