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パイが二つあったお話が印象に残りました。
精一杯の気遣いが、かえって裏目に出てしまったり、最上のおもてなしの
つもりが、相手には迷惑なものだったり、とても人間味のあるお話でした。
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ピグリン・ブランドの話は、オチがいまいちよくわからなかったけど、ブタちゃんなんだから、たいがいベーコンにされちゃうよね〜と、笑ってしまいました。
ねずみの話は短いながらも、なんだか楽しめる。
ふたつのパイの話は、犬がねずみのパイ食べるとか、アイデアがいい。
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3冊セット
19. パイがふたつあったおはなし
20. ずるいねこのおはなし
21. こぶたのピグリン・ブランドのおはなし
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この絵本のセット一揃いは、子どもの頃、母が買い与えてくれて家にあった。キャラクターとしては当時の私も認知しており、読もうとしたことは何度もある。しかし期待に反してあまり面白くなく、目が活字の上をすべるすべる。うちにあったのは3冊入り7箱の21冊(世の中にはもう一箱、第8集もあるそうだ)、A6版くらいの小さな絵本だが、まともになんとか読めたのは2~3冊だったと思う。ただこの7つの手頃な大きさの箱が、人形遊びをする際のお部屋作りにたいそう都合がよかったもので、物語としてはともかく物体としてはとてもお世話になった、思い出の本なのだった。
時は流れ幸いなことに私にも娘ができ、彼女も本の買い与え甲斐のある年にまで成長した。古本屋でこのピーターラビットの絵本を見かけるたびに、「わあ私これ好きだった」という懐かしさと(ってほぼ読んでないけど)、「おしりたんていやプリキュアの本ばかりでなくどうせならこういうクラシックなものを読んで欲しい」という教育的な気持ちから(って自分も読んでないけど)、つい買いたくなるのだが、「いやいやすぐ近所の実家にあるのだから(それに自分も実は読めていないものを偽って推すことはできぬ)」とぐっと堪えていた。
そんなピーターラビット本を、先日実家にてようやっと改めて読んでみたら―ものすごく良かった。
といってもそれは、「子どもの頃の私にこの良さはわかるまい、いやわかってたまるか」とでもいうべきウニとか白子とかあん肝的な部類の良さであり、出会いから30年近く経った今やっとその魅力を味わうことができているという事実が語りかけてくること―本は待っててくれるんだなあ、とか、結果がすぐに出なくても焦っちゃいけないんだなあ、とか―をひとりかみしめるお正月休みであった。(ひとりかみしめた後はすぐ夫に話し、実家で読ませた。)
私は作者のビアトリクスポターさんの映画は見ていない。見ていないけど、ポターさんがピーターラビット物語を生み出した経緯を描いたような感じの映画がこの10年以内くらいに封切られていたなということは記憶している。そのうえで今ピーターラビットの絵本を読むと、可愛らしく描かれた動物たち、彼らのふるまいに投影されている人間臭さ、ヴィクトリアンな生活様式の描写、人形たちだって買い物をする女の子的なファンタジー性、それでいて自然界の弱肉強食の掟を無視した子供だましの甘さに陥ることはしない、大人の書き手としての凄み、そういったすべての要素とその絶妙なバランス感覚が非常に素晴らしいのだが、文のなかに時折登場する「私」のまなざしがやっぱりなんともいい味出している。すべての出発点は「私」の想像力なのですからね。そらそんな映画も作られますわな。ピーターラビットにしか目を向けないなんて勿体ない。そもそもお話の登場"動物"としてもピーターラビットは大勢のうちのひとりでしかない。タビタ奥さん(猫)なんか私はけっこう好きで、彼女は雑貨屋を経営していたりご意見番よろしく発言内容だけが取り沙汰されたりと、ピーターを凌ぎかねないなかなかの存在感である。
せっかくねずみ年だし年女なのでねずみのことにも触れると、ねずみはあ��りこの世界では良い扱いは受けていません。タビタ奥さんも「この家にはねずみが多くてもうたくさん!」などと言うくらいで、そこは人間寄りの感覚のようだ。ミッキーマウス見ながら都会のマンションで暮らしをしている身としてはあまり実感はないのですが、やはりねずみと言えば害獣だったんでしょうかね…。