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(2006.06.04読了)(2005.10.19購入)
画家 リューベンス
1577年6月28日 ドイツのジーゲンで生まれる
1589年 故郷の町アントウェルペンに帰る
1591年 風景画家フェルヘヒトの弟子となる
1598年 アントウェルペンの画家組合に登録
1600年 イタリアへ出発、マントヴァ公のもとで宮廷画家となる
1608年 母重病のためアントウェルペンへ帰る
1609年 イサベラ・ブラントと結婚
1611年 長女クララ=セレナ生まれる
1626年 妻イサベラ死去
1628年 マドリードに出発、29歳のベラスケスと親交
1630年 エレーヌ・フールマンと結婚
1632年 エレーヌの第一子クララ・ヨアンナ生まれる
1640年5月30日 心臓発作のため自宅で死去
新潮美術文庫の一冊ですので、32枚の絵画とその解説、画家の小伝、年表という構成になっています。
ルーブル美術館の大回廊に並ぶリューベンスの大作を見るとその大きさと作品の量に圧倒されてしまいます。工房を持っていて弟子たちに描かせていたようですが、ヨーロッパの大きな美術館には何処にもリューベンスがあります。多作なのでこのようなことも可能なのでしょう。奥さんや子どもを描いたものも残っています。ウィーンの美術史美術館の「毛皮のエレーヌ・フールマン」は、特に有名です。自分の妻のきれいな裸体を書き残すのは、画家の特権でしょうか?ただ、理想化して描いているわけでないのは、この時代のには、理想化は必要のないことだったのかもしれません。
●リューベンスの作品(73頁)
作品の総数は、1500点とも3000点とも言われる。
63年間のその生涯を、画家としてだけでなく、公式、非公式の外交官としても活動しなければならなかった。
リューベンスの作品は、製作過程に応じて、仮に三種類に分けると、1.はじめから終わりまで画家の手になるもの、(油彩の小型下絵とか、自画像や家族の肖像)、2.静物・動物・風景画などの一流専門家との共同制作になるもの、3.アトリエ作品と呼ばれるもの、(彼が、デッサンあるいは小下図を描き、それを弟子に渡して注文の大きさに拡大させ、彩色させる、最後に必ず自ら筆を振るって仕上げる)
●ボードレールの評価(78頁)
「リューベンスは大袈裟な表現を代表するが、これは愚劣さと相容れぬものではない。リューベンスは繻子の服を着た下司だ」
●外交官リューベンス(82頁)
彼はフランドル大公国の使節としてスペインや英国の宮廷にたちまち融け込み、人をそらさずに自分の主張を貫くことができた。ラテン語、イタリア語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、低地地方のワロン語を自由に操って、新独立国のオランダと英国を分離させ、フランスとの戦いを避けさせ、フランドルの平和の確保を心から望んで、正式使節としてだけでなく秘密の大使としても、表面は絵筆を口実としながら策動することもあえて辞さなかった。
☆坂本満の本
「コロー」坂本満著、新潮美術文庫、1974.12.25
著者 坂本 満
1932年 東京生まれ
1955年 東京大学教養学部教養学科卒業
1957年 東京大学文学部美学美術史学科卒業
東京大学大学院西洋美術史専攻
1967~68年 フラ���ス政府給費留学生としてパリ留学
専攻 東西美術交渉史
国立歴史民族博物館名誉教授、うらわ美術館館長