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なるほどなーと思った。確かに東大の子は東大、政治家の子供は政治家だ。入試の際に、その後の階級を決める公平で平等な「生まれ変わり」が行われているようで、実は、生まれたときから自分の階級は決まっているのかもしれない。少し怖いな、と思う。
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階層・差別・貧困など使っている言葉の選択、論理の飛躍、重要な事柄なのに根拠を示さない、英米との比較の仕方、などなど。なんか釈然としないまま、彼の主張を展開される・・・。たぶんこっちが読めてないだけだとは思うが、二度目を読もうとは思わない。
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格差社会がとりだたされる以前にこうした冷静な教育に対する見方が日本にあったことに驚いた。日本人の平等主義を教育のみならず、価値観への影響も踏まえて論じている。「教育はこうあるべき」と熱く語る前に、「教育に何を期待してはいけないか」を冷静に考える必要があるのかもしれない。自身の研究にも影響を与えうる書。
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分かるっちゃあ分かるんだけど、なんかしっくりこない部分が多いなぁ、と思いながら読んでたら1995年に出た本だった。
そりゃあ、今読めばそこはかとない違和感くらいあるわ。
教育に何ができるのかを考えるのではなく、何ができないかを考えること。
教育に何を期待すべきかではなく、何を期待してはいけないのかを論じること。
教育で差が生まれるのは確かなのだけれども、だからって何もかもは教育できない。
一時期話題になっていた「行き過ぎた平等主義」は何故おきたのかが分かる。
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戦後、国民の平等がうたわれ、形式上は階級格差がなくなったとされる現代だが、その背後には依然として教育の場で階級格差が残っている、と説く一冊。
教育社会学かな?
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これみんなに読んで欲しい!!って特に大学の人はこれを読んで自分の歩んできた教育と現状を理解して欲しい。それでいて自分達の状況が当たり前ではない事を……。無理か!!
それにしても僕は学校の先生にはなりません。これめっちゃ面白かった!!
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ちょっと古い本ですが内容的には全然古くなっていません。
内容も読みやすく、非常に分かりやすいです。
統計データは使いますが複雑な話ではないので、苦手な人にもオススメ。
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(2008/8/7読了)社会階層が学歴を規定するという論点は2000年代になって日本でも盛んに言われているが、この本で著者は、その前の90年代までの日本においては「生まれがどうであれ、努力次第で=本人の能力によって学歴が決まる」という神話があり、であるがゆえに、生まれた階層によるスタート地点での格差は全く意識されてこなかった、と分析する。でも実際は20世紀の日本においても、親の学歴や職業と子の学歴とはずっと高い相関関係があり続けていたとな。
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「本書は、比較社会学の視点から、戦後日本の教育と社会とのユニークなむすびつきがどのように形成され、いままた、どのように変わりつつあるのかを探るひとつの試みである。」(まえがき■)
「戦後日本社会の形成という謎に、教育と社会との結び目に着目することから迫っていく。本書は、教育に視点を置いた、戦後日本社会論のひとつの試みである。」(025頁■)
著者の『知的複眼思考法』を実践したもの。
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生まれながらの身分制が(ほとんど)存在しない日本という国で、
学歴というものが持つ意味を考える
なぜ「学歴」なのか
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東京大学大学院教育学研究科教授(社会学)の苅谷剛彦(1955-)による大衆化する教育社会における階層問題の考察。
【構成】
第1章 大衆教育社会のどこが問題か
第2章 消えた階層問題
第3章 「階層と教育」問題の底流
第4章 大衆教育社会と学歴主義
第5章 「能力主義的差別教育」のパラドクス
終 章 大衆教育社会のゆらぎ
「大衆教育社会とは、教育が量的に拡大し、多くの人びとが長期間にわあたって教育を受けることを引き受け、またそう望んでいる社会で」あり、本書で挙げられる特徴は以下の3点である。
(第1の特徴)高い高校進学率・大学進学率
(第2の特徴)「メリトクラシーの大衆化状況」の現出
(第3の特徴)大衆化したメリトクラシーを通じて選び出される特定の社会
階層の文化との親近性格をそれほど強く持たない「学歴エリ
ート」の存在
1950年代には至るところで見受けられた貧困層の低学力問題は、高度成長を経て一億総中流の大衆社会の出現によって消滅した。かわって、学歴エリートへの批判が持ち上げってくる。1991年の中教審小委員会の中間報告においては、私立中高一貫高の国公立大への進学実績伸張による、大都市部富裕層によるエリート階層の独占化が危惧された。しかし、この批判が的外れであることを1950年代以来のエリート層輩出家庭の分析により明らかにされる。つまり、東大をはじめとする有力大学は一貫して、上層ノンマニュアル層の子弟の寡占状態であり、私立中高一貫校の普及とは関係がない。
とはいえ、教育社会学の研究者が長年積み重ねてきた階層と教育の問題が社会的な問題として大きく取り上げられる機会は少なかった。
それは、学歴取得前ではなく、学歴取得後の社会的格差を問題にし続けた「能力主義教育批判」という教育界の一大潮流にあった。この潮流こそ、教育の形式的な画一化を求める「画一的平等化」と平等原則に基づく教育の機会拡大を求めることになった。しかし一方で、このような教育機会の平等化要請により、同等の学力レベルに達した生徒達による学歴獲得競争が激化するというパラドクスも同時に生じた。
以上のような、大衆教育社会の状況を、実証的に示す本書の議論は明快である。同時に
このような歪な大衆学歴社会を改善する特効薬も見あたらないのもまた本書で明らかにされている通りである。評者を含め我々戦後世代が歩んできた「学校教育」の構造的な問題点を認識する上で、本書の存在は非常に有意義であり、教育について少しでも関心のある人間には是非一読していただきたい一冊である。
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新書で体が震えたのは「ビジネス・インサイト」以来かな。
ゼミ論で使えそうだと思ったから丁寧に読書ノート取りながら読んでたけんども、考えさせられる事が非常に多い。いかに今までの自分の考えがうわべだけだったのかを実感させられる。批判的な態度で臨んでもこのざまか、という自分に失望クリスマス。歴史は偉大でした。やはり歴史的布置連関もしっかり追跡しますよ。
戦前から90年代にいたるまでの学校教育史の本。メインは戦後いかに「大衆教育社会」が成立したのか、であるよ。能力主義を嫌って平等主義をうたった方針がいかに確固たる能力主義制度を作り上げたか、またいかに不平等を覆い隠すシステムを作り上げたか(←教育の問題を社会から切り離して論じる限り、方針が変わろうと歴史は繰り返される)。欧米との差別観の差異も面白い。ブルデューもハマータウンも頭の中で大活躍でした。
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[ 内容 ]
本書は、欧米との比較もまじえ、教育が社会の形成にどのような影響を与えたかを分析する。
[ 目次 ]
第1章 大衆教育社会のどこが問題か
第2章 消えた階層問題
第3章 「階層と教育」問題の底流
第4章 大衆教育社会と学歴主義
第5章 「能力主義的差別教育」のパラドクス
終章 大衆教育社会のゆらぎ
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[ 参考となる書評 ]
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95年の著作でありながら社会学として普遍的な書だと思う。
流石は東大教官がすすめる100冊といったところか(まあその手のモノはむやみに信用しているわけでもないのだけど)。
この本ではデータを駆使して今まで全く論じられることのなかった点を追及している。
それは学歴取得以前にも不平等はあり、小学生レベルでも親の社会階層によって学力が違う、ということ。
正直これは子ども心に薄らと気付いていたけどある種触れてはいけないタブーのような部分があったように思う。
やっぱり団地の子とか軽く馬鹿にされていたし、そういうのは確実にあった。
また改めて振り返り、進学校と呼べる高校に入った子をカウントするとその分布にも面白い発見がある。
最近ではAO入試というものが多いそうだが、この著者はそういったことに対しても「個性」や「創造性」が親の階層によって決められる可能性がある・・・と予言している。
これは事実そうなっているだろう。
また満足な職を得るにも親の階層が多いに関係している社会になっている。
しかもこの手の本を手にするのも親の階層が関わってくるのだ。
小学校入学時に親に配って感想を書かせるべき一冊。
因みに個人的な感覚だけど、進学校でも親の階層を感じる部分はかなりあった。
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戦後から1980年代あたりの「ゆとり教育」開始ごろまでの大衆教育の変遷を描く。
子供がどんな家庭で育ったか、社会階層・家庭の文化的背景(親の職業や学歴、年収)は教育によって再生産されるということは研究によって明らかに示されている(ただしこれはあまり知られていないが)にも関わらず、日本においてこの不平等は問題視されず、ただただ「学歴社会」であると学校教育以降の不平等のみが批判される。
この世界的にも特殊な意識形成を、戦後の「平等教育」の成立に関して見ていく。
年収だけでなく親の職業の社会的地位が高いと子供の学歴も高くなり、同じような職業に就くという学説を統計手法を用いて客観的に述べている点は、研究自体は行われているものの一般的に知られている考えではないため大変勉強になった。
佐藤俊樹著「不平等社会日本」でも同様の議論がなされています。
さらにそれ以降読み進めていくと、学校教育において人々が「不平等である」と感じる理由とその更正の歴史を紐解いていき、これについては戦後教育を客観的に正しく理解するという点で勉強になりました。
それ以降の論については正直なところいまいちパッとしませんでした。
第一に、戦後の貧困による経済格差が教育格差に直結しており、これは高度成長期で是正されたものの、同時に家庭の社会階層・文化的背景(親職、親学歴、年収)による不平等の再生産が教育議論の中で見えなくなっていった理由の根拠が明確に示されていないところ。
「教育は中立的価値を持っている」、「誰しも努力すれば成功できる」と思われている、ということだけでは、社会階層の再生産の研究も明確に示されている以上、必ずしも社会階層・文化的背景による学歴の不平等が軽視される理由にはならない気がしました。
第二に学歴と社会的能力は必ずしも相関していないはずなのに学歴が重視されるという「学歴社会」がどのように形成されていったかの理由の根拠が同様に示されていないところ。
「個人の能力を見ない学歴重視の社会は不平等だ、という意識が社会に存在します」と論じてはいたが、その意識の根源がしっかり書かれていなかった。
なぜ学歴があれば(一般的には)成功できると信じられているのか、その根源についての検証はほぼありませんでした。
教育に関する理論は理想論として現実的な見方が欠如しているために、教育の外にある社会との関わりをもっと検討すべきだ、と最後に論じているのですが、上記二点の検証が明確でなかったため少し不満でした。
この本では主に学校教育の内部を論じているために仕方ないことかもしれませんが…
学歴社会の形成について知りたい方には不満足でしょうが、戦後教育制度の変遷を理解するには良書だと思います。戦後義務教育に関しては同著者の「教育と平等」をあわせて読むことをお勧めします。