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(1980.09.06読了)(1980.08.29購入)
*本の表紙より*
わずか二〇余年の開国時差から明治維新はかろうじて成功し朝鮮民族は、国家を失う結果となった。古代にあっては、先進文化を持つ多数の朝鮮人が渡来し、日本の古代文化、国家形成に重要な役割を演じ、中世には、独自の発展をとげた高度な文化国家であった朝鮮が、なぜ苦渋の近代史を強いられたのか、さまざまな外圧にめげず、たくましく生きた朝鮮民衆の生きざまを通して、〝近くて遠い国〟朝鮮の内在的発展の歴史をさぐる。
【目次】
序章 私にとっての朝鮮史
第1章 太古から高麗まで―前近代の朝鮮(1)
1 朝鮮民族の独自性
2 朝鮮における古代国家
3 統一新羅と高麗
4 前近代の朝鮮と日本
第2章 李氏朝鮮―前近代の朝鮮(2)
1 中央集権的封建国家の成立
2 資本主義の萌芽の発生
第3章 民衆意識の成長
1 変革の機運熟す
2 江華条約とその背景
3 反封建から反侵略へ
4 甲午農民戦争
第4章 国家は奪われても民族は亡びぬ
1 閔妃虐殺事件と初期義兵闘争
2 ブルジョア啓蒙運動の展開
3 日本による植民地化
4 三・一運動
第5章 「皇民化」にうちかつ力
1 民族主義と社会主義
2 国内農民運動と抗日パルチザン
3 一五年戦争と朝鮮人
第6章 八・一五解放後の三〇年
1 分断の固定化
2 統一と変革への模索
おわりに
参考文献
年表
索引
☆韓国・朝鮮に関する本(既読)
「韓国からの通信」T.K生著、岩波新書、1974.08.20
「続・韓国からの通信」T.K生著、岩波新書、1975.07.21
「第三・韓国からの通信」T.K生著、岩波新書、1977.10.20
「軍政と受難」T.K.生著、 岩波新書、1980.09.22
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梶村がこの本を書く以前の朝鮮史は、朝鮮半島は中国との朝貢関係や日本の統治により従属的に発展してきたという見方が強かった。しかし梶村はそのような従来の他律的発展論に対し、その歴史観が明治以降日本国内で形成された朝鮮を蔑視する偏見にもとづく研究であったと批判した上で、朝鮮半島の歴史の発展には、様々な方面からの侵略をうけつつも、粘り強い民衆によって培われた民衆による国家建設運動や資本主義の萌芽があったことを自身の研究によって見出し、従来の他律的発展論に対比して内在的発展論を展開した人物である。
本書では朝鮮史を民衆の目線から展開し、特に中世以降からは外圧に対し朝鮮民衆がどのように抵抗し、どのような国家像を考えていったのかが詳しく書かれている。朝鮮民衆に目線を当てることで、従来の他律的歴史観に対しメスを入れながら、様々な難にあったとしても理想の国家を追い求め続けた人々の力強さを感じることが出来る。
古い本なので研究内容が最新のものではない点もちらほらあるが、当時の日本国内における朝鮮を軽視した歴史観に対して異議を唱え、日本帝国主義的イデオロギーに対し真っ向から闘った梶村氏の研究の思想・エッセンスがギュッと詰まった本である。
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1977年刊行。著者は神奈川大学経済学部助教授。
19世紀以降が半分以上を占めるので、通史とは言い難い。ことに、近代史を綿密に検討しようと思えば、近代史の画期ともいうべき韓国併合を招来した前史、つまり李氏朝鮮時代(特に中後期)の内政、外交(特に清国との関わり)、清国以外の外国からの情報や対外意識の詳細な分析は不可欠であろう。
77年刊行では無理かもしれないが、ほとんど検討がなされていない。
いい加減、朝鮮近世史、さらには同時期の経済史について、証拠と事実に即して検証しないと朝鮮史の本を読む意欲が失せてしまう。
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学生時代の古本屋巡りで出会ってから
十数年も部屋で眠っていた本です。
複数回の引っ越しにも
赤ちゃんの本棚荒らしにも生き残り
よくぞ、ご無事で!
と声をかけたいくらいです。
★
サラッと読んだだけで
これは(今の読者には)嫌われる本だなあ
と思いました。
朝鮮の歴史そのものが
日本と関与してきたもので
負の部分を含むことを
避けられないという点で
あまり心地よいものではないこともあります。
しかしそれ以上に不愉快なのは
今で言うところの自虐史観ではないでしょうか。
私はいずれの観点でも心地よい
ものではありませんでしたが
政治家の発言でもあるまいし
既に故人であるし、
そんなには気になりませんでした。
ー浅はかだと思いますけれど
何も考えないよりはマシかなレベルです。
すごく簡単にイライラしない方法を考えました。
これを深めるとかなり深まるのですが
読書感想の枠を越えるからしません。
いつ
→1970年代
どこで
→日本国内
誰が
→梶村秀樹さんという日本人学者
何を
→朝鮮史を
どのように
→内在的発展論を手がかりに朝鮮民族の自律性を語った
1970年代じゃん。
そりゃ仕方ないって。
当時の日本人なら学術研究したって
仮説や成果発表のついでに
この事実を噛みしめなくてはならんとか
反省の言葉らしきものを
思っていてもいなくても
言ってしまったんじゃない?!
くらいに感じます。
「その無自覚こそが罪深い」
という向きもあるでしょう。
いやはやごもっともではあります。
ただ、私はこれを読んで
当時のこういう学者はこんなことを考えていた
とわかるだけでもよかったですよ。
勉強が足りていないので。
ひと昔前の日本人が
当時の学術研究水準で
朝鮮民族寄りの観点で朝鮮史を語った。
その資料として読むならば充分でした。
観点と年代的な古さは仕方ないかなと。
☆
梶村さんは53歳と
若くして亡くなっています。
それで本書発行は30代後半ですね。
その年齢でこれを書いたってのは
立派だと思う。
朝鮮史の素人だから
その内容はよくはわからなくて
でもどちらかというと満足していないのだけど
一般大衆に学術の入り口を
導く存在として声がかかったということは
やはり存在価値が高かったのでしょう。
確かに唯物史観が優勢の時代だったと思うから
生産様式がどうのこうのが
歴史理解の足がかりとして
非常に大事になったことでしょう。
勉強を思い出せなくて
主張をよく理解できずに
読み進めた部分もありました。
日本、アメリカに冷静な視点がありつつも
ソ連の傍観者ぶりに甘すぎるだろ!
とか自分なりにツッコミどころは満載でした。
内在的発展論を展開していても
檀君朝鮮のこ���は神話と言っているのは
ああやはり学者だと安心しました。
神話は神話で何らかの根拠はあるだろうから
その精神は~~とか述べていましたが。
当然悪意をもって日本を貶めようと
しているわけではないはずなので
もしこの方が現代に生きていたら
どのように史学や教育学を
感じるのでしょうね。
それを想像するのもおもしろいです。
☆
最後に気になったところを
いくつか引用しておきます。
P55の「元寇と倭寇」
まず、1274年と1281年の二回にわたる元寇は、いうまでもなくモンゴルによる日本侵攻である。隔絶孤立した日本にとって前近代史上唯一の「国難」なので、日本人の記憶に強く印象付けられたが、実際に上陸・占領されたわけではない。当時、高麗は長期の交戦の末軍事占領された状況にあった。だから、元寇における高麗人の立場は、加担を強制され、侵略の矢面に立たされる二重の被害者の立場であった。それなのに、日本の教科書が「元・高麗連合軍」などという言葉を使って、まるで高麗に自発的侵略意図があったかのように描き出しているのは、「報復はとうぜん」という含意を持ち、日本人の排外意識をあおり立てるいやしい意図をふくんでいるというべきである。
↓
モンゴルのせいだから朝鮮は悪くない…。
上陸・占領されなければ侵略はいいの…。
そこまで朝鮮の肩を持つ…。
P74の「豊臣秀吉の朝鮮侵略」
このような朝鮮社会の順調な展開を一時大きく攪乱したのが、1592年と97年の二度にわたる豊臣秀吉の朝鮮侵略戦争であった。この侵略戦争の原因を、秀吉個人の誇大妄想にのみ求めたり、中国への侵入の通路を求めたにすぎないのに朝鮮側が拒んだのをとがめたものとみるのは、皮相なみかたで、天下統一後の内部矛盾である大名の不満を領地の拡大によって解消することを策したものである。つまり、まがうかたなき封建的侵略・膨張主義の表れで、何ら弁明の余地がない。実際、侵略後に参戦諸大名に挑戦全土を分割賜給する試案まで準備されていたのである。日本側ではこれを「文禄・慶長の役」という平面的な名でよび、はなはだしくは「朝鮮征伐」などという言葉があるが、朝鮮側には何ら征伐されるような理由はない。朝鮮側で「壬辰・丁酉の倭乱」とこれをよぶのはとうぜんである。
↓
立場が違えば倭乱でしょうね。
中世では膨張主義はありふれていたでしょう。
日本側の立場だと平面的な意味の
「役」でも悪くはないと思います。
世界各国でそうでしょう。
日本史に詳しくないけれど「弁明の余地」って
日本人は弁明しているんですかね…。
ここまで厳しく〈?〉自国の過去を
見つめる国はどれだけあるのでしょうか…。
P116「甲午農民戦争 農民の民族的覚醒」
こうした政治危機の深化は、民衆の大多数を占める農民諸階層にもひしひしと感じられ、おくれていた民族意識の急速な成熟を促していった。とくに、日・清の経済浸透による社会経済の変動は、いまや、農民の肌身にも直接感じられるものとなり、外敵に無策で弱腰な閔氏政権に対して、広汎な農民の批判が強まっていった。(省略)
↓
甲午農民戦争からそうきましたか。
ここからは日本に対する記述以外は
おもしろかったです。
歴史でなくても外圧や外的とどう立ち向かうか
というストーリーを読むのが好きですから。
P185 「強制連行・徴兵制」
かくして、1930年以降の15年間に在日朝鮮人人口は約10倍に急増し、敗戦の時点では二百数十万人に達していた。これは、当時の朝鮮の総人口の一割にのぼるどえらい数字である。注意すべきは、日本への連行だけが強制動員のすべてではなかったことである。
↓
本当にすごい数です。
エッセイとかでなくても
「どえらい」と言ってしまいそうです。
東京生まれなのに。
P207 「朝鮮戦争下の在日朝鮮人」
軍事政策全体、とりわけ南挑戦での弾圧強化とも関連していた。米軍の銃弾が南朝鮮の民衆を血に染めている状況を、日本ではひとり在日朝鮮人のみが、自分の問題として注視していた。GHQは、アメリカへの幻想を捨てない日本人に対しては懐柔(天皇制の保存等)をまじえ、アメリカの反動性を鋭く見抜いた朝鮮人に対してはもっぱら強圧するというように、政策を使いわけたのであった。
↓
確かに朝鮮のつらさは本物でしょう。
でも日本の天皇制の保存は
うまく統制するためであって
懐柔一辺倒ではないと思われます。
朝鮮人がアメリカの反動性を
鋭く見抜いていたかどうかは分かりませんが
勢いで書いちゃったのかな。
コントラストがきれいな美文は
基本的に怪しいですよね。