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明智光秀と本能寺の変(PHP文庫)

明智光秀と本能寺の変 みんなのレビュー

文庫

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みんなのレビュー3件

みんなの評価3.2

評価内訳

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3 件中 1 件~ 3 件を表示

2015/01/01 20:31

投稿元:ブクログ

大好きな日本史の中で、いまだに真実が謎に包まれていると思う事件がいくつかあります。桶狭間の戦い、関ヶ原の戦い、大坂夏の陣等とあるなかで、この本の主題となっている、本能寺の変もそのうちの一つです。

特に、首謀者とされる明智光秀は、当時、織田政権を支えていた重要な武将であり、謀反を起こした理由がいまだに明確でないと思います。

この本ではその謎について解説がなされています。織田信長の身近にいた明智光秀が何を思っていたのか、この本でも解説されていて興味深く読めました。

以下は気になったポイントです。

・光秀が犯行に及んだのは、信長非道阻止説である。正親町天皇に対する譲位の強要、暦に対する口出し等、すぐ側で見ていた光秀が、それ以上の信長の暴走を阻止するためにおこしたクーデターであると結論づけた(p7)

・信長は三好三人衆の来襲を知って、岐阜から京都に戻り、再び敵に襲撃されても大丈夫な将軍義昭のために築いた城が二条城である(p66)

・最初に光秀が得た500貫の場合、家臣は70人位いただろう、そして一国一城の主となった志賀郡5万石では、1250人であろう(p101)

・信長が義昭を追い詰めることができなかったのは、その時期には、武田信玄が三方が原で徳川家康を破って西上途中であった(p103)

・幕府が滅亡したことで、公方衆とよがれた旧幕府衆のかなりが光秀家に組み込まれることになった(p104)

・秀吉は最下層の小者から、小者頭、足軽、足軽組頭、足軽大将、そして侍大将へと短期間において出世した(p106)

・信長家臣の場合、信長から名物茶器をもらって初めて開けることになる(p113)

・本能寺の変の頃は、摂津の池田恒興、中川清秀、高山重友が与力となっていて、大和の筒井順慶、丹後の細川藤孝、一色義有、を始めとして、畿内周辺諸国の武将たちのかなりが与力となっていた(p143)

・穴山梅雪は、金2000枚を献上した、金1枚とは10両、現在価格で250万円なので、合計50億円となる。これは支配下に、甲斐下部の湯之奥金山、駿河の麓金山をもっていたからだろう(p170)

・光秀軍において最高の3000を擁していた斎藤利光隊が崩れたことで、早くも戦いの帰趨は決まってしまった(p249)

2015年1月1日作成

2015/02/11 12:35

投稿元:ブクログ

本能寺の変といえば、戦国時代最大の謎であろう。
「部下が反逆者に変わる」などというと馬鹿なビジネスマンが悦びそうな煽り文句だが、本書は敗者の正しい評伝を冷静に記そうとしていて好感が持てる。
悪逆のかぎりを尽くす平氏(信長)に対する源氏(光秀)による成敗だとする、「信長非道阻止説」の他、「光秀=天海僧正説」の否定など興味深く読めた。

2014/11/23 00:12

投稿元:ブクログ

明智光秀の出自から山崎の合戦での敗北までの歴史を振り返りその実像に迫る。史書をベースとした説の展開で説得力がある。本能寺の変については信長非道阻止説を展開。

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