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ロバート・キャパ スペイン内戦 レイナ・ソフィア国立美術館収蔵作品 みんなのレビュー
- ロバート・キャパ (写真), フアン・パブロ・フシ・アイスプルア (解説), リチャード・ウェーラン (解説), キャスリーン・コールマン (解説), 高田 ゆみ子 (訳)
- 税込価格:7,480円(68pt)
- 出版社:岩波書店
- 発売日:2000/01/20
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紙の本
溜息の出る写真集
2004/12/04 13:03
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投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
ピカソの大作「ゲルニカ」を所蔵するマドリッドのレイナ・ソフィア国立美術館で99年にキャパのスペイン内戦写真展が開かれたことを記念して出版されたのが本書です。
今年はキャパ没後50年にあたりますが、彼の本書の写真を眺めていて、ただただ溜息が出ました。
溜息の原因は大別して二つあります。
一つは、国を割った闘いで多くの人々が傷つき斃れていった戦争のむごさが膨大なモノクロ写真の中に落とし込まれているからです。まだあどけない少年がアナキスト民兵部隊の軍帽をかぶっている姿や、大量の家財道具とともに国を捨ててフランス国境へ向かう家族の姿、そして冬の荒野にムクロとなって横たわる3人の兵士の姿は大変痛ましいものです。
いま一つには、スペイン内戦がどちら側の勝利で終結し、その後30年以上もフランコが独裁者としてイベリア半島に君臨し続けるという史実を私自身が既に知っているからです。ユダヤ系で反ファシズムの立場を鮮明にしていたキャパですから、本書にまとめられた彼の写真はどれも共和国軍側に軸足を置いて捉えたものです。大義のために命を賭して戦ったこれら被写体の兵士や市民たちですが、彼らは結局のところ敗者の立場へと追い込まれていくのです。さらには左派陣営内部にもイデオロギー上の対立が生まれ、内戦の中の内戦すら生まれていきます。そうした後付けの知識を持ってこの写真集を眺めると、勝利と平和を信じて銃を取った彼ら左翼人たちの末路に思いが至り、嘆息を押し留めることが大変難しく感じられるのです。
キャパ自身も最愛の女性ゲルダ・タローをこの内戦の地で亡くしています。内戦勃発直前の時期に仲睦まじく微笑む二人を撮った写真が10頁目に掲げられていますが、秋の陽光に照らされる若い二人のこの写真は微笑ましくも痛ましく感じられてならない作品です。
紙の本
未発表写真を初公開した、初めての集大成
2000/07/10 00:15
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投稿者:安原顕 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、写真家ロバート・キャパが「スペイン内戦」(1936〜39)を取材した、未発表写真、所在不明を初公開した、初めての集大成である。
キャパ(本名アンドレ・フリードマン)は1913年、ハンガリーのブダベスト生まれ。両親はドレス・サロンの経営者だった。高校時代彼は、文学政治双方の興味を満たす仕事を望んでいたが、反ユダヤ独裁政治批判のデモにしばしば参加したことで当局に追われ、1931年、17歳の時、ベルリンに亡命、政治高等専門学校に入ってジャーナリズムについて学ぶ。しかし、世界経済恐慌の影響で、両親からの仕送りが途絶えたことを機に学校を辞め、有力写真通信社デフォトの使い走り、暗室助手をしながら写真技術を習得する。ところがドイツでナチスが台頭したため33年初頭、パリに移住。2年近く、職探しに奔走する。そんな折パリで、ドイツ難民の若い女性ゲルダ・ポホレリと出会って恋に落ち、彼女に写真の基礎も教える。ゲルダは彼に、「アメリカで成功した架空の写真家ロバート・キャパを名乗って仕事をしたら」と主張し、自身もゲルダ・タローと改名する。タローとはパリで彼らと親交のあった画家の岡本太郎から取ったものだった。彼らがスペインに入ったのは内戦後、2週間余のこと。キャパは共和国側に立って勢力的に取材、常に最前線に身を置き、敵弾を受けて倒れる民兵(36年9月5日に撮った「崩れ落ちる兵士」は有名)などの報道写真により世界中の注目を集める。37年、キャパはパリに戻るが、タローは写真の仕事の関係でスペインにとどまり、7月25日、安全地帯まで運んでもらうべく将軍の車のステップに飛び乗ったところへ操縦不能の戦車が横から激突、彼女は翌日、逝く。キャパはそのショックから、一時は立ち直れずにいたが、写真雑誌『ライフ』などを舞台に活動を再開、38年には、6か月間中国で過ごし、日本侵略下の抗日戦争、ヨーロッパに材をとった第2次大戦(41年〜45年)、第1次アラブ・イスラエル戦争(48年)などを撮り、戦争の実態、苦悩する民衆の姿を臨場感溢れる迫真の写真に収めた。ブレッソンらと写真集団「マグナム」を創設、さらに活動の場を広げつつあった1954年5月25日、紅河デルタ地帯でフランス軍のインドシナ戦争を撮影中、対人地雷を踏んで爆死する。40歳だった。
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