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hontoレビュー

国防婦人会

国防婦人会 みんなのレビュー

  • 藤井 忠俊
  • 税込価格:7997pt
  • 出版社:岩波書店
  • 発行年月:201501
  • 発送可能日:1~3日

新書

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みんなのレビュー3件

みんなの評価4.4

評価内訳

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3 件中 1 件~ 3 件を表示

2014/12/04 05:24

投稿元:ブクログ

藤井忠俊著『国防婦人会ー日の丸とカッポウ着ー』.
昭和6年から10年.「日中戦争の銃後形成史」(214p)を書いてある.なぜ、国防婦人会か.「日本ファッシズム形成過程で、それが唯一下からつくられ、庶民的性格をもち、かつ最多数の会員を得た組織として、民衆が戦争にかける場合の典型例」(「あとがき」 同ページ)で、明快に述べる.

 本邦近代の銃後形成に愛国婦人会があったのに、なぜ国防婦人会か.ほかにも大日本連合婦人会があったし、在郷婦人会、産業組合婦人部もある.銃後形成に参加する、しない.また、参加して献金、見送り、出迎えと事業・運動を拡張してゆく対応を、「(非常時の)不適応から適応へと変わりうるチャンネル」(5p)と、とらえる.

 満州事変.疲弊した東北の貧困者から戦時犠牲者を出す(4p).鉄兜を与えられずに戦場にかりだされる装備の貧困.かくて<鉄兜献金>が始まる.非戦闘員の<非常時適応>が、始まることになる.
戦場に派遣される兵員が、大阪港から大陸にむかう.見送りにくることのできない母郷の実家の母代わりに、<せめて>と港頭で見送る動きが広まる.上流家庭の婦人がつらなり内務省の後押しをする愛国婦人会は慰問袋に経済支援をするも、見送りという体と時間をさく営為はある意味中流の婦人に、担われる.フトコロとモノ、労力と気持ちに対象的な<棲み分け>がある.違いをシンボル化するのが、カッポウ着と、やがてタスキ.

大阪の動きは、東京に点火する(53p).背後には陸軍省が後押しし、内務省-愛国婦人会(愛婦)、文部省-大日本連合婦人会(連婦)、陸軍省-国防婦人会(国婦)と、系列化がすすむ.大日本婦人会(日婦)
銃後をささえて、婦人会もやがて統一への道は必然.大日本婦人会(日婦)に一本化する.スタイルもカッポウ着からモンペにかわる.モンペは決戦期の時代である.他者に対する「見送り=お世話」から、隣組・生活必需物資の配給と防空演習で<自己生活の維持>の「労働」(198p)に転じていく.そこを運動の「自己撞着」(213p)と位置づける.

読んでいておもう.柳条湖は「死ぬこともある戦い」、盧溝橋で「死ぬかもしれない戦い」、太平洋戦争は「死なねばならぬ戦い」.その銃後をまもるなかで、「国民の一過性の興奮をこえた行動様式」「非常時をテコにして台所経済とその財布をしっかりにぎった婦人群像が映しだされる」(212p)とする.
さまざまな動きとそれにともなう膨大な犠牲.それが「正義の戦争」、このキーワードですべてが<駆り立てられた>点に、合致するとも、<そうであったのか>とも考えさせらる.(1985年4月 岩波新書)

2011/05/16 21:52

投稿元:ブクログ

[ 内容 ]
白エプロンにたすきがけ、やかんを下げ、あるいは小旗をふって出征兵士の見送りに、帰還兵士の出迎えにくり出した婦人たち。
昭和七年、わずか四十人で発足した一つの組織が十年後には一千万にふくれ上り、日中戦争下の銃後体制を支える要の一つとなる。
国防婦人会の活動に焦点を合わせて、民衆動員の様相を鮮やかに描く銃後の社会史。

[ 目次 ]
1 献金現象と軍拡―「満州事変」
2 カッポウ着台所を出る―国防婦人会現象
3 なぜ国防婦人会なのか―非常時の視点
4 軍事か生活か権利か―日常の視点
5 原点にて―別れと見送り―日中全面戦争
6 銃後と生活―国民精神総動員から隣組へ

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

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[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

2012/04/08 17:17

投稿元:ブクログ

1932年、満州事変を契機とした献金運動の中で大阪国防婦人会は誕生した。当初せいぜい40名ほどだった世話好きなおばちゃん集団が、出征兵士の送迎・慰問などの活動を通じて会員数を伸ばし、後には全国で一千万人もの会員を擁する巨大組織に発展したのである。

その理由のひとつとして、陸軍のお墨付きを得たことが挙げられよう。それ故に、国防婦人会は日中戦争下の銃後を支えた軍国主義団体であるかのように考えられている。しかし実際には、陸軍が押し付けようとする「国家主義的な、あるいは家族主義的な、あるいは反革命的な理念」に対して、国防婦人会はむしろ特別な関心を示さなかった。

「軍がもともと抱いている家庭婦人観と『満州事変』後湧きあがった国防婦人会の実際活動にはズレがあり、矛盾があったということなのだ。だからこそ、国防婦人会に参加した婦人たちは、ある意味では『家』から解放されて、いそいそと見送りに会合に出かけて行けたのだ。この側面なしに国防婦人会現象を理解することはむずかしい」

陸軍と国防婦人会はお互いを利用しつつ、結局両者のズレが埋まることはなかった。国防婦人会は隣組の定着によって徐々に活動基盤を奪われ、1942年には新たに発足した大日本婦人会に吸収統合される。軍事動員の秘密厳守のため街頭や駅での見送りは禁止され、婦人たちは隣組によって相互監視される「家」へと帰っていった。

著者は、国防婦人会の活動は敗戦後の婦人運動に引き継がれたと考える。戦後民主主義と婦人参政権の獲得が方向を与えたにせよ、「十五年戦争の銃後形成のなかで蓄積された婦人の力量と組織活動の経験」が戦後の婦人活動を支えたというわけだ。確かに、この点はもっと評価されて然るべきだろう。

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