紙の本
僕たちに残された大いなる課題
2002/07/14 17:00
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
司馬遼太郎さんが亡くなられた朝の、産経新聞に載った最後の「風塵抄」のタイトルは「日本に明日をつくるために」というものだった。まさに遺書のように、僕たちに残されたタイトルではないか。この短い言葉こそ、司馬さんが僕たちに残してくれた大いなる課題を云いきっているともいえる。
それだけではない。この本に収められた数多くの文章に、司馬さんが残してくれた英知と勇気がある。「神戸の人は、神戸が好きだった」に始まり「神戸や阪神間、それに北淡町の人達は、えらかった」で終わる震災の月のような文章をもっともっと書き残してほしかった。
司馬さんの死から何年も過ぎた。あれからも悲しい犯罪は後を絶たないし、経済は破綻したままだ。こういう時、司馬さんならなんていうだろう。僕はいつもそう思う。
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司馬遼太郎が産経新聞で月1回持っていたコラムを集めたもの。風塵抄の1冊目は元気な日本だったが、2冊目は経済がおかしくなり、政治と社会の綻びが見え始めたことが絵が帰れている。1995年は阪神大震災とオウム事件が取り上げられていた。最終回は1996年2月の亡くなった当日に掲載されたものだった。最後まで日本のことが気がかりだったことが分かる。感謝。
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産経新聞に昭和61年から連載されていた随筆。氏が亡くなるまで連載されていた。
二巻もとても読みやすい随筆である。
新聞に連載されていた随筆なので、時事ネタも多い。このことを考えると当時新聞で読んでいたら、もっと新鮮であったろうことが残念だ。
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司馬氏最後のエッセイ。絶筆までの流れを読んでみて、急にぽっくり逝ってしまったんだということがわかった。
街道をゆくの最終回で、北関東を考えていた、事実には考えさせられる。
その場所をずっと思っていても、行かないとはとても粋なことなのかもしれない。自分にはそういう場があるのだろうか。
そして、本棚に眠っているオウム本へと続く私であった笑
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日本の恥の文化とはどういうものなのか、三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎の借金証文には「いついつに返済すると書き、もしこのことに違えれば、お笑いください、とあるのみ」貸したのは旧大名家なのだが、もし、高額な借金ならば両者の気迫が伝わる。岩崎弥太郎、笑われたら腹も切りかねないよね
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▼司馬遼太郎さんが産経新聞に逝去直前まで掲載していた、まあ、言ってみれば時事エッセイ。その二巻で、これがおしまいになります。
▼司馬さんの亡くなる直前って、「阪神淡路大震災」と「オウム事件」だったんですね。それらへの意見が多い。
▼あと、時事とはあまり近くない、随筆的なものも多いです。印象に残ったのは、「兵隊同窓会」の話です。司馬さんは戦車部隊の即席下士官として満州をさまよった挙句に本土で終戦を迎えたんですが、その部隊の「同窓会」が長年行われていて、それにはほぼ欠かさず出ていた、という。
▼司馬さんと言えばとにかく昭和の陸軍が、平たく言えば大嫌い。なんですが、それはそれ、これはこれ、死線を共にした仲間たちとの人間的な縁は、慈しんでおられたようです。後世の物知らずからすると、一瞬矛盾のように見えて、じわじわと人間臭い体温が感じられる話だなあ、と思いました。