投稿元:
レビューを見る
たしかに昔、ねこというのは「いつのまにかいなくなる生きもの」だった。東京に来て、室内で猫缶をあたえられている猫をみたときは、かなりのカルチャーショックでしたね。詩人の長田弘さんが書く新婚カップルの生活は、どこかボリス・ヴィアンの小説みたいに懐かしい時代の響きがして、そんな彼らの人生の中にふらりと訪れ、突然消えてしまうねこたちの物語も、甘くてさびしい響きがする。タイトルがなんとも秀逸です。
投稿元:
レビューを見る
猫には前頭葉がなく、先のことを予期する能力がない、ということがこの本に書かれているというので読んでみました。
1971年に出版された本です。当時は情報もなく、動物愛護の風潮も少なく、これで良かったのかもしれませんが、あまりにも猫の扱いがぞんざいです。この夫婦は、猫をどんどん死なせたり行方不明にさせたりします。
どこまでが実話でどこまでが詩の世界なのかよくわかりません。
しかし、詩人としての表現だとはいえ、猫の事故や行方不明をグングンとふくらませた表現をして、それは猫を失った自分たちを楽しんで、いろんな言葉を飾り付けているようです。
この人は、猫嫌いのままでいればよかったのに。現在の僕の価値観では、この猫の扱いには耐えかねます。多分そういう触れ方をする本ではないのだろうけど、つらすぎて、たとえフィクションだとしても、詩集だとしても、もう二度と読もうとは思えない本でした。
投稿元:
レビューを見る
ぼくも猫が好きではなかった。というよりも、猫好き過ぎる人を好きになれなかったのだ。
でも人を見ないで猫だけ見ていたら、また好きになりました。
良き隣人であればいいなと願いつつ。
顔を見せない間、彼らはどこでなにをしているのやら…。
投稿元:
レビューを見る
詩人長田弘による猫エッセイ。猫を飼っていた日々を綴っていますが、今の感覚で猫好きの人が読むとショックを受けるかも知れません。時代がもつ猫観の違いが興味深くはありますが。
猫の気ままさ、気まま故の愛らしさが軽やかな筆で書かれています。しかし、だからこそ不意に訪れる別れの空虚さも大きいのですが。昭和40年代の風俗小説として読んでも面白いかも。
巻末にはアラン・シリトーの「ママレード・ジムの華麗な冒険」も紹介されていますが、これまた軽やかな文体が長新太のイラストと相まって楽しいです。
投稿元:
レビューを見る
ねこ嫌いだった作者がねこ好きな人を好きになって結婚してねこ好きになって描いたお話し
( ΦωΦ )ニャ
『わが友マーマレード・ジム』
作者が『マーマレード・ジムの華麗な冒険』(アラン・シリトー)を読んであらすじを描き、そこからねこの本にハマっていったお話し
ああわかるー^^*
『ねこに未来はない』は、昔だからかな?そんなにねこはいなくなってたんだと驚いた…けど
『わが友マーマレード・ジム』のお話しはほっこりしました。