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新解釈関ケ原合戦の真実 脚色された天下分け目の戦い

新解釈関ケ原合戦の真実 脚色された天下分け目の戦い みんなのレビュー

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みんなのレビュー3件

みんなの評価3.7

評価内訳

  • 星 5 (0件)
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3 件中 1 件~ 3 件を表示

2016/11/05 20:51

投稿元:ブクログ

我々が知っている「関ケ原合戦」のほとんどがウソであることを、どれくらいの日本人が知っているのだろう。本書では、当時の書状や宣教師の日記などの一次資料を丁寧に読み解いて、徳川方 vs 石田方の一大決戦など起こっていないこと、小早川秀秋は当初から徳川方だったこと、などを明らかにしている。
少し考えれば分かることだけど、1600年当時において、1日で終わった戦闘の推移が時間単位で詳細に分かるわけないではないか。「関ケ原の合戦」にまつわるエピソードのほとんどは、江戸時代に書かれた戦記物(フィクション)から引用されたものである。また、かの有名な布陣図にいたっては、明治時代に帝国陸軍が捏造したものである。ぜひ本書を読んで目から鱗を落としてほしい。

【川崎市立中原図書館 210.4】

2015/07/18 14:04

投稿元:ブクログ

戦国時代を終焉させる上で重要な戦いである「関ヶ原の戦い」が実際にはどのように行われたのかを検証した解説本です。

私が高校時代に習い、そしてその後にテレビや本で理解してきたこの戦いは、どうも恰好良すぎて脚色されているのではと、秘かに思ってきました。

この本は江戸時代初期から末期にかけて、私達が関ヶ原の戦いには欠かせない有名な場面と認識しているもの(諸大名を決断させた小山評定、午前中は一進一退、家康の指示による鉄砲発砲による小早川の裏切り)が、後で脚色されたものであると結論づけています。

また、関ヶ原の戦いを行ったときには、徳川家康には、正式な軍の指揮権がなかったこと、が明らかにされています。幕末の戦いを見て分かるように、権力を握ってしまえば、その時の法律・規則に違反しても問題ない、という良い例を本件においても確認できました。

激動の時代に権力を取った者の考え方、そして、それを取り巻く人達の行動の仕方については、現代においても参考になる点があると思いました。

以下は気になったポイントです。

・石田三成方の諸将が打って出て戦ったという記載がなく、まさに布陣しようとしたところを小早川秀秋が裏切ったので敗北した、という記載が注目される(p17、41、83,84)

・関原始末記の記載は、当代記よりも、記載量がはるかに多くなり、諸将の動きが非常に詳しく記されている(p24)

・現在の我々がよく知っている関ヶ原合戦像は、当時の真実を伝えるものではなく、後世の江戸時代に軍記物などの編纂資料の内容をもとに誕生したとみなせる(p28)

・関ヶ原合戦以前の時点で、慶長5年(1600)7月に、石田・毛利連合政権が成立し、家康は公儀から排除された(p34、149)

・鉄砲の撃ち合いの後はすぐに白兵戦へ移行した、この場合、1500石クラスの武士でも、実際に鑓で戦った(p58)

・通説では、鉄砲→弓矢→長柄槍→白兵戦→追撃戦、であるが、鉄砲から白兵戦となっている(p59)

・通説で裏切ったと指摘されている、赤座・朽木は記載がない点は留意される(p82)

・小山評定について、同時代の一次史料には直接言及されていない、家康が7月25日に小山へ来るように命じた書状は一通も残っていない(p95、99)

・岐阜城攻城における家康方諸将の構成が、そのまま関ヶ原の戦いでも展開された(p109)

・問鉄砲の話は、関ヶ原の戦い当日の状況を伝える一次史料には記載がない(p122、151)

・我々が良く見る布陣図は、明治時代になって参謀本部ば創作したフィクションであることが明確になった(p198)

・関ヶ原の戦いは、「石田・毛利方の公儀軍」対、「公儀から排除された家康方の軍勢」という対立となる(p220)

・関ヶ原合戦において、家康に味方して戦った部将は、それほど多くない。徳川家以外では、東海道外様グループと、遠国外様グループの合計4万人程度、石田・毛利連合政権が動員できたのは、19���人(p223)

2015年7月18日作成

2015/08/20 11:20

投稿元:ブクログ

私はこれまで、関ヶ原の合戦に関する本はあまり読んだ経験はないが歴史が好きなのである程度は知っていた。しかしこの本を読んで今ある定説が多く間違っていることに驚いた。私自身、戦国時代の逸話や、伝説などが好きだが歴史を学ぶものとして、このような新しい解釈や新しい視点も重要だなと思わされた。この本を読んで再認識したのは歴史が少なからず勝者による改ざんが行われていること。徳川家康と言えば、関ヶ原の勝者で、神として崇められている存在である。しかし関ヶ原に関する逸話や、勝利も家康の関係者により後世に作られたものがほとんどであった。このような勝者に良いように書かれた史料があることなどは歴史を知る上で重要だと感じた。本書では一貫して史料・資料を批判的に引用しているし、これまでの定説に引っ張られるようなことはない。このような姿勢は歴史を学ぶものとして非常に参考になった。

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