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日本建築は古代、大陸からの影響を色濃く受けて、宗教的主体(神道、仏教いずれも)のための左右対称の彫塑的な、またファサードの平面絵画的な美しさを重視した「幾何学構成」からはじまり、これら宗教建築の様式は住宅にも展開された。
そして桃山・江戸時代の日本文化が最も他の文化圏から隔絶された近世の時代において、日本人の建築嗜好は、外面的/配置構成的な美しさを離れ、内部空間における客体の「行動/体験」を基調とする設計に移ったという。これは主として、線的にひとつひとつの分断された体験をつないでいく屈曲、旋回、回遊等の構造に表れているという(≒日本家屋特有の見通しの悪さ?)。
外形ありきではなく、まずは内部空間における行動観察を起点としてプランを立てるという思想は、ある意味もっとも贅沢な手法であって、建築家とクライアント双方に「虚実にとらわれない成熟した感性」がないと成立しない。外界から隔絶された“ガラパゴス建築界”でこれが成立したというのは興味深い。
経済合理性に支配されない(必要以上の競争に脅かされない)ガラパゴス化は、メッキを不要のものとして退け、根源的な「要/不要」で物事を判断する土壌を育てる側面もあるのではないか。
ただ、本書は上のように各時代の建築を解析しながら、その構造の特徴を時代ごとに分類し、一般化していくのだが、その理由についてはかなりあっさりと示されているに過ぎない。
「以上のような空間を創りだした精神的背景は、「無常観」で代表されるであろう。それは世界を、時々刻々としてとどまらない流動的な現象とみなすものであって中世以降の日本人の精神の基調であり、これがまた、日本独自の建築空間をも生みだしたと考えられるのである」p.288
戦後、急速な経済成長を続けるなかで近世に花開いた芳醇な建築思想はまったく失われたように見えるが、「無常観」という心性が日本の風土的な特徴から私たちに染み付いたものであるのなら、近代建築にもそれは見出せるのかもしれない。
そのような意味で、思いつくところでは金沢21世紀美術館の内部構造は、江戸城本丸の複雑な空間の接続構成と似ているようにも感じる。ガラスのおかげで館内の見通しはすこぶるよいけれども、体験の分節化は決定的に近世日本建築のそれではないか……?
日本人はひたすらに「日本論」が好きだ、とかつて内田樹は「日本辺境論」でなかば皮肉もこめて書いていた(と記憶している)がそれでもやっぱり日本は「変」なのだと思う。その「変さ」を必要以上に奢ることもなければ(Cool Japanとか……)卑下することもない。外形にとらわれずに内部空間の体験的な快さを追求していけば、やがてそれは発見され、価値を見出されると思う。