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戦闘美少女の精神分析 みんなのレビュー

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みんなのレビュー9件

みんなの評価3.9

評価内訳

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6 件中 1 件~ 6 件を表示

紙の本

なぜ少女たちは戦うのか?

2004/01/10 01:18

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:さいとうゆう - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ふと目にした雑誌『美術手帖』で村上隆の特集を組んでいて、本書の表紙を思い出した。メカニックなボディスーツから突き出た、剥き出しの乳房に恥らうこともなく、腿の部分から広がる等身大の虹色の翼で舞い降りる美少女。村上隆による「戦闘美少女」のフィギュアである。

《もっとも私を混乱させるのは、…戦闘美少女という徹底した虚構的コラージュであるべきイコンが、欲望され消費される過程の中で獲得してしまう逆説的リアリティ。これこそが解かれるべき最大の謎ではないか》(p.11)

 あくまでもヒーローのネガ、つまり「マッチョのパロディ」としてではなく、『ナウシカ』あるいは『セーラームーン』に見られるような、可憐さと無垢をあわせ持つ日本型「戦闘美少女たち」(=ファリック・ガール)は、欧米型の「戦う女たち」(=ファリック・マザー)とは全く異なった存在として定立している。いまや「セクシュアリティの対象物」として消費されつつある彼女たちに、著者はオタクやメディア史、アメリカの画家ヘンリー・ダーガーの分析などをもとにして切り込んでいく。

 昨今の報道でも、少女誘拐に関わる被疑者のオタク的特性があげつらわれる例が後を絶たないが、筆者はむしろ、精神科医でありかつオタクでもある知人たちの例を引きながら、なぜオタクは現実的な倒錯者ではないのか? という問いを投げ掛ける。オタクたちは自らのセクシュアリティを想像的領域において確保した上で、現実的領域においては「ごくまっとうな」異性をそのパートナーとしている、というのだ。いまだ消えぬ「オタク=ヤバイひと」という短絡的図式を一蹴し、オタクなる存在とその趣味的対象の本質を見極めることが出来たとき浮かび上がってくるのは、過度に情報化した現代社会において、いかに「生の戦略」を展開すべきかという根源的な問いかけと、それへの一つの解答として示されるわれわれの振る舞いの様式である。

 「ファリック・ガール」たちは、日常的現実と徹底して乖離し、そこから無縁であるがゆえにあらゆるメディア空間への着陸を可能にしている。彼女たちは「戦うことが出来る」存在なのではなく、「戦うことによって存在が可能になる」のである(p.268)。一切のトラウマから無縁の彼女たちは、その無根拠さゆえのリアリティを虚構空間の中で発揮し始める。オタクたちは対象とする作品の「神聖化」を拒絶しながら、同時にリアルな形でセクシュアリティをその世界で補完する。

《われわれが虚構を楽しむことができるのは、それが「仮想現実」であるがゆえではない。それが主観の位置転換を要請するような「もう一つの現実」にほかならないためだ》(p.266)

 AVで「抜く」こととアニメで「抜く」ことの差異がほんの些細なものであることに気づくとき、「性」の領域の根源的性質としての虚構性が浮かび上がってくる。剥き出しの裸体が欲望を喚起するのではなく、そこには何らかの「媒介」、すなわち「観念の領域」が必要であるのならば、徹底して「虚構のイコン」であるはずの「ファリック・ガール」が、性的対象としてリアリティを獲得してしまう逆説を、端的な事実としてわれわれは認めうるのかもしれない。

《無関心さ、例えば無垢かつ天真爛漫な振る舞いこそが最大の誘惑となりうる》(p.267)

 「ペニスを持つ少女たち」を描いたダーガーに見えていたのは、手に入らぬ実体的享楽からの疎外なのではなく、むしろ侵略を拒み続ける無垢の楽園であったかもしれない。「自立した欲望のエコノミー空間」の中で、幻視された光景に恍惚としながら、「天才」は終わらない遊戯に明け暮れる。

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紙の本

文化的想像力の最先端

2001/01/29 09:25

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:田辺聡 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書は少なくとも6つの文脈で楽しむことができる。
 「おたく」と呼ばれる人たちの逸脱的でコミカルな行動の事例集として。海外での日本のおたく文化受容の現状報告として。特異な画家/物語作者ヘンリー・ダーガーのパトグラフィとして。マンガ・アニメの表現技法を表象文化史的な観点から分析したものとして。ラカン派の視点から見た「おたく」の精神分析として。そして最後に美術作家村上隆初の装丁作品として。
 現代日本の文化的想像力の最先端に関心のある読者には、特におすすめの好著である。なお、批評家東浩紀のウエッブサイトでは、本書のネットワーク書評が進行中である。併せて参照すれば一層楽しめることと思う。

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紙の本

オタクの世紀

2000/07/22 12:20

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:加藤四郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 オタク、とまではいかなくても、漫画、アニメに日ごろ親しんできた自分にとって画期的な一冊だと思う。特に前半部、「オタク」のセクシャリティに焦点を当てて、精神分析学やメディア論をわかりやすく援用しつつ彼らの実態を解明していくところなどは非常に興奮させられた。
 ただし、後半部で説明される「ファリックガール」の概念はアニメキャラのすべてに敷衍することはできないだろう。「ナデシコ」のルリが享楽的な戦闘を行っているとは思えないし、あくまで一部のキャラクターの魅力に限るのでなければ納得しがたい。
 とはいえ、これは普段アニメに興味を持たない人にも薦めたいほどの興味深い本だと思う。
 アニメ、漫画に疎遠な人は、オタク達がアニメキャラをあたかも実在するかのように追いかけるさまを奇異に思いがちである。しかし彼らを理解することは、肥大した文化と向き合って生きていかねばならない現代人にひとつの答えをもたらすかもしれない。

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2006/02/04 18:42

投稿元:ブクログ

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2007/10/08 11:19

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2012/09/08 10:10

投稿元:ブクログ

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