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風太郎流、病老死観。恬淡としているようで、このようなエッセイを大量に書いているのは、やはり死を気にかけていたのだろう。
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文章は硬派なのに茶目っけを忘れないのが素敵。死を前にしても、態度はあくまで飄々として。物事の道理のよく見える人だったのだろうな、と思います。
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「人間臨終図鑑」で数々の人の死を見つめた風太郎が、今度は決して遠くない自分の死について、死生観についてを素直に書いている。風太郎のエッセイを読むのは始めてたけど、小説とも戦前から戦後にかける一連の日記とも違っていて、軽妙でありながらも風太郎らしいブラックユーモアに溢れてて楽しめる。やっぱ読まれる前提で書くエッセイと読まれる前提では書いてない日記とは違うね。どちらか言うと生活に肉薄できる日記の方が好き。チーズの肉トロは是非作ってみます。うまそー。
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08001 ※廃番
アスキーネットJ 2001.11
米テロ直後 児童虐待
08002
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山田風太郎さんのエッセイ集です。
エッセイはいつもは他の本と平行して読む事が多いんですが この本に関しては これ一本で集中できました。エッセイって不思議です。自分とは別の人の時間感覚を味わえます。山田風太郎さんの飄々としたマイペースな時間の流れが大好きです。
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「野蛮な読書」で触れられていて気になって読む。医者の診断ではないけれど、あと千回ぐらいしか晩飯が食べられないだろう、というところから始まる死生観。医者から見たらいやな患者。でも、こんなふうに、強気な弱気もよい。自分が死ぬ日が地球滅亡の日なのだ。
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あっけらかんと壮絶な老いを語っている、このエッセイを読んだら、昔は無惨過ぎて読めなかった風太郎先生の「人間臨終図鑑」の3巻が、今なら読めるかもしれない。
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飄々としたじいさん。
中島らもが憧れるだけあって筆の運びに淀みがない。
それにしてもこの人の、人の死に対するオブセッションはすごい。
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残りの人生で、ゆっくりと味わえる晩飯は、あと1000回くらい、と気付くところ、さすが山田風太郎であります。
一度気づくと、漫然と毎日の晩飯を食べている訳にもゆかず、あれこれ味わうべきものが、人生には、かなり多いと気づかされます。
日々の何気ない暮らしに埋もれている、多くの大切な事柄に、改めて、目が行くというか、気づく事になるという一冊であります。
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自分もこんな本を読むようになったのだな、という感慨が一入である。内容は肩のこらないエッセイだが、そこはやはり山田風太郎である。独特のシニシズム?はなかなかのものである。某氏が昭和19年5月18日の山田風太郎と古川ロッパ(山田風太郎の遠縁にあたる)の日記にある食事の内容を対比するくだりなど、興味深く読ませる。
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今から約30年前、著者70歳余で書いた随筆・随想集。
その飄々とした、時に自虐的、時に偽悪的なスタンスから繰り出される世相や人生観、未来像の鋭さに舌を巻く。