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著者は戦後社会科学の巨峰.資本主義の発展史を研究する場合,共同体の解体の問題を避けて通ることはできない.そのためには共同体の本質,成立と解体の諸条件を総体として理論的に見通すことが必要である.本書は主としてマルクスとウェーバーの理論に依拠しつつ世界史上の共同体の諸形態を類型化した記念碑的著作である
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近年の市町村合併で「行政単位」としての市町村のあり方ばかりが注目され、自然発生的に存在する社会のユニットが非常に希薄化しつつある中、その裏側にある「共同体」の存在について見直し、その意義を捉えなおす必要性は非常に高くなっているように思う。本書は、そういった目的に直接役立つとはいえないだろうが、そもそも共同体とは何であるか、という本質論にかかわるまさしく「基礎理論」として、認識しておくべき内容を含んでいる。
http://d.hatena.ne.jp/hachiro86/20061025#p1
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【目次】
改版にさいして
第一版はしがき
第一章 序論
第二章 共同体とその物質的基盤
1. 土地
2. 共同体
第三章 共同体と土地占取の諸形態
1. アジア的形態
2. 古典古代的形態
3. ゲルマン的形態
解説 [姜尚中]
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西洋経済史学者による、資本主義発展史の前史としての、共同体論。
「共同体」の物質的基盤を「土地(大地)」と規定し、その共同利用と私的利用(の矛盾)が「共同体」の組成を変化させてきた、とする。
その変化は「アジア的形態」→「古典古代的形態」→「ゲルマン的形態」と概観できる。
「アジア的形態」は、血縁的結合という側面が強く、土地の私的利用に関しても「共同態的規制」が働くとする段階。
「古典古代的形態」は、血縁的結合はかなり薄れ、土地の私的利用と成員の自立がはじまり、共同体的な結合の核は新たな「公有地」獲得のための戦争に求められるようになった段階。
そして「ゲルマン的形態」は、土地の私的利用と成員の自立が定着し、さらには共同体内分業が進んだ段階。
きわめて論理的な展開で、少々難しい点もあるのだが、それなりの理解度を得れたと思う。
以下、気になった部分をピックアップ。
○第2章の終盤(P.55)より
「すなわち、再生産構造としての『共同体』は、決して、資本主義社会の基礎を形づくる『商品流通〔=経済??〕』のように全社会的な規模における単一の構成として現れるものではありえない」(〔 〕内私)
「もろもろの『共同体』が大なり小なりの諸部分単位として、そして全社会はそれらの集合体として現れるのである」
ここで急に経済的な話から離れている。当たり前のことだけど、やはりこの観点は(私にとって)重要。
○第3章の終盤(P.157)より
「『ゲルマン的』形態においては、『共同体』がもはや私的諸個人をおしつつむ一個の『結合体』Vereinとしてではなく、個々の私的個人間の単なる『結合関係』Vereinigungとして現れている」
この段階で、成員個人にスポットが当てられているように思う。
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この本はマルクスとウェーバーの理論を土台として書かれている。
しかし、マルクスとウェーバーの本を読んでいなくとも理解できる本だと思う。
特に、ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」を読んだ人で、よく理解出来なかった人は読むべきだと思う。
この本を読んでから、「想像の共同体」を読むことも良い。
ページ数も158で、訳注が細かく書かれているので、実際には150ページくらいの本だと思う。
現在、東アジア共同体などのニュースがあるが、「そもそも共同体とは?」と、疑問に思っている方は試しに読んでみてみると良い。
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・東大経済学部、経済史総論講義をまとめたもの
面白かった!!
マルクス主義的進歩観及び西洋中心主義、という誹りは免れないけれども、明快な論理によって資本主義の形成を読み込む書である。
戦後日本の伝統的な知識人、って印象を受けたのは自分だけだろうか?
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[ 内容 ]
著者は戦後社会科学の巨峰。
本書は主としてマルクスとウェーバーの理論に依拠して、共同体の本質、成立と解体の諸条件を総体として理論的に見通し、世界史上の共同体の諸形態を類型化した記念碑的著作である。
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