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〈弱さ〉のちから ホスピタブルな光景(講談社学術文庫)

〈弱さ〉のちから ホスピタブルな光景 みんなのレビュー

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2014/12/24 20:41

投稿元:ブクログ

●以下引用

24時間要介助の遠藤さんは他のだれかに身をまかせなければ生きていけない。そんなふうに無防備なまでにありのままの自己を開くことで、逆に介助する側が個人的に抱え込んでいるこだわりや鎧をほどいてゆく光景がここに開けている

じぶんもまた脆さにさらされているひとが、ひとりではその脆さを抱え込めないひとを前にして、かすかな力を内に感じる

君が今やりたいことを、真っ直ぐに伝えながら、出来ないことはみんなに手伝ってもらって、堂々と生きて行きなさい。先回りして、人がどう思うだろうかとか、これはいけないことではないかとか、勝手に一人でやめてしまう必要なんかないんだよ。自分から逃げていては何にも始まらない。だって、君は一人で勝手に何かをやっていくなんて出来ないだろう?

人に迷惑をかけること、それは大いに必要なことである

じぶんはこうしか生きられない。このようにして生きることでしかじぶんを納得させられない。ひどい目に逢わせただろう。ひどい傷も負わせただろう。そういう厄介者とときあってくれたことに、あえて「ごめんなさい」とは言わない。抱え込んでくれているにの、その抱えの外に出て、背中を見せて、あらためて「ごめんなさい」とは言わない。できるものなら、抱え込まれたままでその腕の中から「ありがとう」と言って逝きたい。厄介者として遠ざけられるのではなく、「めいわく」がまわりのひととのあいだに成り立ったことそのことに、たこは「ありがとう」と言いたかった

ひどい「めいわく」をひとにかけられるような関係をだれかとのあいだでもちえたということに「ありがとう」・・。が、そういう関係のなかではきっと、その関係のもう一方の端から、「めいわくをかけてくれてありがとう」という声も生まれているはずだ。

いまにも倒れかけているひとがいると、それを眼にしたひとは思わず手を差し出している。そういうふうに「弱さ」はそれを前にしたひとの関心を引き出す。弱さが、あるいは脆さが、他者の力を吸い込むブラックホールのようなものとしてある。そういう力を引き出されることで、介助するひとが介助されるひとにケアされるというケア関係の逆転が起こっている。

赤ちゃんはぎゃあぎゃあ泣いて、お乳ほしがって、うぱうぱ飲んで、寝て、うんこして、命綱のお母さんの顔を懸命に覚えて、とにかく必死で生きようとしている。その生きようとする力に大人は茫然とさせられる。ただ生きるためにこんなにも必死だったこと、そういうことがどれほど「世界を明るくしたか」

ケアは、支えるという視点からではなく、力をもらうという視点もある

微弱なものの力は、ひりひりするような微弱な感受性にしか共振しない。それにふれる、それを受け止める感受性、もしくは精神というものの現前を必要とする。「いてくれること」とでも訳した方がいい。弱い者こそ、他者を深く迎え入れることができるのだ

わたしの方さをほぐす、わたしの荷をほどく。

他者のなかに自分がなんらかのかたちである意味のある場所を占めているということ、このことを感じることで、生きる力が与えられるというのはわかりよい

じぶんでなくてはという想いがじぶんを占めるからである。だれかある他人にとってじぶんがなくてはならないものとしてあるということを感じられることから、こんなわたしでもまだ生きていていいのだ・・という想いがそっと立ち上がる。「わたし」という存在に顔がよみがえるのだ

じぶんがだれにとってのどういう他人でありえているかを、まず感がる必要がある

じぶんの才能や性格のうちにではなく、だれかある他者にとってのひとりの他者でありえているという、そうしたありかたのなかに、ひとはかろうじてじぶんの存在を、あるいは意味を見いだすことができるだけだ。問題なのはつねに具体的な「だれか」としての他者であり、したがって「わたしはだれ?」という問いには一般的な解は存在しない。

じぶんがここにいることが他のだれかにとって意味がある感じられないことが、寂しいのだ

じぶんがここにいることがだれかある他人にとってなんらかの意味をもっていること、そのことを感じることができれば、ひとはなんとかじぶんを支えることができる

じぶんのしていることが、あるいはじぶんの存在が、だれか別のひとのなかである意味をもっていると確認できること、そのことが生きる意味をもはやじぶんのなかに見いだせなくなっているひとがなおもかろうじて生きつづけるその力をあたえるということともに、その逆のことも、つまり他者に関心をもたれている、見守られているのではなく他者への関心をもちえているということもまた、ひとに生きる力をあたえてきたのではないだろうか

脆さを内に抱えこんでいる人が、ひとりでじぶんの弱さとつきあいきれないひとを前にして、そのひとが内にかすかな力を感じるという状況じたいを、みずからの「弱さ」をもって設定した。わたしの存在が固まる前、囲いをする前、わたしという鎧をつけきってしまう前に、他者にふれるという場面を。

存在を贈りあうという関係、これはだれかに身をあずけるということがないと成り立たない。あるいは、こおtばを相手に預けるということがないと成り立たない。それには大きなリスクがともなうからである。何を言っても、留保をつけずにそのまま受け入れてもらえるという信頼がなければ、ひとはみずからを無防備にはしないものである。押し黙りながら、口ごもりをへて、たどたどしい語りへと、閑かに時が経過するのをじっと待ってゐる人がいてくれないと、ひとは言葉を漏らしはしない。

2015/09/04 10:02

投稿元:ブクログ

http://kumamoto-pharmacist.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-27fc.html

2014/12/11 14:41

投稿元:ブクログ

著者に敬意をもって、「わけわからん」といいたい。
単行本も読んだことがあるのだけど、鷲田さんがさきさき自分の世界を行っているその背中を、ただただ見ているだけ、そんなかんじ。
ケアの反転、ということの意味はわかるしそういうこともあると思うけど、これに書かれているひとや場面がそれにあたるかどうかは、わたしの感性では、まったくわからない。鷲田さん、まったくすごいひとだ。

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