紙の本
沖縄のハブ撲滅の戦いは世界へ広がった
2002/08/25 09:01
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投稿者:風紋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
今を遡ること20有余年前、ある少年が一人の医師を知った。デパートで開かれた「蛇展」の案内パンフレットに、医師の名が記されていたのである。少年は長じて毒蛇に対する関心を再燃させ、明治薬科大学に入学する。だが、こと志と異なる教育環境に飽きたらず、群馬県にある日本蛇族学術研究所をたびたび訪れて、かの医師からじかに教えを受けた。
少年はすなわち小林照幸であり、医師は蛇毒研究の第一人者、沢井芳男である。小林は、私淑した沢井の業績を世に伝えようと、「ある咬症伝」と題するレポートをものする。レポートには第1回開高健賞奨励賞が授与された。爾来、小林は旺盛な執筆活動に入り、『朱鷺の遺言』で第30回大宅ノンフィクション賞を史上最年少で受賞した。
「ある咬症伝」は、公刊にあたって『毒蛇』と改題された。『毒蛇』及びその後を描いた『続 毒蛇』を一本化したものが本書である。
陽光あふれる南国、奄美大島の場面で幕はあがる。
漁猟資源にめぐまれた奄美の発展を阻害してきた二大要因は、台風とハブである。ハブは、山野はもとより、民家でも人を咬む。主食のネズミを求めて侵入するのである。ハブに咬まれると、筋肉、血液、骨が壊死する。死に至ることもあり、死は大部分、咬まれてから24時間以内にやってくる。
ハブの血清製造に従事していた沢井芳男は、昭和32年7月、初めて奄美大島の土を踏んだ。東京大学付属伝染病研究所(後の医科学研究所)試験製造室主任として、沢井は、ハブ咬症による死を減少させた血清に自信をもっていた。しかし、名瀬市にある大島病院で、咬症患者の悲惨な実態を目にして、息を飲む。鼻をつく腐臭、糜爛した肌、むきだしになった骨、絶え間ない痛みに叫ぶ患者。当時の血清は、死を防ぐ効果はあっても、腫張や壊死を防ぐ効果は乏しかったのである。保存の問題もあった。冷蔵庫に保管しても、有効期間が1年しかなかった。しかも、離島には電気が通じていない。
沢井は、1年間研究した結果、筋肉注射よりも静脈注射のほうが薬効大であることを発見する。また、群馬大学の友人の協力を得て壊死のメカニスムを解明し、世界にも前例のない乾燥血清を作りだした。かくてハブ咬症による壊死は減少したが、血清療法は万全ではない。予防ワクチンの開発に取り組み、昭和40年にハブトキソイドを完成させた。これまた世界で初めての、新しい治療対策であった。
沢井が活躍する舞台は沖縄へ広がり、また、台湾、東南アジアにも広がった。世界の毒蛇がターゲットとなった。
本書は著者の処女作であるだけに、若書きのあらが目につく。構成は単調、時系列に沿って記述するのみだ。また、生のデータがやや過剰なまで詰めこまれているから、文面が生硬になりがちだ。
だが、こうした些細な瑕疵を補って余りあるのは、主人公、沢井芳男に対する著者の熱い思い入れである。この一途な傾倒は、さわやかだ。多数の資料を渉猟し、綿密な現地調査により裏づけているから、我田引水的な礼賛になっていない。世間的な華々しさとは無縁のところでハブ禍撲滅のため地道に尽力した学者の半生が、ずしりと重い読後感を残す。
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「完本 毒蛇」5
著者 小林照幸
出版 文藝春秋
p313より引用
“<<いちばん安全な場所から、いちばん危険な作業を
観賞することぐらい楽しいことはない>>”
大宅賞受賞作家である著者による、
ハブ毒の血清の改良や予防薬の開発に、
多大な功績を残した医師や関係者達のエピソードを綴った一冊。
日本のみならず、
他国で毒蛇に悩まされる人たちの為に奔走する、
主人公・沢井医師の情熱の強さに頭の下がる思いを、
抑えられません。
上記の引用は、
かつてアメリカにあった毒蛇研究施設における、
キングコブラの採毒を見せるショーのステージ横に、
書かれていた一文。
怖い物を見たい危ない物を見たいというのは、
ローマ時代に闘技場があったように、
遠い昔から変わらない人の娯楽のあり方のようです。
最近では、
検索してはいけない言葉を検索してみた動画なども、
この引用の言葉に当てはまるように思います。
第一章で書かれるハブ毒の被害について読んでいると、
自然と共に生きていくには、
覚悟を決めてかからなければ出来ないように思います。
先人の偉大な功績に感謝せざるを得ない一冊です。
ーーーーー
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昭和30年代の奄美大島ではハブによる咬症被害が深刻だった。ハブ毒に効く血清はすでに東大の沢井芳男医師により開発されていたが、冷蔵保存が必要で、その状態でも使用期間は一年のみ。当時冷蔵庫は中心部の病院にあるのみで、地方部では血清さえなく、あったとしても期限切れか、冷蔵保存されていないものだった。
ハブ毒による致死率は改善していた。当初そのデータに安心しきっていた沢田は奄美大島を訪れた時に自らの不覚を恥じる出来事に直面する。確かに致死率そのものは低下していたが、沢田はそこでハブ毒による肉体の壊疽に苦しむ人々を目の当たりにした。壊疽による腐臭を発散させながら、高熱にうなされ朦朧としている患者。そして絶望しながら看病する家族。壊疽した部分は切断するしかない。沢田は悟る。壊疽を起こさせない血清をつくる、そして常温で保存できる乾燥血清を作らなければこの惨劇は終わらない。
蛇毒の乾燥血清の発明、そして世界初の蛇毒の予防ワクチン「ハブトキソイド」を発明した沢井芳男医師の感動のノンフィクション。
ハブ被害は地域が限定されていたため、この功績は本土ではほとんど知られていないが、奄美や沖縄の方々にとってはどれほどの福音だったかは計り知れない。
NHK「プロジェクトX」が好きだったお父さん世代に強くオススメする傑作。
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これはひとりの医師が蛇毒と真剣に向き合った記録である。
東京大学付属伝染病研究所で毒蛇ハブの血清製造をしていた
沢井芳雄は、同じ研究所の仲間であり寄生虫の研究者から
奄美大島にハブ被害の記録が大量に保管されていることを
聞かされる。
太平洋戦争中、ラバウル島に軍医として赴いた経験のある沢井は、
奄美大島にラバウルを重ね、「南の島に行ってみたい」との思い
にかられる。
昭和30年代。奄美大島に渡った沢井は、研究所の中で血清製造だけ
を行っていたのでは分からなかった実際のハブ被害の様子を目の当
たりにした他、実はハブ被害の多い地域では血清への不満がある
ことを知る。
この奄美大島での見聞が、沢井を蛇毒研究に駆り立てた。確かに
血清は死亡率を減少させたが、それだけでは不足だ。血清の改良を
行うと共に、血清療法の限界を感じていた沢井は、予防ワクチンの
開発をも手掛ける。
そして、沢井の興味は日本国内のみにとどまらず、世界へも向けられ
る。
熱い作品である。行間から沢井が蛇毒に傾ける熱意と、著者の沢井と
その研究への熱い思いが読み手にも伝播する。
幸い、私の生活圏ではアオダイショウやシマヘビを見かけることは
あるが、毒蛇を見かけることはない。だから、その被害の凄惨さは
本書を読むまでまったく知らなかった。
毒蛇と一括りにしても、その毒性で人体への被害も異なるのだが、
出血性の毒にしろ、神経性の毒にしろ、本書で詳細に綴られている
毒蛇被害の様子に怖気を振るう。
こんなに暑い医師がいたからこそ、蛇毒被害は最小限に留めるよう
な処置が出来るようになったのだね。
沢井芳雄。もっともっと、広く知られていい医師であり研究者だと
思う。
尚、私の不真面目は頭は本書に引き込まれている間にも「毒蛇は
どく(こ)じゃ」とか、「I have a ハブ」なんてくだらない
ことを考えていた。沢井先生並びに著者にお詫び申し上げる。
誠に申し訳ございません。
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前編は、奄美大島、沖縄のハブ被害、治療に関すること。ハブがこれほど恐ろしい蛇だとは思っていなかった。血清やワクチンの開発、頭の下がる思いです。
後編は、世界へ!という感じでした。特に、台湾医療(中医と西医)で苦労された話は、蛇被害よりも大変なことだったと想像された。