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みんなのレビュー5件

みんなの評価4.0

評価内訳

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5 件中 1 件~ 5 件を表示

2016/11/13 10:34

投稿元:ブクログ

アーレントは1940年代初頭、ニューヨークにいながら、ナチのヨーロッパにおける残虐行為の全容を確かめようとし始めた。最終的解決の噂は、彼女にも届き始めていた。リバーサイドパークで長い散歩をしながら、彼女はよく、思索しつつも悲しい恥辱の気持ちに襲われていたという。亡命者用のドイツ語新聞「構築」への寄稿では、ユダヤ人問題に取組み、論争を引き起こしつつも、考えたことを激しく主張し、人気を得ると同時に悪評も獲得する。1942年12月18日付の「構築」は、かつてアーレントが収容されていたギュル抑留所かr、あユダヤ人が強制移送されたことを伝えている。指名一覧が長々と好評されていて、そのユダヤ人全員が絶滅収容所に送られたのだ。ユダヤ人編集者たちはキリスト教世界は今こそ行動を起こすべきだと訴えていたが、アメリカ国内の報道機関は最終的解決の報は本当に根拠のあるものなのかと懐疑的だった。とすれば彼女の政治分析は土地狂ったユダヤ女の怒号として黙殺されていたかもしれない

2015/05/08 21:34

投稿元:ブクログ

ナチスに協力したもの/迫害されたもの、さまざまなケースを紹介しているが、ハイデガーに対する容赦ない弾劾がいちばん印象深い。もうこの本での彼の描かれ方ときたらガチのキング・オヴ・人間の屑。

2015/07/31 09:27

投稿元:ブクログ

「ヒトラーの権力掌握以来、いまだに誰も精査していない部分がある。それは、哲学者集団が演じていた役割である」――哲学者というと、世捨て人のように社会や政治から離れて学問に打ち込む人々というイメージがあるかもしれません。しかし、彼らは本当に「残虐さ」から遠い場所にいたのか?この問いに答えるべく、筆者が哲学者とナチズムの関わりについて切り込んだのが本書です。

第一章では、ヒトラーに協力した哲学者たちが扱われています。まず著者は、道徳思想で有名なカントや、偏見という「不合理」とは無縁に思われる論理学者フレーゲといった過去の偉大な哲学者たちにおいて、すでに反ユダヤ的な文章が見られることを指摘します。こうしたコンテクストのもと、ヒトラーは自身の主張を正当化する「哲学」を打ち立てていくことになるのです。また、ローゼンベルクをはじめとした御用「哲学者」たちがナチスに都合のいい差別的主張を「哲学」としてまとめあげ、ハイデガーを
筆頭とした当時の哲学者たちが自己の利益のためにそれに追随していく過程は、著者が暴いているように、とてもショッキングなものです。つまり、多くの哲学者たちはナチズムに無関心だったのではなく、積極的に加担していたのです。

第二章では、ヒトラーに抵抗した哲学者たちが扱われています。ベンヤミンやアドルノといったユダヤ人の哲学者のほかに、クルト・フーバーのようなドイツ人の抵抗者が扱われています。この章はきわめてドラマチックに書かれており、思想に関心がない方であっても興味深く読むことができるのではないでしょうか。とくに、ドイツ人でありながら、自身の哲学的な確信に基づいてナチズムに抵抗したフーバーの章は、感動的でもあります。

「哲学者」がテーマではあるものの、本書は思想の解説書ではなく、哲学者たちのルポタージュ、あるいはドキュメンタリーといった体裁をとっており、とても読みやすいものになっています。その一方で、本書が投げかける問いは重要なものであり、それゆえに一読の価値があるでしょう。現代(とくに日本?)では毒にも薬にもならないと思われている「哲学」「思想」こそが、歴史を動かし、虐殺さえをも引き起こすことがあるということに改めて気づかされます。

各論文は個別具体的な歴史の実証を試みたものです。そのため、国際文化関係を研究する際の着眼点や手法、議論の組み立て方などを学べる本としても適しています。文化をめぐる問題に関心がある人におすすめの一冊です。
(ラーニング・アドバイザー/哲学 KURIHARA)

▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid= 1637717

2015/05/29 10:54

投稿元:ブクログ

翻訳に当たってタイトルは変えられるべきではなかった。訳者あとがきにもある通り、本書の構成や内容からいってその措置は一見妥当なように見えるが、当の著者がそれでもあえて「ヒトラーの哲学者たち」としたのは、本書を最期まで読めば充分に理解ができるはずである。ヒトラーがドイツ哲学を常にナチスの圏域に組み入れようとし、自らを「哲人総統」と自称するまで分かちがたい関係にあったこと、そして戦後を通じても「ヒトラーの哲学者たちはずっと支配的であり、ユダヤ人思想家はどこまでも撤退を余儀なくされ」たことを考えるならば明らかだ。

とはいうものの、訳出は自然で読みにくさを感じさせず、共訳なのに全体の校正も行き届いているのは好感が持てた。なにより訳者あとがきが素晴らしく、これを読んでスタイナーの『言語と沈黙』を手に取る気になった。本書も、ナチスの関連書籍として読まれるよりは、我々が道徳や哲学、倫理といったものを学ぶ意味を改めて反省するきっかけとして広く読まれて欲しいと思った。

食品であれば、その見た目や味わいだけでなく、産地や生産過程に注意が向けられるのに、人文思想の現場はその点で本当に無自覚で、多くの学生は一時のトレンドとしてそれらを消費し尽すか、威光に怯んで盲目的に追従するかでしかない。一流の教養を修めたはずの人間たちが、その格好の出番とも言うべき不条理な暴力に際して、抵抗もせず追認しあろうことか加担する運命なのだとしたら、浅田次郎の小説ではないが「なまじいの学問など糞の役にも立たん」ことになるだろう。

2015/08/06 09:16

投稿元:ブクログ

 ヒトラーとナチスに影響を与えた思想家、協力者となった哲学者たち、迫害されたユダヤ系の学者や思想家達、抵抗した大学人を描いたノンフィクション。
影響を与えた思想家としては、カント、ヘーゲル、ショーペンハウアー、ニーチェが登場する。協力者としては、ドイツの大学の多くの大学人がナチスに協力したとされ、特に、カール・シュミットとマルティン・ハイデガーに章が割かれている。ナチスによって大学を追われたユダヤ人たちとして、不幸な最後に終ったヴァルター・ベンヤミン、アメリカに亡命したテオドール・アドルノ、ハイデガーと愛人関係にあったハンナ・アーレントが登場。数少ない抵抗者は、白バラ抵抗運動に加わったクルト・フーバーが取り上げられている。
 ナチスと哲学者たちというくくりは面白い。著者によれば、「哲学はドイツの文化にとっては象徴的な存在」であり、哲学はドイツ人とその文化にとって「北米の人間が法制度に対して抱くのと同じような文化的地位を保持している。哲学者は名士(セレブ)」(p.10)なのだそうだ。つまり、少なくとも戦前のドイツにおいては哲学はメイン・ストリームにあって、それだからこそヒトラーはカント、ショーペンハウアー、ニーチェを引用し、哲人指導者であるように見せかけ、「彼は目の前にあったドイツの(伝統的な)成分を取り上げ、自家製の錬金術によって調合し、ドイツ人の口に合うカクテルに作り変えたのだ」(エルンスト・ハンフシュテンブグル)(p.53)そして、そのカクテルにはナショナリズムによる反ユダヤ主義、戦争賛美という毒が盛られていたわけである。
 だが、その毒はヒトラーの独創ではない。カントやショーペンハウアーにも反ユダヤ的な偏見・差別意識が存在し、ヒトラーが登場した頃には「ナショナリズム、反ユダヤ主義、または人種主義が、知識人の地位には不可欠になっていた。」「ドイツの気高い遺産の下には、この隠された、暗黒面が広がっていたのだ。」(p.95)
 しかし、この本のこうした文化史的な分析はここまでだ。すでに序章においてこの本のスタイルがドキュメンタリー・ドラマだと断わられている。それで、取り上げられる個々の哲学者達は、その思想よりもヒトラーとナチスに対してどう行動したのかに光が当てられている。ホロコーストという闇を背景にして浮かび上がるその光景はかなりスキャンダラスである。
 ヒトラーは政権を掌握し、大学からユダヤ人、ユダヤ系の学者を追放し、焚書、カリキュラム検閲を行って教育と言論の場を支配しようとした。『二十世紀の神話』を著したローゼンベルクとその腹心、ボイムラー、クリークがヒトラーの尖兵となってドイツの大学に対する全面戦争を仕掛け、それに勝利する。
国民を改造するというヒトラーとナチスの使命に対しては、「大量の大学人が集団で協力」した。「抗議文も、キャンペーンも、抗議運動もなかった。」「ヒトラーと党に対する重要な反対の声は、ドイツでは一度も起きなかった」(p.125)そのかわりに大学人たちは、ユダヤ人たちが追放されて空席となったポストに嬉々として着いたとされる。沈黙の裏には利害の一致があったと言うことなのだろう。
こうして殆どナチス化した大学人たち、プロの哲学者たちは「古い価値や制度の破壊」、反ユダヤ主義と戦争賛美に進んで協力するようになる。特に、哲学史に残る知的巨人ハイデガーには一章を割かれてあり、ユダヤ人として追放される側になるハンナ・アーレントとの愛人関係も描かれており興味深い。ナチスに入党し、フライブルク大学の総長となるハイデガーは、恩師であるフッサールがユダヤ人であるために名誉教授職を解かれるのに際して何も手をうたない。ヒトラーを礼賛する。こうしたハイデガーの行動を著者は「地位と権力に惹かれたただの日和見主義者で、ナチス支配の下で出世と威光を手にする機会を狙っていただけなのだ」、と書いている。しかし、さすがにハイデガーは難物だったようで、反ユダヤ主義との関係や、「彼と第三帝国との知的関係については曖昧ではっきりしないまま」と書いており、挙句、「行動を起したのは事実だ」(p.176)という結論になってしまった。
 戦後の光景もまたスキャンダラスだ。戦後、ナチスに協力した大学人の大半は裁判を回避して大学のポストに返り咲くのだから。追放されたユダヤ人学者たちは殆ど戻らなかった。また、彼らの業績に対する評価も、ナチス時代に抹殺されている以上、当然ながら正当になされたわけではない。しかし、協力者であった学者たちはナチスとの関係を「不幸な時代ということで大目に見られ」(p.350)、その業績が高く評価されている者もいるのである。
 さて本書は、ヒトラーに対する哲学者たちというより大学人たちに近いだろう。著者が哲学者たちというくくりに注目したのは、前述したようにドイツ文化における哲学の位置もあるだろうが、それよりも著者が「〈道徳学(モラルサイエンス)〉の子孫」(p.354)である哲学のプロが「ナチズムを拒絶したのだろう」(p.9)とナイーブに思い込んでいたところへ事実を知って、隠されていた秘密をあばいたと思い込んだからのようだ。
 しかし、哲学はそこからこそ始まるのではないだろうか。分析哲学の祖フレーゲのユダヤ人に対する差別意識という事態と、ハンナ・アーレントがアイヒマンの裁判で見出した「悪の陳腐さ」という概念を並べてみるならば、それについての何がしかの手掛かりがあるように思える。ドキュメンタリー・ドラマと自称している本書の範囲は越えそうだが。

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