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社会学思想史 イデオロギーと社会学理論の発展 みんなのレビュー
- I.M.ツァイトリン (著), 山田 隆夫 (訳)
- 税込価格:4,400円(40pt)
- 出版社:青山社
- 発行年月:1993.4
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2012/11/30 07:45
投稿元:
社会学思想史の名著。
モンテスキューから、カール・マンハイムまでを、啓蒙・大革命後の思想・マルクスの流れ・マルクスの亡霊と闘争という4章に分けて解説している。
それぞれ丁寧に解説してくれている分、情報量は非常に多い。
500頁ほどの大著であるが、文章自体は非常に読みやすく、あまりストレスを感じないため、社会学に興味がある方であれば、手に取るのをオススメしたい。
これだけの内容で4200円というのも魅力だ。
以下は、本書の内容を整理のためにメモ書きしたもの。
■啓蒙・哲学的根拠
十八世紀の啓蒙主義の人々は、人間精神が森羅万象を理解することができ、かつ人間欲求に従わせる事ができると確信していた。
そして、自然科学の概念と技術を用いて理性と真理に基づく新しい世界を創造し始めた。
理性は、この時代の知識人の中心目標であったが、宗教的啓示や伝統や権威を根拠とするような真理ではなく、理性と観察をもって根拠とした真理こそがそれにふさわしかった。
であるから、啓蒙思想家たちは、人間の潜在的能力を抑制して可能性を認めようとせず、十八世紀当時の秩序に否定的な考え方を持っていた。
啓蒙思想家は「理性」によって、現存している秩序をどのように超克するかが大きな課題であった。
啓蒙主義者たちにとって「理性」とは、人間と神によって共通に保たれている真実の領域にある「永遠の真理」である。宗教的啓示や権威の証明にも膝を屈することなく、「永遠の真理」を獲得するために邁進した。
そのためには、思想の自由を要求し、領主階層の特権を攻撃し、商業諸階級の束縛に対する自由すらも要求した。そしてついには倫理を宗教から分離させようとするにまで至った。
理性と観察によって導き出された真理を探求する、啓蒙思想の時代は、まさに理性が神とって代わった時代であるといえる。
そして、自然の法則があまねくあてはまるような、新しい宇宙像のスタートとなった。
■モンテスキューとルソー
モンテスキューの独創性は、社会の諸要素を諸類型に分散し、比較検討することによる社会的事実研究と、ものごとの本質に由来する社会的・歴史的発展の法則を解明しようとするところにあった。
それによって、社会を構成するすべての制度を互いに相互依存的で相関関係をもち、社会全体の形態に依存していると見なすに至った。
「法の精神」及びその他の彼の著作は、このような政治的社会的類型に基礎をおいた分析の所産である。
例えば、社会が共和制から君主制に移行するプロセスを、以下のような考え方で示した。
1) 社会の容積が増大すると人口が増大し、地理的範囲が拡大するとそれに応じて社会のあらゆる局面に変化が起こる。
2) 人は社会全体を近くすることはできなくなるため、自分の属する利害集団または階級の利害しか見ないようになる。
3) 階層化の進展により、多岐多様な観点や問題が発生し、私的所有の増大は政治権力に大きな不平等を惹き起こす。
4) 指導者はほかのすべての人の上に君臨する主権者となる。
モンテスキューは以上のことから社会が共和性から君主制に移行していくことは避けられないと結論づけた。
終始一貫して理念型および法の概念を駆使したこと、比較研究の必要性を認識していたこと、社会の諸要素が機能的に相互依存しているという仮説を押し進めたことなどの理由から、モンテスキューは社会学思想の先鞭者として認められている。
■ルソーの思想
人間は自然状態においては他人への無関心が通例であり、放っておけば引きこもり別々に生きようとすると考えた。自然状態の人間は、それぞれ孤立しておりお互いに無関心である。道徳的・情緒的絆も義務感も同情心も持たず、それぞれが自己のために生き努力しているのだと。
強奪・征服・暴力といったものは人間の本能に根ざしているものではなく、社会制度によって起こると定義づけた。
ルソーはこの問題の原因を、一定の社会が自己に対して分裂させてしまうことにあるとした。現行の秩序では、人間の可能性を妨げ、人間性を歪曲し、人間性を侵害すると考えたため、それに代わるものを追求したのだ。
ルソーの主要な関心は、権力および、権力と自由との関係であった。
人間の自由や幸福、そして人間自身の運命をますます支配すること、これらはすべて自然法を明確に理解することにかかっていた。
自然法と最もよく調和した法が存在する社会秩序を発見することにあった。
そして、ルソーが発見した社会秩序こそが、一般意思である。
政府の権力は公的な力とよばれて一般意思を表現しているといわれ、個人の自由とは、一般意志への自発的服従を含んでいる。
ルソーは、一般意思に自己を委ねているときに、不道徳的な従属は現れないと考えた。それゆえ、新しい社会では、個人は自己意思を失うことなく、共同の一般意思に吸収されることが可能になる。
ルソーが「社会契約論」において提示した理想的回答は、社会のすべての構成員が、全政治組織の統一権力によって保護され、各個人はお互い結合しているが自由で平等で自分自身にだけ従う事のできるような社会状態を見いだす事であった。
そして現実的には、政治組織の統一権力の中で、諸個人が最大の自由を確保するためには、権力は社会のなかの諸個人、諸集団に分散されなければならないと考えるに至った。
権力は、最小限にその乱用を阻止されるように分散され組織化されているかぎりにおいて人間は自由であるとした。
自由は、利害集団や組織化された公衆が政府に対してと同様相互に制止しあい、片方がこれを保証するところで最も保持されると結論づけた。
しかし今日あるところの社会の事情においては、人間は自由に理性によって結びついているのではなく、人為的不平等によって分けられ無理やり結びつけられていると考えていた。それゆえこのような社会状態から個人を解放することによって個人を自由にすると提起した。
ルソーは無政府主義者ではないため、社会全体から個人を解放する事は無理と考えていた。
ちなみに、ルソーは急進的な思想家ではなかった。「古いもの」は急いで取さられず、社会変化は漸進的にゆっくり進むと考えた。
���になってフランス革命家たちがルソーに注目したとき、彼らはこうしたルソーの教訓を無視した。革命の後になってルソーの有機的変化の強調が啓蒙思想や革命に対するロマン的保守的反動主義者によって発見され念入りに仕上げられた。
なぜルソーが社会学の先駆者とみなされているか。
自然人や自然人を演繹するために用いる方法論的方策にルソーが注目した結果として文化あるいは人間が社会をとおしてかくとくするものの正確な概念をえた。階級と階級闘争の存在が人間生活のあらゆる側面に影響をあたえていることをはっきり知っていた。
ちなみにルソーは、古代社会の初期段階では、社会的不平等もなく、支配者も奴隷も存在しなかったとし、この時代を最も幸福であると考えていた。
古代社会を理想としたルソーは、国家が大きくなることに危惧を抱いていた。なぜならば、同質性を欠如するからである。「同質性が欠如しているところでは一般意思は不可能である」としたため、完全な社会契約のためには、古代都市国家あるいはジュネーブ共和国を模範にした小さな社会の創立が好ましいとした。
■ロマン主義 保守反動
ロマン主義の運動は全ヨーロッパにわたってはっきりとみられた。その形態は国によって異なっていた。ドイツにおいては、啓蒙主義の急進性とナポレオンの領土拡張論に対する、強い民族的反作用を反映していた。
それは、啓蒙思想以降の厳格な規則や慣習から、元々あった情緒や想像力を解放しようという反動であった。宗教においては内的経験の重要さがとりもどされ、哲学においては個人の精神に創造的役割が与えられた。
そのころの空気をあらわすものに、バークの言葉がある。
「革命家たちは社会をひとつの機械として取り扱い、自分たちはその機械の古くなった部分をとりはずして新しい部品をとりかえることができるだけであると考えていた」
と啓蒙思想家たちを批判した。
長い歴史の中で形づくられ、社会秩序に総合されてその一部となっている旧い既存の諸制度を投げすてて、啓蒙思想家たちは、新しい制度を抽象的な公式に基づいて置き換えようとした。
個人は、民族や国家よりいっそう重要であり、個人と国家は、単なる契約関係として扱われた。
仮に個人と国家が、単なる契約関係である場合、契約関係にある両者が「自分たちの利益はもはや守れない」という結論に到達するやいなや、国家は解体されうるし、実際に解体されなければならないのだ。
保守派は、国家及び共同体を解体させる啓蒙思想家の考えに危険を感じ、共同体と国家について、次のように考えた。
「共同体は、たんに現在あるというだけではない。それは終わる事のない世代の連鎖であって、各人はその先行者の後につながる鎖の一つの輪にすぎない。
したがって、革命の世代は彼らだけでの物でなく、過去の諸世代さらには未来の諸世代のものでさえある習慣や制度を破壊する、如何なる権利も持たなかった」
「国家については、限定された目的達成のために、諸個人が結ぶ契約といったものでは決してなく、その目的の達成や合意の破棄によってその契約が終了する性質のものでも決してない。
国家は、より高次��の有機的統一であり、民族的共同体に統合された一部である」
保守派の歴史と社会における認識を端的に示したのが、以下の言葉である。
「国家は、すべての科学・学芸・徳における合同事業であり、このような全くの完成を目的とした合同事業は、多くの世代によっても達せられないので、それは生きている人々と死んだ人々と生まれてくる人びととの間の合同事業である」
1)保守主義
社会は発展の内的法則と過去における深い根とをもった有機的な統一体であってたんに個人の諸要素の機械的な一集合ではない。保守主義者たちは社会を構成する諸個人よりも現実性としての社会を堅く信じていたという意味で「社会的現実主義者」であった。
2)ヘーゲルについて
ヘーゲルは、「理性」というものは、世界の構造と発展を決定する内在的な力であると考えた。「理性」を偉大な宇宙的な力にたとえ、理念・精神・絶対者、ついには神という風にいろいろに呼んだ。
ヘーゲルの結論は、国家は世界精神の個性化された表現である。それゆえ国家によって精神が、自己意識を実現する媒介であるとした。
人類の領域において、国家は他のあらゆる制度よりも、高い次元に立っている。国家は媒介であり、それを通して宇宙的理性が、その運命を実現する。
ヘーゲルは法の具現者は国家であるし、国家は最高の秩序であって、他のあらゆるものは服従しなければならない。
国家の権利と法は家族や共同体など、一切の前史的諸形態に優越する。
世界精神の過程は、プロイセン国家が、宇宙的理性の最高の表現に自己を実現していると結論し、自身は世界史の最終の最も完全な状態に生きていると確信していた。
■ボナール・メーストルについて
19世紀、啓蒙と革命に対する保守的反動がヨーロッパのいたるところで感じられた。
ボナールとメーストルはカトリックの立場から反革命の哲学を発展させた。この哲学は、革命後の秩序(王政復古)のイデオロギー的防衛を提唱しただけでなく、旧体制の秩序を理想家し、神の摂理によって調整された調和を熱望した。
これらの人たちは、伝統主義者であった。伝統主義は失われた中世秩序を理想化し、神の摂理によって調整された調和を熱望した。
啓蒙の概念を否定し、神により啓示された伝統的な真理に比べれば、劣っていると断定した。
ボナールとメーストルは哲学者たちの自然主義に対して、神の摂理・原罪・最後の審判など先験的な歴史哲学の摂理を支持した。
■ボナール
「権力の理論」は、ルソーやモンテスキューに対する論争の書であった。
芸術や文芸のような「知識」の諸形態は、それらをつくりだした社会の産物であり、表現であるとした。社会の道徳面やその構造の表現である芸術や文芸は、ひとつの社会の魂であり、精神であり、性格であるとした。
この考えについては、個人についてより具体的に解説しており、ボナールは個人の行為、あるいは個人の独創性の有効性を否定した。あらゆる芸術や文芸は集団の結果であり、個人は芸術的労作の創造者であるというよりむしろ道具であるにすぎないとしたのだ。
また、ルソー以降の啓蒙思想家が説いた「自然人」や「自然権」(人間の諸権利は社会に先攻する)も否定した。
人間の諸権利は、一定の具体的な社会関係の中にだけ存在するという、考え方を提示した。ボナールが理論的に証明しようとしたのは、社会の神聖起源、過去と原罪の有機的結合、権威の神聖な基礎、個人に対する社会の優位性など啓蒙のあらゆる主要な仮説を覆す試みであった。ボナールの考え方によれば、この世で一つの抽象であるのは「個人」であって社会ではない。社会の外にあっては、個人は非存在である。普遍的な意思・普遍的な力は、社会的存在を守るという目的を達成する
ボナールの理論は、中世の秩序を理想化したものであった。それゆえ、革命以後の社会の再建設の企てとして王政復古を支持した。
権威は社会の一般意思を表現し、神の意思の表明でもある。この秩序に反するいかなるもの(人民主権・代表政治・権力分立)も彼はひどく嫌った。
父は家庭の権威を永久に保証し、教会はキリストの表現として宗教的権威を保証する。
もしこれらの領域における統一と恒久が政治の領域で保証されなければ、社会は葛藤と革命により破滅させられるであろう。それゆえ国家の連綿たる権威が保証されなければならないと結論づけた。権威は一つの統一であり、それは社会的分裂と抗争を避けるために普遍的でかつまた恒久的でなければならなかった。
■メーストル
メーストルは歴史が人間の地上における停滞と発展の充分な証明であると主張している。「我々が本気になって歴史と取り組むなら、人間はつねに社会的存在であったし、いまもあるという論争の余地のない事実を知るであろう」と論じた。
メーストルは、改革は危険であると考えた。改革派不可避に予期し得ない悪い結果に導いて行くであろうと。その悪は、改正しようと異議を申し立てる対象の初めの悪より悪いのである。
改革をするためには、人は歴史過程のコースと趨勢についての徹底的な知識・過程の諸要素に関する完全な鳥瞰図を持っていなければならない。しかしそのようなことは不可能であるから、社会形態を完全にすることができる唯一の力である神の手中にすべての事柄をまかせておくというのが人間の最善の利益になるという考え方を示した。
■サンシモン
サンシモンは、世界を変革する「理性の力」を信じていた。彼はその世界観において楽天的でありコスモポリタンであった。
彼は「中世の統一」に関心示していた。その経過において民族間の競争が、ある期間残存しようとも、民族間競争はたんに移行段階の痕跡であるにすぎず、さしたる問題ではないという立場をとった。
中世的世界では、ある期間、一つの知的社会的統一であったと信じていた。
それは国際的・有機的・階層的で安定していた。精神と世俗との両エリートによって支配されていた。しかしこのような社会秩序は二度と歴史にめぐってこない。科学と産業は永久に旧秩序を退位に導いただけでなく、新秩序の基本的な実証的原理となっている。
人類の知識はその発展途上、三段階を通過してきた。神学的から形而上学的にそして最後は科学的に。
サンシモンは、科学を国家主義に対する解毒剤���みなしていた。
古いそれにとってかわるべき、国際的で精神的な新エリートである学者や科学者たちの国際的な共同体は、統一させる力として出現するであろうと考えた。
科学的知識は宗教的ドグマにとってかわるであろうとし、科学者たち、産業家たちは、中世社会の指導者である僧侶や貴族たちにとってかわり新しい「自然」のエリートとして登場するであろうと考えた。
サンシモンの独創性は、実証主義・産業主義・国際主義によるアプローチしたことにあり、19世紀のもっとも重要な社会思想家の一人と認識されている。
サンシモンは、啓蒙と反革命の両者の影響を吸収し反映している。
国際的な宗教によって、統一されなければならないとした、彼の神学的傾向もその思想には見られる。
■オーギュストコント
オーギュストコントの多くの業績の中で「可能な世界のなかで最善であるとするもの」をいかに合理化し、弁護しているかを示すに足る物である「科学」について言及している。
「科学は少なくとも、我々に次のことを示している。政治悪は不治の病であるから、それが越えがたいものであるということを、自然法則であると確信することによって苦痛に伴う不安をいやすことができる」
コントは、政治問題の研究に議論の余地のない、科学的条件を課す実証哲学によって、社会の秩序解体を解消することにつながると考えた。
実証の原理は「継起的な人間発展の基本的な法則を認識することができるからである。その法則は、一切の他の自然現象の取り扱いを統御する精神を、社会現象の取り扱いにまで単純に拡大することによって、旧い諸変態の漸進的な連続の必然的な結果としての現存の進化を表現している」
実証哲学は、その先行の哲学(神学的哲学・形而上哲学)よりも優れていることは疑いない。
例えば、啓蒙思想家であるルソーの「個人の性質に対する社会体制の適合性についての質疑をおこないうる」という仮説は、コントにとって僭越であり危険なものであった。
それゆえ、ルソーの考え方を「原罪によって人類が堕落したのだという神学的教条の形而上学的形態」にほかならないと却下した。
そして、「社会の危機は、神学的および形而上学的な二つの教義が広がっている限り、続くであろう。秩序は実証的段階が、この両者にかわるまでは、ありえない」という意見までをも示した。
新しい社会が、神学的及び形而上学的精神が広がっている限り実現しないのは、精神は相互に矛盾したものであり、ひとつの体制のなかでは無限に共存できないからである。矛盾するものはすべて新しい秩序から払拭されなければならない。
その実証段階は、神学的段階よりも有機的であり、形而上学的段階よりも進歩的であるとしたのである。
コントが啓蒙思想家たちにつけた「形而上学者」という用語の原理は、本質的には批判的であり革命的であることを指す。
かれらは積極的な意味においてだけ進歩に貢献したにすぎなかった。
形而上学的段階は、それが旧体制を破壊して次の新段階へ進む道を用意したという理由で必要であった。
形而上学派は革命よりも前の時期を非難したし、逆行学派は現在の時期の全��を誹ったのに反して、実証哲学は、それがなんらかの社会理論を建設してしまう以前に、その方法だけの影響を通して、普通の状態に人間の理解を戻すことによって、公共的秩序を味方にする。
形而上学の次の段階というのは、秩序と進歩の原理を統合した社会秩序を打ち立てることによって、革命の時代を終わらせるであろう、実証的段階のことであると考えた。
コントは、「社会秩序は、社会の基礎に関して永続的にする討論と永久に両立しないにちがいない」と書いている。
秩序と進歩という対立する概念は、統合されなければならない。その理由として、知的統一と知的調和を通してだけ社会統一は復活できると考えたからである。
コントは知識の無政府状態を軽蔑し、それを道徳的不一致の主な原因とみなした。
彼は、複雑的な社会的・政治的問題について、あたかもそれらが教育や訓練の結果でないかのような態度をとる俗人を軽蔑した。
コントの確信によれば、真の道徳的秩序は「個人の現在あるような無頼漢的自由とは、もしその勝手気ままさが続くようなことがあれば、相容れるものではない」なぜなら
「習慣的になるべき偉大な社会の規則は、無能な大衆の盲目的できままな決定にまかせておけば、必ずそのすべての効力を失う」
コントは社会批判とそれから生まれる、秩序を乱すような結果を恐れ嫌った。
進歩についての実証の概念は他のすべての概念に対して優越している。
革命的な見解においては、進歩とは自由の連続的な拡張と「人間諸方の漸進的展開」から成り立っている。
社会動学(ソーシャルダイナミックス)とは進化過程の類型の研究をさしている。この過程においては、発展の継起は必然的であり不可避である。
社会動学的は自然秩序であり、かつ必然的な法則に従って進行する実際に「動的な秩序」である「運動がこれらの法則によって規定されないなら、社会体制の完全な破壊をひきおこしたであろう」からである。
政治的行為だけでなく、人間の行為一般は、その効果において極めて限定されており、窮屈な自然の法則に従っている。
では、一体これらの法則は、いかなる方法においても修正することはできないのか。
人類はおそらく、一定の傾向を促進させたり、遅延させたりはできるであろうが、決してこれらの傾向の性質を変えることはできない。人類は発展の一定の秩序を逆行させることができないことはたしかであるし、段階を飛び越えることもできない。一般には人間の行為の特殊性には政治的行為の重要性が多いに誇張されてきている。
社会悪の根源は基礎的な経済・政治制度に求められないで、思想とか習慣に求められるとするコントの考え方は、以下の記述からも確認できる。
「あらゆる政治悪が、現在の真の悪の温床である、思想と社会慣習に求められないで、諸制度に求められるならば、その悪からの救済はいくら諸制度や現存の権利を変えても無駄である。思想や慣習の方が制度や勢力よりも重要であるからである。同様に明らかな事は、救済は意見・風俗・慣習からうまれなければならないこと、また政治的規制は、根本的な効力をもつことはできないということである」
問題は現存する制度をみだりに変更したり、あるいは変革したりすることではなく、むしろ道徳的再編成を実現する事なのである。
その社会条件を下層民が甘受するための言いまわしをうまくやるということである。人々が下層民級の苦しみが肉体的性質のものでなく「道徳的性質」のものであることを認識するのに失敗するかぎり、秩序も進歩もないであろうと結論づけた。
■マルクス主義
マルクスは、彼以前の哲学者たちがしたように、「人間は無限に完成しうる」と信じた。人間の本質的な諸力は、今日労働する野獣であるにすぎないにしても、この条件にとどまる必要はない。人間は、創造・思想・活動の最高の諸形態を獲得することができる。
人間の潜在的な創造力は、一切の階級社会の社会的条件のもとで抑圧され阻止されてきた。現存体制である資本主義は、人間としての潜在力の実現を妨げているものばかりではない。それは人間から彼の動物的な欲求などなどを奪いさえした。
このような人間存在に及ぼす効果ゆえに、資本主義体制を非難した。
1)共産主義
人間が、自分自身を完成させなければならないなら、人間はまず現在の不快の諸条件を廃止しなければならないであろう。
マルクスが共産主義とよんだのは、一つの集結ではなく人間のより大きな自由な人間性への一つの手段であった。
マルクスは「ドイツイデオロギー」の中で、以下のように述べている。
「われわれにとって共産主義は、つくりだされるべき一つの状態、現実がのっとるべき基準と成るひとつの理想ではない。われわれが共産主義と名づけるものは現在の状態を止場するための現実的な運動である。」と述べている。
共産主義はその方向に人間が努力しなければならない静的なユートピアではなく、批判的で革命的な一運動である。
「共産主義は人間の解放と回復のプロセスにおける史的発展の次の段階に必要な現実の局面である」
2)マルクスとヘーゲル
「真理」とは厳密には形式的命題の機能ではなかった。真理の基準とは過程における実現であった。マルクーゼはヘーゲルの見解を次の言葉であらわしている。
「あるものは、その客観的な可能性をことごとく実現することによって、そのありうるものとなる場合に、真なのである」
それは、ある人間が奴隷であった場合、彼はそれにもかかわらず、彼の条件を変えようとする自由を保留している。人はいつも「人間は奴隷である」という陳述のなかにふくまれている関係を否定する可能性を理解しなければならない。
以上の例が示すように、現存秩序は、批判的に対立され、究極的に克服されることもなく、その可能性が自由に放って置かれたのでは、現存秩序を理解することすらできないであろう。
現存する秩序は不可侵のものではない。それどころか秩序が人間以下の存在条件を人間に課すようになり、人間が存在できるより以下のものに成り下がってしまうなら、人間はその秩序の変革に努めなければならない。
3)マルクス
実証主義は、その直接に与えられた形式における事実を真実として取り扱う。実証主義者たちは、普遍的概念を拒否することにより、し倫理を直接に観察し、確証しうるものに還元されることにより、いま���現実になっていない、あらゆるものごとを認識の領域から排除してしまう。
マルクスは「人間と事物の可能性は、それらがそこにおいて実際に現象するであろう所与の形式と関係に尽きるものではないということである」と普遍的概念を否定した。
マルクスの命題は批判的な命題であって、意識と社会的存在との間の現存の関係が間違った関係であり、それが克服されてはじめて真実の関係があらわれうるということを意味している。
このように唯物論的な命題の真理はその否定によって成就されるべきものであるという考えに立脚していた。
マルクスは、「個々人の自由な発展が、すべての人々の自由な発展の条件であるような結合にすすんでいくであろうということは、すこしでも不可避ではない。あらゆることは、社会科された手段をもって人間がおこなうことにかかっているであろう。もし人間が自由に結合せず、彼らの人間的欲求を実現しまた彼らの人間的発展を促進するこれらの手段を利用しないなら、そのときには生産手段の社会科は従属の一形態を他のそれで置き換えたといわなければならない」とした。
マルクスはこの危険を予見し、個人に対して「社会」を具象化しそれを独立させる事に警告を発した。
マルクスの理想において、「個人の要求」と「自由」は最高のものである。
個々人と、すべての個人の福祉と、最大限の自己実現との要求を考慮しないで、労働の分業を強いるいかなる社会をも非難する。これはマルクスの主要な階級社会批判である。すなわち階級社会はひとつの状況であり、そこでは個々人の運命のすべては、生産体系において課せられた機能と階級的位置によって決定される傾向がある。
以上のような条件とマルクスの描いた未来像の相違を次の文章で著した。
「分業の出現と同時にわれわれに提供されるのは人間が自然発生的な社会のうちにあるかぎり(人間が統御しない自然法のように峻厳な法則によって支配されるかぎり)特殊利害と共同利害とのあいだの分裂が存在するかぎり、活動が自由意思でなく自然発生的に分業化されているかぎり、人間の行為は外的に対立する力となるということ、すなわち彼が支配するのではなく、奴隷にされるような力となるということの最初の実例である。労働が分配され始めるやいなや、各人は自分が抜け出られないような一定の専門的な活動範囲をおしつけられるにいたるのである。つまり各人は狩猟者であるか、ないしは牧人であるか、それとも批判的な評論家であるかであって、かれが生活のための手段をうしなうことを欲しない以上は、どこまでもそうしてあげなければならないのだ。ところが共産主義社会では、各人が専門の活動範囲をもたず、任意の部署の修養ができるのであるが、社会が全般の統制をするのである。」
マルクスは、資本主義体制の全体を矛盾する諸原理や傾向に依ると考えている。
矛盾は生産の社会的性格と、私的所有制の間に、あるいは「生産力」の成長と現存の生産関係の間に、使用のための生産と利潤のための生産の間に、生産と消費の間に、そしてさらにその他の間に存在している。すべては帰納的にみちびきだされている。マルクスに取ってこれらの矛盾する原理は一定の社会的関係に根ざしているので��ってそれゆえ彼の弁証法的推理はヘーゲルの閉ざされた本体論的体系の完全な対立物である。
マルクスの思想はあらゆる点においてヘーゲルのそれとは違った真理の秩序であり、ヘーゲルの哲学概念の用語で解釈されてはならない。
マルクスはヘーゲルの考えを評して次の言葉でまとめた。
「私の弁証法的方法は、根本的にヘーゲルのものとは違っているだけではなく、それとは正反対である。ヘーゲルにとっては人間の脳髄の生活過程、すなわち彼が“理念”とう名の下に一つの独立な主体にさえ天下している思考過程が現実世界の創造者なのであって、現実世界はただ“理念”の外的な現象形態であるにすぎない。私にあってはこれとは正反対に観念的なものは人間の精神によって反映され、思想の形態に翻訳された物質的な世界にほかならない」
4)マルクスとバウアーのキリスト教批判
バウアーは他のヘーゲル左派と同様に宗教の容赦しない敵であったから、彼が提起した解決は宗教批判であった。マルクスの観察によれば、バウアーは神学の問題に拠っていたにすぎなかった。
ユダヤ人または、キリスト教徒は救済に至る見込があったのだろうか。たとえさらに啓蒙された形態であるにしろ、ほかの形態でユダヤ人またはキリスト教徒は解放されえただろうか。
バウアーは、ユダヤ人がキリスト教をもとめてユダヤ教を棄てることを提唱していたのではなく、解体におけるキリスト教を求め、ユダヤ教を棄てることを提唱した。
「彼らはキリスト教の否定に参加しなければならない。彼らは批判的で啓蒙的でならなければならない。この途において、彼らは自由な人間性に貢献しつづけるであろう」
こうしてバウアーにとっては、ユダヤ人の解放は宗教批判の事柄であった。
「ユダヤ教は不快であると認める人は、キリスト教徒であるから、その人がキリスト教の信仰を告白する事を止めたときには、ユダヤ教は不快であると認めることを止めるだろう」と彼は論じた。
キリスト教に対して、批判的で啓蒙的な態度を採ることによって、キリスト教の解体に貢献することによって、ユダヤ人は彼らの迫害の原因を排除するのに役立つのである。
マルクスは、自身の社会学で同時に革命的なアプローチを前進させる。
社会学というのは、あれはユダヤ教の基礎にある社会的な条件を仮定しているからであり、革命というのは、もしその現象が消滅すべきであるなら廃止されなければならないのは、まさにこの条件であるからである。
ユダヤ教の地上の基礎は何か。
私利・利己主義・暴利商業・貨幣などひと言で言ってしまえば資本主義である。
資本主義は当時の言葉では「商業」と同様「ユダヤ教」を意味した。
マルクスは獲得した見解を前進させるため、バウアーの論文が提供した機会を捉えた。
支配的な社会体制の本質は暴利商業であった。人間の価値は各人が持っている諸商品の価値に依って測定された。マルクスがユダヤ教という概念を使用した意味において、一切の市民社会はその実質的な精神によって、いまや支配されていた。
マルクスは、トマス・ハミルトン著「北アメリカにおける人間と生活様式」の文章を説明して、信心深いニューイングランド住民の偶像がマンモン(物欲の神)になってしまったことを証明した。
マルクスによれば、この世は株式と引所にほかならず、暴利商業が彼らの全思想を占領し、取り扱い品目の交換が彼らの唯一の気晴らしである。
マルクスは、「暴利商業と貨幣から時代を解放すること」をこの時代の課題として見てとった。
「暴利商業の真の可能性を廃止するであろう社会組織は、ユダヤ人というものをありえないものにするであろう。つまるところユダヤ人の解放は人類をユダヤ主義から解放することである」これがマルクスの言う資本主義からの解放である。
マルクスがバウアーを批判した理由は純粋思考の領域にしかとどまっていないところ。これはヘーゲルに対しても同じである。
5)マルクスの宗教観
「反宗教的批判の基礎は、人間が宗教をつくるのであって、宗教が人間をつくるのではない、ということである。そして宗教は自分自身をあだ勝ち得ていないか、またはそれをふたたび失ってしまった人間の、自己意識であり、自己感情である。だが人間は世界の外にうずくまる抽象的な存在ではない。人間、それは世界・国家・社会である」
宗教は人間の本体を空想的に実現したものである。というのは人間の本体が真の現実性をもっていないからである。宗教の不幸は、ひとつには現実の不幸のあらわれであり、ひとつには現実の不幸にたいする抗議である。
宗教は悩めるもののため息であり、心なき世界の情操であり、精神なき状態の精神である。宗教は民衆の阿片である。
民衆の幻想的幸福としての宗教を揚棄することは、その現実的幸福を要求することである。民衆は自分自身の状態に関する幻想を揚棄せよと要求することは、幻想を必要とする状態を揚棄せよと要求することである。
宗教の批判は人間の迷いを醒させるが、その目的は人間が目覚めた正気にかえった人間として思惟し行動し、自己の現実をかたちづくるということである。
こうして、真理の彼岸が消え失せた以上、此岸の真理を確立することが歴史に奉仕する哲学の任務である。こうして宗教の批判は法に。神学の批判は政治の批判にかわる。
6)マルクス「資本論」について
マルクスにとって、労働過程は自然的であるだけでなく社会的である。すなわち人間は相互に孤立して生産するのではなく、相互に作用しあい協業することによって生産する。人間は他の人間との相互作用によって自然に働きかける。
マルクスは「政治経済学批判のために」への序文において、彼の一般理論の基礎的命題を設定した。
「人間は、彼らの生活の社会生産において、一定の、必然的な、彼らの意思から独立した諸関係を、すなわち彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に照応する生産諸関係を受容する。これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を、即ちその上にひとつの法律的および、政治的な上部構造がそびえたち、そしてそれに一定の社会的意識諸形態が照応する現実的な土台を形成する。物質的生活の生産様式は、社会的・政治的・精神的な生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなくて、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。」
「生産諸関係」���は、当該社会の「財産諸関係」を指している。
人間は生産過程で他の人間と労働するが彼らはまた他人のために労働する。資本主義のもとでは、生産諸手段を所有し、統制する人々は所有してない人々の支配に偉大な力をもっている。即ち後者は生産諸手段から切り離されてしまっており、かれらの労働力だけを所有しているにすぎないから、奉仕し、従属する。こうして財産関係の概念はマルクスの階級理論の出発点になる。
マルクスの社会変動論、社会革命論における重要な概念である。
体制の発展の初期段階では、財産諸関係は生産諸力の持続的成長を促進した。その発展の後期の段階では、生産書力は既存の財産関係によりその成長を妨害され呪縛される。
これらの財産諸関係は生産諸力をより一層成長させるためには「粉砕」されなければならない。
一つの階級として行動する労働者たちは、彼らの革命的な行動により、社会的労働に潜在的に存在している諸力を解き放つのである。
この意味において、労働者の革命は建設的な行為である。資本主義的財産諸関係により余儀なくされた束縛から、社会的生産性を自由にするからである。それゆえ、マルクスの理論はたんなる技術的なものではない。生産諸力と財産諸関係との間の緊張は、技術革新とその社会的応用との間の調整のたんなる欠如ではない。マルクスの理論にしたがえば、社会の生産諸力をそれが作用している形式的な社会諸関係から切り離して正確に測定することは不可能である。
自然科学と技術の概念において、純粋に生産諸力を測定することは不可能である。せいぜい人は種々の財産関係のもとで、与えられた技術の可能性とは何であるかについての合理的評価をすることができるにすぎない。
こうしてマルクスは「生産様式」を二つの側面(財産諸関係と生産諸力)で組みたてられていると見ていた。財産諸関係は生産諸力の成長を促進したり妨げたりする。
あらゆる時代の支配観念は支配階級の諸観念である。この階級は、意のままになる物質的な生産諸手段を所有しているので、精神的な生産諸手段をまた統制しており、それによりその諸観念を、所有も統制もしていない人々に強制しようと企てる。支配的な諸観念は支配的な諸関係の精神的な表現にほかならない。
支配階級はこれらの諸観念を自分で発展させたり、または伝播させたりする必要はない。
人間の永遠の解放の基礎である発展する生産諸力は、一方では人間から非常に大きな人間の犠牲をとりたてることであった。マルクスはこの過程を彼の主要著書「資本論」のなかで詳細に探求した。
■マックスウェバー
雑誌アルヒーフ出版の目的を以下のように記している。
「人間の共同生活と、その歴史的組織形態の社会的構造がもつ一般的な文化的意義とを科学的に研究することがこの雑誌の固有の目的であった」
文化の意義は、分析的な法則の体系に基づいていて、「ひきだすことも理解する事もできないのである。なぜできないか。なぜなら、文化事象の意義は事象にたいする価値志向を前提しているからである」
文化の概念を価値概念であるとの考え方を示した。
ウェバーは、自然科学と同様、社会科学におい��も、規則性の知識といったような一般的な命題が要求されていることを認識した。
それゆえ諸法則を定式化しようと試みることは社会科学で至極真っ当なことであると考えた。
「文化科学においては、一般的なものまたは普遍的なものの認識は、われわれにとって、けっしてそれ自身のために価値をもつわけではない」
今日、大部分の科学哲学者たちは、自然科学であれ社会科学であれ、何らかの法則は事実上必ずしも現実とのなんらかの一対一の関係をもっているものではないような補助手段であると論じている。
「文化的現実についてのあらゆる認識は、いつもただ特殊な観点のもとでの認識である。もし我々歴史家や社会研究者に対して、重要なものと重要でないものとを区別できなければならないとか、この区別をするために必要な観点をもたなければならないとか、基本的前提として要求するとすれば、それはただ次の事を言っているにすぎない。つまり歴史家は現実の成り行きを意識的無意識に普遍的な文化価値に関係づけそれによって我々にとって意義のある関連を選び出す事ができなければならないのである」
1)マックスウェバーの主張
「問題の精神の質的形成と、全世界にわたる量的拡大との上に、宗教的影響が果たして、またどの程度によって力を与えたかということなのである」
プロテスタンティズムの倫理の、とくに近代経済制度への貢献を評価し、さらに一般的には、如何に「観念が歴史以上効果的な力になるか」について、人々の認識に貢献しようとした。
ウェバーはこうしてマルクスの方法の完成を提唱している。
彼は、経済的条件の基本的な重要性を認識し、しかもなお他の諸影響が探求されなければならないと提案している。
新社会経済体制の発生は、生活のあらゆる諸側面の合理性の成長の、自動的な結果として認めることはできないであろう。新社会経済体制は「敵対的な勢力である全世界に対し」至高への道を闘いとらねばならなかったのであり、中世の伝統的な勢力にたいするその勝利は「歴史に不可避」なものでもなければ、「歴史に必然的」なものでもなかった。主題に関する最後の宣言のひとつで彼が述べているように「結局近代資本主義をつくりだしていった要因は、合理的な永続事業、合理的計算、合理的技術、合理的法律であるが、これだけではない。必要な補足すべき要因は、合理的精神、生活一般の行為の合理化、そして合理的な経済倫理であろう」
ウェバーは、ルターとともに新しい概念が発生していると確信した。
その新しい概念は、これまでキリスト教進学には欠けていたものであり、ドイツ文化や古典古代の底辺にまで追跡しえないであろう。ドイツ語でベリーフ、英語でコーリングというコノ概念は、神から授けられた使命の道徳的な義務の履行をさしていた。その特殊な意味をもったこの概念は、聖書のプロテスタント訳にはじめてあらわれ、のちにプロテスタントのあいだで特殊な重要さを帯びてきて、西洋では初めて日常的で、世俗的な人間の活動に宗教的意義を与えた。
これは宗教改革の重要なひとつの結果であった。
そして「世俗内的義務の履行こそ、どんな環境にあっても、神に喜ばれる唯一の道である。そしてこれのみが神の意思であって、したがって正当な職業は、すべて神の前に、まったく等しい価値をもつということ」をたえず強調しつづけてきたのがルッターであった。
ウェバーによると、特に予定説に基づくカルヴァンの教義は、いかにして勤勉で、几帳面な、世俗的活動に翻訳されたのか?ということになる。
創始者のはじめの教説は、修正されないままなら、そのような結果を生じはしなかったであろう。カルヴァン自身は、自分の救われていることに確信を持った。彼は自分が回の代理人であることを考えていたし、それゆえ「自分は選民の一人であろうか」という問いにまどわされることはなかった。
「そこで、彼は一人一人が何によって自分自身の選びを確信しうるかという疑問については、根本において次の答しかもっていなかった。
「我々は、神が決定をなしたまうとの知識と、真の信仰から生ずるキリストへの堅忍な信頼をもって満足しなければならない」と。
彼は人々が選ばれているのか捨てられているかは彼らの行動によって知りうるとの臆見(無責任な推測に基づく意見)にたいして、これを神の秘密に立ち入ろうとする不遜な試みとして原理的に却けた」
このような教義は、彼らの運命を知る必要があり「標識」を要求した人々にとって、あまりにも重々しい、心理的な重荷であった。
こうしてカルヴァンの後継者たちは、「選ばれた者」の一員であったことを知る確実な標識の要求を表明する方にますます進んでいった。
この圧力の結果として、はじめの教義がまったく見棄てられなかったとき、それが課したのは以下の内容である。
「誰人も自分を選ばれたものと思い、すべての疑惑を悪魔の誘惑として拒けるという無条件な義務である。けだし、自己確信のないことは信仰の不足の結果であり、したがって恩恵の働きの不足に由来すると見られるからである。己の召命に堅く立てとの使徒の勧めは、ここでは日々の闘いによって自己の撰びと、義認の主観的確信を獲得する義務の意に解せられる。こうしてルッターが説いたような、悔改めて信仰により神に信頼する時に、必ず恩恵の与えられる謙遜な罪人の代わりに、あの資本主義の英雄時代の鋼鉄のような、ピューリタン商人のように、また自己確信に満ちた聖徒が育成される事になる。いまひとつはそうした自己確信を獲得するための、最もすぐれた方法として、たえまない職業労働が教えこまれたということである。職業労働によって、むしろ職業労働によってのみ、宗教上の疑惑は追放され救われているとの確信が与えられる」
勤勉・道徳的に義務づけられた職業の追求、神は自ら助けるものを助けるという信仰、悪魔の誘惑に心を奪われないこと、この一般的な禁欲的な生活様式を損なう何らかの事を、絶対に避けること。
すべてのことがプロテスタントの倫理によって課せられていた。
「資本主義の精神の発展にとって、最も偉大な意義」をもっているという。
ただし、同時代からウェバーの諸論文に対しては批判が多く、「方法論上欠陥がある」とまで指摘されている。
ウェバーの同情的な批判者のひとりである、E・フイショッフは、「ウェバーの行った理念型の方法論は、召命と運命予定説の概念の選択と強調におけるように、数多くの歪曲と偏見とに導いていった」と論じている。
ウェバーは歴史における合理化の過程によって「現世の呪術からの解放」がほかのどこよりも(東西アジア及び北アフリカ)首尾一貫して遂行されてきた文明として、西洋文明を見るに至った。
事実西洋文明のあらゆる側面は、その合理化過程を通過してきたのであって、いまや原理上は、神秘的で不可知な又は不可解な力は存在しなかったし、人は合理化をとおして、あらゆる物事を支配する事ができた。
科学はこのことの最も目立った例であった。
ウェバーがニーチェと同様に確信していたのは、科学が人間に手段を提供することはできようが、「真の価値」は提供することはできないということであった。
科学では「真の価値」に至る道をわれわれに示すことはできなかった。
諸価値の、または彼が時々それについて語った、神々の矛盾は当然であった。今日の複雑な近代社会では、特に諸価値は科学あるいはその他を通して、ひとつの普遍的に同意された尺度におおいて配列されることはできないであろう。
科学は何を提供できるか?
ウェバーは、「われわれの行為、その動機、目的、手段、そして結果に関する明晰さである」社会科学は人間の行動の価値志向的性質への、また人間が持っている価値の種類への洞察を提供することができる。
人間は多数の価値を志向しているので、何らか一つの行動とその結果についてのこの種の知識と明晰さとは、責任倫理を可能ならしめ、有意義にならしめた。
ウェバーの個人生活において、客観性と自由とはきわめて限定された意味をもっていた。
彼はなかんずく一人の国家主義者であった。
その主要な理想はドイツ権力国家の強化であった。
他の矛盾する諸価値は彼の国家理想にはっきりと対立する立場にあり、国家の問題に応用することはできないであろうし、応用しようと試みることは危険であったし、無鉄砲なことであった。
彼が求めた明晰さはどんなものでも、ドイツの国益を前進させようという意図のためであった。
彼の見たドイツの状況は、社会諸階級のどれもが国を導いて行くには十分に円熟していなかった。有能で責任を負える指導者たちも欠如していたから、主導力の無い多数の歯車(官僚たち)が指導者に就く事になった。
ウェバーは自分自身を、旧約聖書にある、破滅の預言者エレミヤになぞって考えた。
第一次世界大戦のドイツの敗北後、政治・軍事において、官僚制に対する解毒剤として、偉大な権力者がつくり出されなければならないと考えた。
カリスマ的原理を維持することによってのみ、世界を平凡から救いえようと考えたのである。
ウェバーの死後、間もなくしてカリスマ的原理と、官僚制的原理がドイツにおいて統合し、ヨーロッパ中を席巻することとなる。
■ヴィルフレドパレート
彼の著作の大部分は自由民主的・社会主義的・マルクス的な諸原理に対する一貫した猛反撃であった。
ウェバーにとって「理性」は人間行為の分析に於いて中心に位置し、近代西欧社会の主要な諸制度に横たわる、優れて基本的な原理として現象した。
パレートにとって「理性」は社会と歴史の理解に全く無関係な要因では���いが、無視できる要因であった。
マルクスは「人間は合理的で完成可能な生き物である」と考えた。
パレートは、人間は本質的に非合理で不変であると考え、この命題を証明する目的で「残基」理論を前進させた。
パレートはその全生涯に「科学」にたいする自分の忠誠をかたく信じていた。
そして、自分の目的は厳密に科学的であると主張した。
一定の観念や実践がくだらぬ馬鹿げたものであっても、それでもなお、それらの観念や実践は、当該社会に有効に働くかもしれないと論じた。
普通選挙・民主主義・社会主義・キリスト教など。
神聖さという特殊な雰囲気は馬鹿げており、非理論的ではあるが、それらのいくらかの実利を認めるという立場に立った。
例えば、社会的効用としての「神学」が、無政府状態になった際に起こる社会の解体を阻止するための権威主義的実利が欠くべからざるものになる。
祖国・名誉・徳などは感情の表現であるが、その感情こそが人間行為の第一原因であり、社会の性格と進化を規定する決定的な諸要因である以外には客観的な実態をもたないのである。
この感情概念を用いて、歴史・心理学的な行動の決定要因として取り扱うほか、文化価値の同異義語としてしばしば取り扱った。
パレートの唯一の目的は科学的真理であり、それは社会分野でも自然科学の法則を適用する事によって獲得出来るとした。
パレートは社会学を、人間社会一般の研究と定義した。彼の著作で宣言された彼の目的は、社会の一般理論であった。彼は人間行為の理論を欲し、彼の出発点として非常に特殊な行為のタイプ、理論的行為の諸規範の検討を選んだ。
つまるところ、パレートの社会構造理論は、心理学である。いわゆる社会的均衡は、心理学的特質の配分によって、またはより正確にはこれらの特質を有っている諸個人の配分によって規定されている。
他のすべての諸条件は事実上無視されているのである。
→続きはコメントににて。
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