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2016/07/06 07:08

投稿元:ブクログ

建築理論と言う時の「理論」とは、どういう意味か?




理論(りろん、英: theory, 仏: théorie, 独: Theorie)とは対象となる事象の原因と結果の関係を説明する一般的な論述である。自然科学、人文科学、社会科学などの科学または学問において用いられている。



理論
①科学研究において,個々の現象や事実を統一的に説明し,予測する力をもつ体系的知識。狭義には,明確に定義された概念を用いて定式化された法則や仮説を組み合わせることによって形作られた演繹的体系を指す。 「 -を確立する」
②特定の研究領域や個々の学者の学説や見解を指すこともある。 「批評-」 「湯川-」
③実際の経験から離れて純粋に思考の中で組み立てられた知識。「実践」に対立し,否定的意味で使われることが多い。空理空論。 「 -倒れ」


論理
①考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。「―に飛躍がある」
②事物の間にある法則的な連関。
③「論理学」の略。

手法
物事のやり方。特に、芸術作品などをつくるうえでの表現方法。技法。「写実的な手法」「新手法を用いる」

説明
[名](スル)ある事柄が、よくわかるように述べること。「説明を求める」「科学では説明のつかない現象」「事情を説明する」

解説
[名](スル)物事の要点・意味などをわかりやすく説明すること。また、その説明。「映画の内容を解説する」「ニュース解説」

2015/04/25 02:03

投稿元:ブクログ

「O-14」の様々な観点からの理論的な位置づけを行ったシンポジウムである「プロジェクション&レセプション」と、槇文彦・磯崎新・原広司の三人の建築理論の意義と教育についての対談を主軸に勧められたシンポジウム「これからの建築理論」、およびそれぞれについての事後インタビューの記録を行った本。
この本において小渕氏は、(西洋の)建築理論の定義を「建築とは単なる固定された構築物ではなく、時間とともに変化する人間社会と文化を空間として表現するコミュニケーションツールであり、それが”言葉"としてアウトプットされたものが建築理論だ」としている。この本には、西洋文化において互いに補完し合いながら建築文化を形成してきたこれが日本において問題意識と捉え、建築理論の存在を問い直し、日本の強みである建築を「つくる」営みを発展させる可能性につなげようという目的がある。

前半は具体的な議論を通してかたちである建築とことばであるその理論とが相互作用して文化を形成するさまを示すものであり、後半は建築理論の共有という観点がない日本において理論を共有する意味について考える場であった(本書は日本向けということで実際のシンポジウムの順序とは逆の順序で掲載してある)。

多くのゲストによって語られている内容はどれも非常に濃く、参考になるものであった。建築理論として体系化しきれていない部分についての現在の動向はこの本を読んだだけでもある程度わかるが、やはり前提知識がないと書いてあることを実感できているという感覚は得られなかった。本文中に示されている文献を読み建築理論に対しての自分の考えを整え、文章が自分の中に響いてくるようになってからもう一度読み直されるべきだと感じられた。

なんとなく自分の見解をメモしておく。
建築について、国際的なパラダイムの転換が訪れつつあるのは確かだ。エンジニアリングからできごと、社会現象へと変貌していった都市の形成と同じく、建築もものからできごとへと変貌しつつある。しかしこの本に記述のあるように、建築は都市と違ってボトムアップでは構成され得ない。その際に必要となってくるのはおそらく「建築像」、上から枠組みを与えるデザインである。(たった一枚のスケッチが必要なのであるという原氏の言葉もそういうことなのかな…?)都市についても、本書において都市像の必要性が言及され、槇文彦氏はそれが追求される機会の少なさを問題視している。建築から都市に言及されていく必要があるというのも、またゲスト三人の共通の認識であった。(磯崎氏と原氏は本来都市から手を引いた側の人であったようであるが。)

はたして問題は、都市像は描き起こされる際に一定のコンセンサスのもとに成立する必要があるが、建築像は(ときに)そうではないように感じられることである。良くも悪くも、ときには一人の人間が描いた像ができごととして立ち現れてしまうのが建築の世界なのである。これは建築にアーキテクトの欲求を介在させるのには十分な条件である。

モダニズム的・有機的な世界を埋め尽くす普遍語としての建築がプリツカー賞などの舞台で評価され、磯崎新氏が唱えるような(これはポストモダニズムの立場であるが)普遍的な視点と論拠を目指した理論が(本書後半でも)賞賛されている以上、世界的な趨勢は建築における統一理論・統一的な建築の模索であるようにも感じられてしまう(そもそも建築理論の立場がそこにあるのかもしれないが)。たとえば日本における建築についても世界からはそのデザインや空間体験ばかりが評価され、「『非ず非ず』のような変な感覚(笑)」(原文ママ)は認識されようとしていない。
これらの事実は結局のところ時代の価値観がモダニズムの文脈、あるいはモダニズムに限らない普遍性信仰から脱することができていないことを意味する。

普遍的なものとしての建築理論の立場は、アメリカのような「みんな一緒」の感覚から生まれた視点かもしれないし、あるいはある種、海外のアーキテクトたちのアポカリプス願望、支配欲(ではないけど)の顕れなのかもしれない。
この点において、建築は都市のように社会現象とならず「できごと」の域で止まっている。建築が社会現象となるのは、的確に場所の社会と「空間」(景観ではない!)、込められた意思を分析し、その動態に適合するような建築像が描ける人間、デザインができる人間によって設計されたときのみである。(はたしてそんなデザインが存在するのかはわからないけれども。)

現在の日本に代表されるような少子高齢化社会において、土地における市場の論理が通用しなくなり、そのような土地の上に転換した建築が姿を見せ始めるのはおそらく時間の問題だろう。
このとき日本に現れるのが、革新的デザインにより文脈を断絶しつつ商業的な価値を備えた建築なのか、はたまた新たな価値観のもとに生まれた現象としての建築なのか、見守らなくてはいけない。
個人的には後者がいい…そして、その新しい価値観は普遍性信仰に基づいたものでなく、社会現象としての建築の価値を認めるものであってほしい。
きっと、社会現象としての建築こそ、その場所にとって必然性のあるものであるはずだから…

ここで表紙の餃子を見る。なるほどなあ〜といった感じだけど、自分の解釈はここには載せないでおく。

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