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現在の政治状況を考える上で重要な参考文献
2015/10/31 13:19
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投稿者:kjcc41shiro - この投稿者のレビュー一覧を見る
~本書で語られる日本社会党の沿革~
1. 現行憲法施行後、初の国政選挙での比較第一党の獲得。
2. 保守系成党との連立による政権運営。
3. 党内路線対立を原因とする政権離脱・野党転落。
4. 保守合同により成立した自由民主党政権に対する劣勢。
5. 60年安保闘争での法案成立阻止失敗、およびその後の議会勢力拡大の失敗。
6. (本書の冒頭でも述べられている)党内での「内ゲバ」の繰り返し:
…社会党「右派」・「左派」の分裂や、その後の民社党、社民連などの中道左派政党の分離・離脱。
7. (話が前後するが)戦前のマルクス主義陣営内での講座派(共産党系)と労農派(戦後の社会党へとつながる)の対立を引きずった事を発端とする、日本共産党に対する(特に社会党内右派からの)根強い不信感。
8. 自民党長期政権下での議会勢力数の低迷と長期停滞(いわゆる「野党ボケ」)。
9. 冷戦終結により、資本主義と社会主義のイデオロギー対立が無意味下する中で、党の存在意義の再定義の失敗:
…細川非自民連立政権での党の存在力低下や、自民党との連立による村山内閣樹立に打って出るも党勢を回復できず。
10.「大野党」日本社会党の終焉:
…社会民主党への党名変更、民主党への「合流」を断られる。
こうした状況を見てゆくと、1.から5.までの流れが、民主党の辿っている道との「相似形」を強く感じさせられる。
・(小沢自由党を引き込んだ効果が大きかった)政権交代の実現。
・その後の政権運営の迷走と党内対立の激化、さらには分裂。
・(小選挙区制や「第三極」政党の存在などが絡みつつ)安倍自民党に対する「惨敗」による野党転落。
・集団的自衛権および安保法制反対の運動拡大にもかかわらず党勢に回復の兆しが見えない。 など
しかし、社会党や民主党の弱さを嘆いて、「結局は自民党しか選べない」というのでは、この国の大多数にとって「不幸」だろう。
なぜなら、現在の安倍自民党はかつての長期政権時代の自民党とは比べものにならないほど右傾化し、党内の意見の多様性を失っている。
さらには、近年の国政選挙で有権者の4割以上が「棄権」している上、世論調査でも約4割が「支持政党無し」の状態である。
この「支持政党無し」の層や、自民党や共産党を「仕方なく支持している」層の中に、本来であれば「穏健な保守」から「中道左派(リベラル)」の政策を指向する人の割合はかなり高いだろう。
こうした「穏健保守」あるいは「リベラル」層の支持を受け止め、政権獲得を狙える「存在感のある野党」が出来ることを強く希望する。
この「存在感のある野党」の立場を担うのが、党勢を回復した民主党になるか、それとも野党再編による新党になるかの議論はここでは措く。
それでも、安倍自民党や公明党に投票しなかった「多数の有権者」とって、自分たちの意見を国政に反映させる窓口の役割を果たせる政党をどのように「育てる」かを考える上で、日本社会党が辿った轍を反面教師にすると言う意味で本書は良い参考になるだろう。
奇しくも「連合政権樹立」をぶち上げた共産党に対して、他の野党各党がどういうスタンスをとるべきかを考える上も本書は一読の価値があると思う。
ところで、日本社会党の設立メンバーとなった労農派マルクス主義者の一部グループが、戦時中の「革新官僚」として名をはせた岸信介を盟主に担ごうと画策したと本書で指摘されている点は興味深い。
尊敬する「お祖父様」の背中を無邪気に追いかけている「お坊ちゃま総理」にこの事をどう思うか質問したら、どんな返事をするだろうか?
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日本社会党が結党以来一度も単独政権を担うことなしに、冷戦の終結・55年体制の崩壊とともに落日を迎えた原因を詳細に事実を積み重ねて探っている。社会党の最大の問題を理想主義と絵空事に基づく決定論的・二元論的な思考様式であったとして、政治においてリアリズムとユートピアニズムを共存させることの重要性を指摘し、西欧で社民政党がオスロ宣言で共産主義と決別し、市場経済と議会制民主主義に立脚するという基本的な社会体制に対する国民のコンセンサスを基盤としつつも資本主義の暴走をチェックして社会主義的な要素を適宜加えていった点を日本の社会党との最大の違いだったとして強調している。
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社会主義、共産主義が結局のところ青臭い理想主義でしかなく、その理想主義から他者にも無謬性を求め、結局のところ誤謬の容赦ない追求から運動がまとまらずバラバラになっていった過程がよく分かる一冊。
他者との違い、他者の間違いを認めることからでないと社会は始まらないんよ。
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本書の内容は、タイトルの通り、1945年の結党から50年あまりの日本社会党の栄枯盛衰を描いている。
社会党と言えば、55年体制の中で自民党政権を牽制する野党として認知されてきた。しかし、その内情はひどいものであった。結党以来の左右両派の主導権争い。また左右両派の中にも派閥が生まれ、両者が足を引っ張りあうという有様。
左派優位が確定した後は、「反米」「非武装中立」を党是として、ソ連・中国・北朝鮮の共産圏との外交を重視する社会党は、社会民主主義というよりは共産主義的なマインドで政策を打ち出す。しかも、(社会党の中では)資本主義と共産主義という単純な構図で始まった冷戦に、中ソ論争という共産圏内での対立がはじまると、社会党内の親ソ・親中派の衝突も加わる。
こうして、様々な自己矛盾を抱えながら、社会党の理想主義と現実との乖離が甚だしくなり、冷戦の終結とともに社会党の精神的支柱も砕け散った。
このような万年野党=社会党の存在が、55年体制の38年間度重なる汚職・政治不信にもかかわらず、自民党の政権が維持された原因であると結んでいる。
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55年体制の一端を担った日本社会党の、平易な解説本である。
とはいえ内容は結構深い。
社会党といえば、しばしば日本国の存在自体を否定するかのようなイメージを持つが、実は結党時は中間派の日本無産党と右派の社会民衆党はおよそ左翼とは言えないような、国家社会主義・天皇制を養護するような右翼であった。
また社会党左派は、西欧型社民主義ではなくプロレタリア革命に基づくソ連型社会主義を志向したが、議会で多数を占めた暁にはその状態を固定化させ、社会主義革命を達成するという、およそ議会制民主主義とはかけ離れた思想であった。
それとは別に、社会党右派は西欧型社民主義を目指していた。のだが、片山哲内閣のときの失敗によって、左派優位になったために日の目をみることはなかったが、田中角栄は右派の重鎮であった江田三郎が政権を取ることもありうる、と考えていたそうである。
また自民党は親米の政党であったが、社会党は親ソ・親中・親北朝鮮の政党であったわけだが、中ソ対立のときに党自体が分断の危機に遭う。結局日本社会党は冷戦と中ソ対立という社会主義国家同士のいがみ合いに巻き込まれてゆく。
先ずなにより、日中国交正常化するにあたって、中国の関心は社会党より自民党親中派に移っていくのである。
ここでは拙い文章しか綴ることができなかったが、社会党を知る上での良き入門書となるだろうし、また日本とアジア外交を知ることもできるようになる。
結局は、理想を求めつつも、現実から遊離した政党であった感は否めない。
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[ 内容 ]
敗戦直後、日本社会党が誕生した。
戦前の無産政党を糾合し、「社会主義国日本」を目指しての結党である。
しかし以後半世紀、一度として単独政権を打ち樹てることなく、ついに崩落した。
社会党の歴史は、日米安保体制=自由主義陣営を打破する闘いとそれに絡まる路線・派閥抗争の軌跡でもある。
ソ連型社会主義と共振するその「理想主義」は、議会制民主主義と相容れない側面をもっていた。
日本社会党を通して、戦後日本の全体像に迫る。
[ 目次 ]
戦後社会主義の出発
「日米安保」を求めて
講和・安保に臨んで
60年安保の疾走
後期冷戦のなかで
冷戦終焉と日本社会党の崩落
日本社会党の「理想主義」
[ POP ]
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☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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戦後社会主義の出発◆「日米安保」を求めて◆講話・安保に臨んで◆六〇年安保の疾走◆後期冷戦のなかで◆冷戦終焉と日本社会党の崩落◆日本社会党の「理想主義」
著者:原彬久(1939-、北海道釧路市)〈国際政治学・日本外交史・日米関係〉[早稲田大学第一文学部]東京国際大学教授・法学博士
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2000年刊。著者は東京国際大学教授。
岸や吉田関連ほか戦後日本政治の著作を持つ著者が素描する日本社会党の戦後史。人間臭い社会党所属議員の在り方につき、教条主義的分析ではない本書は読み応えがある。
一方、確かに大なり小なりマルクス・レーニン主義に親近性を持つ集団だったとはいえ、
①例えば国家社会主義者岸信介とも通じるメンバーの存在(というより岸が利用しようとしたきらいも有り)、
②戦後の社会党議員の中に、戦中期では反軍か親軍か否かの区分け可能。
③親ソ又は親中一辺倒でなく、日米安保に合理性を見出す議員もいた。
④その立場が支持基盤に左右された(組合ではなく、江田三郎の如き大衆に基盤を持つ人物)。
➄日本共産党との距離感の大小。
かように左右という二分法はもとより、マトリックス的な分別も容易ではない。かかる構成員のモザイク状の在り方が、肝心要の時(サンフランシスコ講和会議・日中国交回復など)に政治的な存在意義を発揮できなかったという厳然たる事実を突きつけている。そんな印象の残る逸品である。
まあ、構成員のぐじゃぐじゃさは自民党にも似た面があるんだけれど…。
原水爆禁止問題で、日本社会党が唯一、大陸中国の原水爆保有政策を批判した(殊に周恩来に向かい直に批判したことまでは、おおっとなるが)ものの、直に腰砕けになってしまったというのが、日本社会党の在り方を暗示しており、なんともはやという他はなかった。