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紙の本
市民革命を経ても経なくとも、軍隊は軍隊。
2010/08/08 10:07
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:浦辺 登 - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治新政府における軍制の基礎を築いた大村益次郎の生涯を描きながら、天皇制における軍隊の発生の過程を論じた一冊になっている。
大村益次郎といえば九段の靖国神社にある大村益次郎像が真っ先に浮かぶが、もともとは長州の田舎医師の息子だった。それが、九州日田の廣瀬淡窓、大坂の緒方洪庵の適塾と学ぶうちに蘭学、それも兵学を学ぶことから諸藩の指導、長州の軍制改革の道を歩むことになる。
その兵学者としての大村益次郎だが、シーボルトの娘であるイネとの関わりもあり、この人物の真意はなかなか計り知れない。それは男女の仲だけではなく、実際の軍の参謀としての計略にも現れており、維新の英雄である西郷隆盛とも時折、小さな衝突を演じている。それは薩長という藩としての対立ではなく、軍帥としてのものである。
たとえば、銃にしても砲にしても、間断なく発泡すれば銃身が焼けて弾を撃つことができなくなる。その冷却期間も考慮して大村は作戦を指導していたと言われる。兵站にしても同じで、その計数能力の高さは群を抜いている。さらには、これは医者としての経験からくるのか、人間の心理にも長けている。はたして、跡を継いだ山縣有朋がどこまで大村の戦略を理解していたかは疑問だが、いずれにしても、日本の近代国家としての軍制の基礎を築いた人物と言っても過言ではないだろう。
さて、その大村益次郎を取り上げた著者だが、天皇の軍隊がどのようにして創られたかを調べる過程において研究対象となったのが大村益次郎であった。フランス市民革命のように市民によって発生した軍隊ではない事に不満を表し、憲法改悪、再軍備の問題は幕末維新に創られた天皇の軍隊であることに源を発していると主張する。
しかし、フランス市民革命の軍隊もアジアを侵略し、ベトナムの独立に際しては軍を送り込んでいる。市民革命だろうが、天皇の軍隊であろうが、軍隊は軍隊である。残念ながら、著者の視点は日本国内にとどまり、アジアを通過して一挙にフランスへと飛躍してしまっている。戦後左翼が陥った大きな落とし穴に、この著者も嵌っていたということになる。この本は一九七一年(昭和四十六)に書かれたものであり、中華人民共和国が国連に加盟した年になる。左翼が清く正しく美しくと喧伝されていた頃のことなので、世界情勢と歴史が正しく判断できなかったのだろう。
いずこの国の軍隊も、天皇制、市民革命に関わらず、自国民、他国民が反乱を起こせば銃を向けるものである。
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