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紙の本
死なない限り人は生きていかなければならないということ。生きている限り、未来はある。
2000/09/27 12:53
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ざぼん - この投稿者のレビュー一覧を見る
収録短編『未来』について
いじめによる自殺の増加に世は戦々恐々としていて、恐らくそれについて書かれた本も沢山あるのだと思う。が、重松清のこの方面への真摯なまなざしというのは秀逸。
重松清は別にいじめをテーマに書くわけではないのだと思う。いじめというのは単純に白黒付けられるようなものではない(干刈あがた『黄色い髪』のように理由がはっきりしている例というのは実際には希では?)。いじめの要因というのは、いじめる側よりもむしろいじめられる側にあると私は思っている(原因、元凶ではなくて)。いじめられっ子というのは、恐らくあの年頃の人間であれば誰もが持っている鬱憤などを、引き入れ易い「質」を持っているのだと思うのだ。
重松清の場合は、たまたま書こうとする人間がこのような「質」を持つ人間に重なるだけなのではないだろうか。だから「いじめ」ということに関しても、視点を固めることなく、実に柔軟に繊細に、物怖じすることなく、徹底的に書いてみせる。
だから、重い。
でもね、加害とか被害とか抜きにして、要するに死者よりも生者なのだ、ということ。死なない限り人は生きていかなければならないということ。生きている限り、未来はある。単純で当たり前のことだけれど、でも、これは大切なことだと思う。
紙の本
平成の山本周五郎−−いつか日常を超えて「何か」を書いてください。
2001/01/25 11:05
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
一読者が直木賞作家に対して言うのは僭越だけれど、それでも、重松さんより私の方が少し年上だから言わせてもらうと…
「重松さん、あなたはうまい!」
“うまい”という表現はきっと、技巧的というニュアンスがあり、頭の中で構築した…というマイナスの印象が残り、人によっては誉め言葉にとってもらえないこともあるかと思う。
けれども重松さんの場合、職人的な、名工的なうまさなのだ。
これはもう、「テクニックというものが“ハート”を引き合いに出されて歩が悪くなる的な考えこそがおかしい」と反発したくなるぐらいに…。
そもそも「はじめに言葉ありき」−−書く人の経歴や背景がどうであれ、しょせん小説というものは、その人の頭の中にある考えが言葉をどう組み合わせて表現されるか、文体としてどう現れてくるかが肝心で、そこが欠けてしまっては価値がないに等しいのだと思う。うまいことは、とても大切なのだ。
三作が収められている。
『カカシの夏休み』は、生徒にひそかにカカシと呼ばれている小学校教師の話。クラスに時々キレる「カズ」という男の子がいるが、立って見ているだけだからだというのだ。
この教師が中学を卒業してから、生まれた町はダムの底に沈んだ。町長だった祖父が受け入れた結果だ。同級生だった高木の葬式で、教師は22年ぶりで3人の同級生と出会う。そのうちの一人、初恋の女性が作ったホームページで、水没した町の写真を毎日少しずつ眺めていると、いくつかの物事が進行する。
日照り続きでダムは枯れていき、問題児のカズが父親の体罰を受けていることを知って自宅にしばらく預かることにし、高木の遺族のもめごとから、彼の骨を、沈んだ町の近くに届けることになる−−これらがたくみに有機的に結ばれていくのだ。ハメられていると意識しつつ、ぐうっときてしまう。
『ライオン先生』は、かつて教え子と結婚した熱血高校教師の話。妻に先立たれた彼は娘と二人ぐらし。二重まぶたにする整形をしたいと娘に言われて反対するが、お父さんも長髪のカツラを外したら…と言われて絶句する。登校拒否の生徒を抱え、ストレスによる頭部のかゆみに悩まさる。冗談なんだか本気なんだか、切ないんだかおかしいんだか、読み手は忙しく揺さぶられる。
『未来』は、高校生の時、人殺しの汚名を着せられた女性の話。同じクラスの男の子がこれから自殺すると電話をかけてきたのだが、十分な対応をせず切ってしまったところ、本当にその子は死んでしまった。以来、表情が凍りついて通院しており、高校は中退した。ある日、弟が似たようなトラブルに巻き込まれて…。
このサイトのインタビューにもあるように、重松さんは郊外のマンションの平凡な家庭を舞台にした小説にこだわる。どこにでもいそうな父や母、娘や息子…大変なことは多いけれど、日々コツコツ生きていかなきゃねということが嫌味なく温かに伝わってくる。現代の山本周五郎みたいな国民的作家になりつつある。
こういう小説は多くの人々の支えとして必要なものだけれど、それでもひとつ、不満と希望ごっちゃに言わせてもらえれば、日常を繰り返すことのストレスをどーっとあふれさせてくれる先に待っていてくれる器−−何かファンタジー的なものを、この名工が書いてくれたらなと願っている。