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白鯨 モービィ・ディック 上 みんなのレビュー

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みんなのレビュー11件

みんなの評価4.0

評価内訳

  • 星 5 (2件)
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高い評価の役に立ったレビュー

7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2012/03/20 11:19

いつかは読んでやろうという気持ちは持ち続け、68歳のこの歳になってようやく時節到来というわけだった。ようやく「上巻」読了したところである。若者であればこれからの長い人生を前にして、なんらかの教訓を読み取ることはできるかもしれないが、それよりも年の功の積み重ねで過去現在を振り返り、このメルヴィルの非情な世界観を深く味わうことのほうがよさそうだ………と、そんな気がしている。

投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

読み始めれば、これはなんだ!と冒頭からの障壁にたじろいだ。
序章に当たる「鯨という語の語源(先ごろ肺病で亡くなった或る高等中学校非常勤講師の提供による)」と「鯨という語を含む名文抄(図書館司書補佐である某氏の提供による)」。鯨という生き物に関する古今のイメージなのであるが、言語学的あるいは文学的に考察している研究者のノートを装って、しかも厳かなのだが、55ページに及んで詳細を極める。ストーリーには無関係として読み飛ばしていいものかと迷うハメになった。が、結果的にはなるほどなるほどと、スタートダッシュとしてほどよい刺激をうけた。

しかし、謎めいた語り手イシュメールの登場、事ここに及んでは予備知識がないとぼくには到底手に負えない。そこで巻末にある訳者・千石英世氏の解説「暗示でしか語ることのできぬもの」を熟読した。おかげで、ぼくとしては重要な手掛かりを得た気分に到達、押し付けがましいさがない名解説だと思う。
「解説」の最初の一文で衝撃を受けた。
「清く正しく素朴に生きる人に悲劇は狙いすましたかのように襲いかかる。その横であくどく狡く生きる人は栄え、もう笑いが止まらない。これが世界だとしたら、そして、こんな酷薄な世界を通り抜けて行かねばならぬのが私たちだとしたら、私たちはどうするのだろうか。人生におびえ、立ちすくんでしまうのだろうか。………語り手イシュメールが、世界に感じていた違和感の一面はこのようなものであった。」
2000年3月3日の稿であるが、まるでポスト2011・3・11の今そのものを告発しているかのようではないか。そしてメルヴィルは160年前、1851年に『白鯨』を発表しているのである。米国捕鯨船へ薪水食料の補給する基地として、ペリーが幕府に開港をせまったころ(1853年)であった。
イシュメールすなわちメルヴィルが感じた違和感。世界のありようとは日本も米国も同じであり、160年たってもいつになっても変らないという「真実」。
そうかこれを語る作品なのだと。読み進めるうえでの大きな手掛かりだと思った。

イシュメールとはそもそもなにものであるか?
作品を読んでもこれはわからない。
当時の社会的タブーに拘束されメルヴィルには「暗示でしか語ることのできぬもの」が幾つもあったが、そのひとつであり、最も重要なキイワードだ。
「イシュメールという名は、旧約聖書の登場人物の名を借りたものである。ユダヤの民たるヘブライ民族の始祖アブラハムの正妻には子供ができなかった。だが、側室には男の子が生まれる。イシマエルである。ところが正妻にもその後男の子が生まれた。となると、側室とその子は追放される。母と子はパレスチナの砂漠を寂しく彷徨することになった。
なぜ追放されねばならぬのか、旧約聖書「創世記」は………そんな疑問に一切答えることなく………伝えている。砂漠もまた海と同じ自然、むき出しの自然、生き物の死体が砂粒に変る世界だ。『白鯨』の語り手はそんな聖書物語から名を借り、この酷薄から絶対の酷薄へ、埒外へ、海へと逃亡するのである」

神からも家族からも住んでいる世界からも見放された旧約聖書のイシマエル。語り手・イシュメールはその生まれ変わりなのだ。ぼくにはイシュメールが感じた違和感こそやがてニーチェにより暴露されるニヒリズムのはしりだと思えるのだ。かれはこの世界を成立させている超越的最高の価値が有効性を失った現実を見ている。彼は神を否定するものである。イシュメールは超越者の手になる文明、これを象徴する陸と訣別し、虚無の「海へと逃亡する」。いや逃亡という受動姿勢ではないぞ。虚無という海の果てに見出せるかもしれない宇宙の神秘、その真理を体験せんとする命がけの出発である。絶対虚無に生きて虚無を超克する能動の生きかたがイシュメールなのだ………と思いたい。

イシュメールが乗り込む捕鯨船の名前はピークオッド号。それは白人入植者によって絶滅したアメリカインディアンの部族名であり、そのジェノサイドの悲劇と告発を暗示している。
勝利・繁栄は敗北・絶滅と一体にある。神はなぜこういう世界をお創りなされたのか。神と悪魔は一体にある。世界とはこんなもんだ………とイシュメールの呪詛は繰り返される。そして「白鯨」と「エイハブ」の死闘とはなんだ。そこに宇宙の神秘はあるのだろうか。

3月6日。まだこの上巻を読み終えていない。千葉大学のシンポジュームで、ニュートリノ観測でノーベル物理学賞を受賞された小柴昌俊先生のお話を聴講できた。
そこで先生が示された宇宙の成り立ちの図にぼくは釘付けになっていた。
一匹の大蛇が頭部を十二時にして、時計回りに円周を描いて横たわる。頭部は宇宙だそうだ。たとえば3時には太陽系があり、6時には人間がある。9時には原子核があり、10時には素粒子があった。そしてこの大蛇はぐるりとして尾を飲み込んでいるのである。(後で知ったことだがこれはウロボロスの蛇とよばれるものだった。)
一瞬、ぼくは物質世界の成り立ちをわかりやすく説明するこの図で、直感的には「無限大=無限小」の世界だなと思った。
が、ここに『白鯨』におけるイシュメールのもうひとつの世界観、それはニヒリズムとはいえないかもしれない、がはっきりした形で見えてきた。これも『白鯨』を読むおおきな手掛かりだと覚醒する思いがしたのだ。
イシュメールは大きな存在である宇宙の神秘がすなわちちっぽけな存在に過ぎない人間の魂の神秘と合一であると捉えたのだ。そして人間の心の宇宙的深淵さを追求する。

頭部に善を置き、尾に悪を置く。頭部に神を置き、尾に悪魔を置く。頭部に聖を置き、尾に俗を置く。頭部に平和平等博愛を置き、尾に殺戮差別憎悪を置く。頭部に清を置き、尾に濁を置く。頭部に光を置き、尾に闇を置く。頭部に真を置き、尾に偽を置く。頭部に至福を置き、尾に災厄を置く。頭部に文明・文化を置き、尾に自然・野蛮を置いてみよう。
直線上の両端としてもっとも遠くに対峙している関係であると我々が認識させられている形象は実は虚像であり作られた欺瞞なのだ。イシュメールは相反するものの、実は混沌のうちにある合一性について、いくつものドラマティックな具体的事象を挙げ、それらがときには形而上的思索へと飛躍しつつ、圧倒するボリュームと驚くほどのディテールで語り続けるのである。そしてこれが我々の住むリアルな世界なのだと………絶叫する。

この予備知識をもとにわが来しかたを振り返りつつ、まさに朗誦するにふさわしく、舞台劇のセリフのようなリズミカルな語りに魅せられて、判らぬことも判ったつもりになって、読み進めてきた。
哲学的随想あり、劇あり、詩ありと多様な表現手法からなる格調高い文体である。実に男っぽい力強さが満ちた海洋冒険小説でもあった。そしてこの語りが指摘するところの酷薄の世界、そのあまりにも迫真の今日性に驚嘆する。

エイハブは304ページに至りようやく登場する。
しかし白鯨はいまだ姿を見せない。
このながい幕間に緊張感がいや増していく。

さて下巻を楽しみながら「19世紀アメリカ文学の最高傑作」を堪能しようと思う。

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低い評価の役に立ったレビュー

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2000/11/28 17:14

『白鯨』新訳がすごい!

投稿者:柴田元幸 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 千石英世による新訳『白鯨 モービィ・ディック』(講談社文芸文庫)をパラパラ見ただけで、おおっこりゃすごいと思った。

 『白鯨』は、エイハブ船長が白い鯨を追いかける熱く烈しい物語を縦糸とすれば、鯨大全ともいうべき、平水夫イシュメールの雑多で香具師じみた語りが横糸である。両者がすっきり交互に、ではなく、ぐじゃぐじゃ不可分にもつれあって、できているのがこの大作。で、やったことはないから確かなことはわからないが、エイハブ船長の壮大な憤怒はある程度翻訳で再現できても、イシュメールのバナナの叩き売り的調子良さを再現するのは難しいんじゃないかと思う。事実、これまで多くの読者が、三十二章「鯨学」のような壮大なホラ話で開陳される情報を一つひとつ真面目に吸収しようとして、あえなく「難破」(訳者千石氏自身が、『群像』六月号の奥泉光氏との対談で使っている言葉)してきたのである。

 だが千石訳は、そのノリのよさによって、情報の雑多さ、過剰さこそがポイントであることをよく伝えている。章のフィニッシュも決まっている——

「小さく立つものは、最初に手をつけた工匠によって最終局面まで見届けられもしよう。しかし大いなるものは、そして真なるものは、最後の仕上げの笠石(かさいし 本文はルビ)を後世に託するもの。それが常。ならば、神よ、おれが何かを完成するなどということがないように御守りください。この小説といえども同じ、これはただの下書き、いや、下書きの下書きにすぎぬ。おお、時よ、力よ、金よ! おれは耐えてみせよう」。

 鯨の潮が水なのか蒸気なのか、という問題については——

「おれの仮説は、鯨の潮は蒸気にほかならぬというものである。おれがこう結論づけざるをえないと思う理由は色々だが、なかでも、抹香鯨にのみただよう凛々しさ、雄々しさによるところ大であるとはいっておこう。かれは低俗かつ浅薄な人物ではないとおれはみている。事実、かれは、浅瀬や浜沿いに姿を現すことは決してない。他の鯨はそれをしがちだ。かれは重厚にして深遠である。そして重厚にして深遠なる人物は、たとえば、プラトンやピロン、あるいは悪魔やジュピターやダンテらがそうであるように、かれらが深く思考をめぐらしているさなかにあっては、頭部からある種、見せ消ち(本文では「見せ消ち」に傍点)の蒸気がただよっているものなのだ。いつだったかおれ自身が永遠をめぐって小さな論文を草していたときのことだった。おれは、ふと好奇心に駆られて、眼前に鏡を置いてみたのだ。鏡のなかを見ると、おれの頭上の大気中に何やらゆらめき上がるような、ただよい上がるようなものが見えるではないか。おれの頭髪から絶えず蒸気が立ち上がっているではないか……」。

 あまり引用ばかりだと原稿料泥棒になるのでこれくらいにするが、ところどころ原文と較べてみると、さりげない工夫や微妙な言い換え・書き足しがあって絶妙(これについては『新潮』八月号でも書いたので、ご覧いただければ幸いである)。間違いなく、今年の翻訳界最大の収穫だろう。

(「bk1文芸サイト」 連載書評第一回「『白鯨』新訳がすごい!」より/公開2000.7.10)

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紙の本

いつかは読んでやろうという気持ちは持ち続け、68歳のこの歳になってようやく時節到来というわけだった。ようやく「上巻」読了したところである。若者であればこれからの長い人生を前にして、なんらかの教訓を読み取ることはできるかもしれないが、それよりも年の功の積み重ねで過去現在を振り返り、このメルヴィルの非情な世界観を深く味わうことのほうがよさそうだ………と、そんな気がしている。

2012/03/20 11:19

7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

読み始めれば、これはなんだ!と冒頭からの障壁にたじろいだ。
序章に当たる「鯨という語の語源(先ごろ肺病で亡くなった或る高等中学校非常勤講師の提供による)」と「鯨という語を含む名文抄(図書館司書補佐である某氏の提供による)」。鯨という生き物に関する古今のイメージなのであるが、言語学的あるいは文学的に考察している研究者のノートを装って、しかも厳かなのだが、55ページに及んで詳細を極める。ストーリーには無関係として読み飛ばしていいものかと迷うハメになった。が、結果的にはなるほどなるほどと、スタートダッシュとしてほどよい刺激をうけた。

しかし、謎めいた語り手イシュメールの登場、事ここに及んでは予備知識がないとぼくには到底手に負えない。そこで巻末にある訳者・千石英世氏の解説「暗示でしか語ることのできぬもの」を熟読した。おかげで、ぼくとしては重要な手掛かりを得た気分に到達、押し付けがましいさがない名解説だと思う。
「解説」の最初の一文で衝撃を受けた。
「清く正しく素朴に生きる人に悲劇は狙いすましたかのように襲いかかる。その横であくどく狡く生きる人は栄え、もう笑いが止まらない。これが世界だとしたら、そして、こんな酷薄な世界を通り抜けて行かねばならぬのが私たちだとしたら、私たちはどうするのだろうか。人生におびえ、立ちすくんでしまうのだろうか。………語り手イシュメールが、世界に感じていた違和感の一面はこのようなものであった。」
2000年3月3日の稿であるが、まるでポスト2011・3・11の今そのものを告発しているかのようではないか。そしてメルヴィルは160年前、1851年に『白鯨』を発表しているのである。米国捕鯨船へ薪水食料の補給する基地として、ペリーが幕府に開港をせまったころ(1853年)であった。
イシュメールすなわちメルヴィルが感じた違和感。世界のありようとは日本も米国も同じであり、160年たってもいつになっても変らないという「真実」。
そうかこれを語る作品なのだと。読み進めるうえでの大きな手掛かりだと思った。

イシュメールとはそもそもなにものであるか?
作品を読んでもこれはわからない。
当時の社会的タブーに拘束されメルヴィルには「暗示でしか語ることのできぬもの」が幾つもあったが、そのひとつであり、最も重要なキイワードだ。
「イシュメールという名は、旧約聖書の登場人物の名を借りたものである。ユダヤの民たるヘブライ民族の始祖アブラハムの正妻には子供ができなかった。だが、側室には男の子が生まれる。イシマエルである。ところが正妻にもその後男の子が生まれた。となると、側室とその子は追放される。母と子はパレスチナの砂漠を寂しく彷徨することになった。
なぜ追放されねばならぬのか、旧約聖書「創世記」は………そんな疑問に一切答えることなく………伝えている。砂漠もまた海と同じ自然、むき出しの自然、生き物の死体が砂粒に変る世界だ。『白鯨』の語り手はそんな聖書物語から名を借り、この酷薄から絶対の酷薄へ、埒外へ、海へと逃亡するのである」

神からも家族からも住んでいる世界からも見放された旧約聖書のイシマエル。語り手・イシュメールはその生まれ変わりなのだ。ぼくにはイシュメールが感じた違和感こそやがてニーチェにより暴露されるニヒリズムのはしりだと思えるのだ。かれはこの世界を成立させている超越的最高の価値が有効性を失った現実を見ている。彼は神を否定するものである。イシュメールは超越者の手になる文明、これを象徴する陸と訣別し、虚無の「海へと逃亡する」。いや逃亡という受動姿勢ではないぞ。虚無という海の果てに見出せるかもしれない宇宙の神秘、その真理を体験せんとする命がけの出発である。絶対虚無に生きて虚無を超克する能動の生きかたがイシュメールなのだ………と思いたい。

イシュメールが乗り込む捕鯨船の名前はピークオッド号。それは白人入植者によって絶滅したアメリカインディアンの部族名であり、そのジェノサイドの悲劇と告発を暗示している。
勝利・繁栄は敗北・絶滅と一体にある。神はなぜこういう世界をお創りなされたのか。神と悪魔は一体にある。世界とはこんなもんだ………とイシュメールの呪詛は繰り返される。そして「白鯨」と「エイハブ」の死闘とはなんだ。そこに宇宙の神秘はあるのだろうか。

3月6日。まだこの上巻を読み終えていない。千葉大学のシンポジュームで、ニュートリノ観測でノーベル物理学賞を受賞された小柴昌俊先生のお話を聴講できた。
そこで先生が示された宇宙の成り立ちの図にぼくは釘付けになっていた。
一匹の大蛇が頭部を十二時にして、時計回りに円周を描いて横たわる。頭部は宇宙だそうだ。たとえば3時には太陽系があり、6時には人間がある。9時には原子核があり、10時には素粒子があった。そしてこの大蛇はぐるりとして尾を飲み込んでいるのである。(後で知ったことだがこれはウロボロスの蛇とよばれるものだった。)
一瞬、ぼくは物質世界の成り立ちをわかりやすく説明するこの図で、直感的には「無限大=無限小」の世界だなと思った。
が、ここに『白鯨』におけるイシュメールのもうひとつの世界観、それはニヒリズムとはいえないかもしれない、がはっきりした形で見えてきた。これも『白鯨』を読むおおきな手掛かりだと覚醒する思いがしたのだ。
イシュメールは大きな存在である宇宙の神秘がすなわちちっぽけな存在に過ぎない人間の魂の神秘と合一であると捉えたのだ。そして人間の心の宇宙的深淵さを追求する。

頭部に善を置き、尾に悪を置く。頭部に神を置き、尾に悪魔を置く。頭部に聖を置き、尾に俗を置く。頭部に平和平等博愛を置き、尾に殺戮差別憎悪を置く。頭部に清を置き、尾に濁を置く。頭部に光を置き、尾に闇を置く。頭部に真を置き、尾に偽を置く。頭部に至福を置き、尾に災厄を置く。頭部に文明・文化を置き、尾に自然・野蛮を置いてみよう。
直線上の両端としてもっとも遠くに対峙している関係であると我々が認識させられている形象は実は虚像であり作られた欺瞞なのだ。イシュメールは相反するものの、実は混沌のうちにある合一性について、いくつものドラマティックな具体的事象を挙げ、それらがときには形而上的思索へと飛躍しつつ、圧倒するボリュームと驚くほどのディテールで語り続けるのである。そしてこれが我々の住むリアルな世界なのだと………絶叫する。

この予備知識をもとにわが来しかたを振り返りつつ、まさに朗誦するにふさわしく、舞台劇のセリフのようなリズミカルな語りに魅せられて、判らぬことも判ったつもりになって、読み進めてきた。
哲学的随想あり、劇あり、詩ありと多様な表現手法からなる格調高い文体である。実に男っぽい力強さが満ちた海洋冒険小説でもあった。そしてこの語りが指摘するところの酷薄の世界、そのあまりにも迫真の今日性に驚嘆する。

エイハブは304ページに至りようやく登場する。
しかし白鯨はいまだ姿を見せない。
このながい幕間に緊張感がいや増していく。

さて下巻を楽しみながら「19世紀アメリカ文学の最高傑作」を堪能しようと思う。

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鯨をめぐる冒険

2010/09/25 19:31

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る

名訳の誉れ高い千石英世訳『白鯨』。上巻300ページになってやっと、あのエイハブ船長が出てくる。まさしく異形のもの。

『白鯨』というと、エイハブ船長vsモービィ・ディックの対決ってイメージが強いが、どっこい人間と鯨の関わりを多角的に考察していて、ストーリーよりもそちらの方が、読んでいて強くひかれる。

それまでは、鯨の文化史やその当時(日本に黒船が来航したあたり)の港町や国籍・人種の異なる船乗りなどが重層的に描かれている。解説を読むと、作者自身「捕鯨船の平水夫」で南太平洋を漂泊していたとか。

産業革命によって燃料の油が不足となり、マッコウクジラの鯨油に目をつけ、捕鯨業が盛んとなる。作者自身、異文化を体験する中で近視眼的、もしくはステロタイプ的な西欧文明の豊かさ、物質文明の豊かさには、疑問を感じていたのではないだろうか。アウトサイダーつーかヒッピー的な精神のさきがけといってしまってもいいような。

最初の方に「ピークオッド号の航跡」が紹介されている。ナンタケットからカナリー諸島を経て白鯨を追尾する。日本はジャパン沿岸漁場、ジャパン沖漁場。ハワイはサンドウィッチ群島、マルケサス諸島はマーケサス諸島。地図を眺めれば、想像力をよりかき立てられる。

捕鯨船は単に捕鯨するだけではなく、捉えたクジラを屠って、捌いて、鯨油を取る。それを精油して木製の大樽に詰めて帰港する。ほらよくいわれるけど、日本の捕鯨は獲った鯨を肉から骨からヒゲからすべて無駄なく活用しているが、西欧諸国は油だけとって捨てていると。それは、文化の違いだからどっちが正しいとかはいえない。

本書にも、鯨肉をステーキで食するシーンが出てくるが、あまりにも大量すぎて食べきれない。蟹工船ならぬ鯨工船とタッグを組んで、油を絞った肉は、船上で缶詰にでもしてもらえばよかったのに。など、勝手に妄想する。ジャパン沖漁場-小笠原諸島あたりか-は、
やはり昔から鯨の宝庫だったようだ。

白蛇、白竜、白虎、ホワイトライオンなど白い生物は聖なる象徴とされて信仰の対象になっている。アルビノなどと片付けてしまっては、面白くない。白鯨は、聖書(正しくは旧約聖書か)にも出てくるリヴァイアサンなのか、神の化身なのか。人間の自然への冒涜に対する戒め、復讐なのか。人間は崇める対象物を、時には侵犯して生き延びてきた。

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旧ペンギン版とともに、ぜひ

2001/02/13 15:12

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ミミズク - この投稿者のレビュー一覧を見る

 かつてペンギン・ブックスに、ハロルド・ビーバーなる学者が注釈を付した、Moby Dickがあった。作中何気ない個所にホモセクシャルな意識を読み込んでみたり、言葉遊びに明け暮れたり、と、注釈だけでも存分に価値のある版だった。ところが、注釈に割くページが本文に匹敵するという異常さのためか、はたまた従来考えられてきた『白鯨』という作品を解体しかねない至上の遊び心のゆえか、この版は一部のマニアックな読者層からは熱狂的にに迎え入れられたものの、良識派の学者連中からは不評を買い、絶版となった。現行のペンギン・ブックス版は、角の立たない、ありきたりな、薄っぺらい注釈になり下がり、物分かりのいい人は誰も見向きをしなくなった。

 何十年かぶりの新訳、『白鯨』を読むときは、ぜひともこの旧ペンギン版を傍らに、と思う。訳者注は括弧付で本文中に組み込まれているのみだが、翻訳の姿勢は一貫して旧ペンギン版、ビーバー氏の注釈の意図を存分に汲み取ったものとなっている。時に読み込みすぎて、知らぬ人にとってはつらい場面もある。しかしこれは、翻訳とは横を縦に換えるだけの作業ではなく、変換するさいになんらかの意図を組み込むことが可能な、いや、図らずも組み込まざるを得ないような、そんな作業であることを体現しているからこそ、なのだ。

 難渋な原文を読みやすい日本語に変換しているから、面倒くさい議論はいいよ、という人にとっても、いちばん読みやすい『白鯨』であること間違いなし。途中まで読んで、何コレ、どこが名作なの、と思った敏感なあなた。それは翻訳のせいではなく、原書が、普通一般に考えられている小説の概念をはるかに超えてしまっているからと考えて欲しい。八木敏雄『『白鯨』解体』および、千石英世『白い鯨のなかへ』がここらの事情に詳しいので、併せてぜひ。

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『白鯨』新訳がすごい!

2000/11/28 17:14

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:柴田元幸 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 千石英世による新訳『白鯨 モービィ・ディック』(講談社文芸文庫)をパラパラ見ただけで、おおっこりゃすごいと思った。

 『白鯨』は、エイハブ船長が白い鯨を追いかける熱く烈しい物語を縦糸とすれば、鯨大全ともいうべき、平水夫イシュメールの雑多で香具師じみた語りが横糸である。両者がすっきり交互に、ではなく、ぐじゃぐじゃ不可分にもつれあって、できているのがこの大作。で、やったことはないから確かなことはわからないが、エイハブ船長の壮大な憤怒はある程度翻訳で再現できても、イシュメールのバナナの叩き売り的調子良さを再現するのは難しいんじゃないかと思う。事実、これまで多くの読者が、三十二章「鯨学」のような壮大なホラ話で開陳される情報を一つひとつ真面目に吸収しようとして、あえなく「難破」(訳者千石氏自身が、『群像』六月号の奥泉光氏との対談で使っている言葉)してきたのである。

 だが千石訳は、そのノリのよさによって、情報の雑多さ、過剰さこそがポイントであることをよく伝えている。章のフィニッシュも決まっている——

「小さく立つものは、最初に手をつけた工匠によって最終局面まで見届けられもしよう。しかし大いなるものは、そして真なるものは、最後の仕上げの笠石(かさいし 本文はルビ)を後世に託するもの。それが常。ならば、神よ、おれが何かを完成するなどということがないように御守りください。この小説といえども同じ、これはただの下書き、いや、下書きの下書きにすぎぬ。おお、時よ、力よ、金よ! おれは耐えてみせよう」。

 鯨の潮が水なのか蒸気なのか、という問題については——

「おれの仮説は、鯨の潮は蒸気にほかならぬというものである。おれがこう結論づけざるをえないと思う理由は色々だが、なかでも、抹香鯨にのみただよう凛々しさ、雄々しさによるところ大であるとはいっておこう。かれは低俗かつ浅薄な人物ではないとおれはみている。事実、かれは、浅瀬や浜沿いに姿を現すことは決してない。他の鯨はそれをしがちだ。かれは重厚にして深遠である。そして重厚にして深遠なる人物は、たとえば、プラトンやピロン、あるいは悪魔やジュピターやダンテらがそうであるように、かれらが深く思考をめぐらしているさなかにあっては、頭部からある種、見せ消ち(本文では「見せ消ち」に傍点)の蒸気がただよっているものなのだ。いつだったかおれ自身が永遠をめぐって小さな論文を草していたときのことだった。おれは、ふと好奇心に駆られて、眼前に鏡を置いてみたのだ。鏡のなかを見ると、おれの頭上の大気中に何やらゆらめき上がるような、ただよい上がるようなものが見えるではないか。おれの頭髪から絶えず蒸気が立ち上がっているではないか……」。

 あまり引用ばかりだと原稿料泥棒になるのでこれくらいにするが、ところどころ原文と較べてみると、さりげない工夫や微妙な言い換え・書き足しがあって絶妙(これについては『新潮』八月号でも書いたので、ご覧いただければ幸いである)。間違いなく、今年の翻訳界最大の収穫だろう。

(「bk1文芸サイト」 連載書評第一回「『白鯨』新訳がすごい!」より/公開2000.7.10)

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2015/07/28 13:50

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2017/06/28 09:32

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2021/01/28 00:17

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2021/05/23 01:27

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2021/10/05 14:11

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2023/02/12 12:04

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