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紙の本
愛が置き去り
2001/08/02 01:21
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ひろ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ドラマと全然違う、というのを聞いて原作読みました。よんでからだいぶたつのに忘れられない。とにかく哀しい哀しすぎる。
私はメロドラマ的な解釈をしているかもしれないが、直江先生は倫子の優しさを知っていながら、それでも死というものに自ら飛び込んでいった。刹那的な行為のすべてに、最後の生への執着、たぶん倫子に愛情を感じていたであろうが、そのすべてが意味をなさないほどの死への恐怖、絶望。儚げで弱い、無影燈の下の人間が表現する本質的なもの。死の前では愛は何の意味も、力も、形も成さない。
直江先生を待ちつづける倫子。無影燈の下で。直江先生の遺言の箇所、知らない間に涙が止まらなかった。なぜにあんなにも哀しいのだろうか。また直江先生との最後の夜、直江先生が倫子の髪を優しく漉いている場面、妊娠を告げる場面、暗く、しかし直江先生のとらえようのない優しさが感じられ、一層の儚さを哀しみを伝える。
原作が白く冷たい冬のイメージであるならば、さしづめドラマは雪解けの暖かな春を連想させる(実際ドラマの支笏湖の場面はなんだ?)が、ドラマで唯一倫子が哀れだと感じた場面があるが、それは直江先生に妊娠を告げられなかったことであろう。倫子が幸せだったとしたら、それはただひとつ、妊娠の告知だと思う。その後の直江の入水を考えれば、本当にいたたまれない。
倫子があまりにもみじめで、哀れで、でも確かに幸せだったと私自身は思いたい。なぜなら私だったら、私も、あんなふうに無影燈のしたで、直江先生を、愛するひとを待つであろう。
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