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紙の本

視覚のパースペクティヴから見事に整理された近代論

2000/10/28 21:01

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:馬丁酔語 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「世界像の時代」(ハイデガー)や「表象」としての世界(フーコー)ということが取り沙汰されるように、近代が視覚優位の時代であるとはよく語られることではある。しかしその内実を確認しようと思うと、そこには多くの場合、相当に曖昧で雑多な要素が含まれていることに気づかされる。本書は、近代と視覚をめぐる多様で錯綜した論点を、五本の論文を中心に、簡潔にして充分なかたちで纏め上げた好著である。本書に論文を寄せている五人の錚々たる論客は、視覚や身体といったものは、それ自体が歴史的に構成された産物であるという共通の認識にもとづきながら、それぞれ独自の視覚論を展開している。さらに、ここで論じられる「視覚」とは、一つの身体能力であるにとどまらず、近代を形作る主観・客観図式や、認識主観の特権性といったものを表す特権的メタファーでもあるという理解も、五人の著者の共有するところである。

 冒頭のマーティン・ジェイの論考は、とりわけ視覚をめぐる議論を腑分けして、要を得た見取り図を描くものとなっている。ここで前提となっているのは、アルパース『描写の芸術』(ありな書房)やビシュ=グリュックスマン『見ることの狂気』(ありな書房)などのきわめて現代的な論点である。そのためにジェイの議論は、それらの書物に関する格好の案内ともなっている。それは、続くクレーリーの論考にも言えることであり、その論文は、著者自身の『観察者の系譜』(十月堂)のエッセンスとなっている。

 クラウスとローズは、リオタールやラカンを踏まえながら、視覚とセクシャリティ、あるいは視覚と身体といった論点を縦横に論じ、ブライソンは西谷啓治や水墨画を手掛かりに、視覚の脱中心化を模索するなど、その議論は実に多岐にわたっている。また本書は、シンポジウムの記録が核になったものであるため、各論考についての質疑応答と全体討議の模様を収録しているというのも特色の一つである。それぞれ分量的には短いものではあるが、論文という形態とは違った生の議論に立ち会えるという意味で貴重な資料である。それぞれの論考が孕んでいる問題点や発展の可能性がそこでの討論によって炙り出されてくるばかりか、近代の視覚中心性に対する五人の論者それぞれの態度の微妙なずれが垣間見えてくる。

 こうした特色ゆえに、本書は、従来の議論の総括であると同時に、今後の多様な議論を紡ぎ出すための出発点であり、またそれらの議論にある程度の見通しを与えるナヴィゲーターとしての役割をも担っている。その意味で、繰り返し参照し、再読するに足る一冊であろう。200頁あまりの小著ではあるが、これが持っている意味は計り知れない。しかもその記述の簡潔さのお陰で、錯綜した議論に対する透徹した「視界」が得られるというのも、本書の大きな魅力である。それを考えると、本書の小ささは逆に大きな利点なのである。翻訳および訳者解説も実に優れている。

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