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「花であることでしか/拮抗できない外部というものが/なければならぬ/──」
願わくは、私も一つの「花」でありたい
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先日友人からおいしいリンゴをもらった時、ふと石原吉郎さんの「居直りりんご」を思い出しました。
そして、無性に詩集を読み直したくなったのです。
硬質で芯の通った沢山の詩の中でも、「麦」と「花であること」は暗誦するほど大好きです。
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『デメトリアーデは死んだが』が力強く感じた。
『花であること』は花=人間の読み替えで読むと、自分は強い感銘を受けた。
また『肉親へあてた手紙』を読み、自分もまたこの人とまったく無関係ではいられないのだと思った。
清水昶の詩人論が一面的で、嫌いな言葉遣いだった。ほんとうに『肉親へあてた手紙』を読み込んだ人であるなら、こんな文章書くはずがないと思った。あるいはこの前に置かれた笹原常与の詩論に深く納得したため、それと同レベルの深さを自分が期待してしまったからかもしれないが、それにしても詩に政治的な考えはやはりあまり持ち込まないようにするべきだと思う。