投稿元:
レビューを見る
人間がいかにして中世に政治というカラクリを見破ったのかが書いてる。そして現代政治の基礎を築いたといわれるホッブズ・ロック・ルソーのそれぞれの展開した“自然レベルまで分解した人間”についてもわかりやすく書かれてる。政治がその時代の制約を受けているとはいえ、彼らの展開する論理というのはやっぱり興味深いものがある。決して未開の人々が遅れてるだとか軽蔑視することじゃないんだけど、どうして芸術だとか認識だとか科学、学問が真っ先に発達する場所がヨーロッパなんだろうって毎回思ってる。いや、そもそもそれが発達しようがしまいが関係ないのかもしれない。今自分が自覚している世界自体が西洋中心的なものであって、その視線が基底にあるから「やっぱ西洋ってやつはすげーな」って思ってるだけか。やっぱりレヴィ・ストロースを読まなければいかん。。
投稿元:
レビューを見る
そのタイトル通り、中世ヨーロッパにおける政治的現実が近代に至っていかに変化し、そして政治思想もまた変化を遂げたのかを概括的に述べている。個々の思想家の名前でもっと出てきて欲しい人間はいたが、近代政治思想の大枠をつかむことができたという点で非常に有用だった。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
近代は、人間が既成の社会から自らを解放する努力によって生み出されたものである。
では、その既成の社会とは一体何であり、人間はどのような努力によってそれを打ち破ったのか。
中世から近代への転換期における思想の変革と原理形成の過程を鮮やかに描き出し、近代思想の遺産が今日の私たちにとってもつ意義を明らかにする。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
西洋的な考えから宗教の栄枯盛衰と科学の発展を下敷きとして近代までの政治はどのようなものであったのかという事を述べた後に近代の政治思想を述べている。
近代の政治思想とは、ホッブス、ロック、ルソーという思想家達が近代の民主主義的な考えを発展させた。それぞれの時代の考え方に即して、ホップスは自然からの生産量が一定であるという前提で、自己保存の為にそれぞれ勝手に行動する民衆のために国家が必用であると説き、ロックは自然からの生産量は無限であるため、個人が労働を通して富を築く社会を提唱した。ルソーはさらに個人個人の資質によって社会の有り様が決まるのではなく、制度として個人の集団である社会の制度をうまく運用することにより人間の自由を実現する方法を提示した。
彼ら3人に共通するところは政治社会がどういうメカニズムによって成り立っているかのからくりを内側から見通し、論理的に解体している。彼らの根拠となるのは自然を超えた人間の理性である。こうして国家を内側から見通したときに、政治社会とは要するに人間の相互の組織であり、それを可能にしているのは自然には属しない人間の能力、広くいって思想的な契機だということになる。
現代に生きる人間にとってもやはり、理性を通して現代社会のからくりを冷静に見つめ、人間の道徳的理性的な向上を加味し、次の社会を形作らねばならないと感じた。
投稿元:
レビューを見る
近代の政治思想の要諦は共同体・社会・権力が所与のものではなく、それが人間生存の条件から生まれてくるメカニズムを明らかにした所だという指摘は鋭いと思う。
自然と人間の峻別に由来する「内面の自由」を私達は本当に認識し、その価値を守ろうとしているだろうか?
この本の最終章で扱われている2つの問題。
生産から切り離された人間が「現代のパンとサーカス」をあてがわれる時、我々は本当に理性を獲得できるのだろうか? 重い。
そして国家の本質である暴力の問題。今、国防の観点からのみ軍備が議論されるが、抵抗権の物理的所在を問わなければならない。ベトナムのアメリカ戦勝利を再認識すべきだ。
選挙は革命の制度化。日本の政治家と官僚に身に染ませなければ。
投稿元:
レビューを見る
【4. 宇宙像の解体と政治の世界】p67
カント「私の上にある星を散りばめた天と、私の内にある道徳律」
投稿元:
レビューを見る
講演録。思想が成立する社会的な条件と思想的な条件を整理。
後半は、冷戦下の文明に対する危機感が色濃く反映されている。
絶対主義時代の遺産である主権という概念を、批判的に吟味する必要性を訴えている。
国民主権とは、まったくなぞの言葉である。
それに、人々が政治を考えなくなってる。
批評の力が衰微した社会に未来は期待できない。「パンとサーカス」に安住してはいないか、常に意識する必要がある。
投稿元:
レビューを見る
1960年代の講演であることに時代を感じる。政治思想の由来を紐解きながら、最後に当時の問題意識に焦点を当てる。
「人間のつくりだしたものが非人間化して、人間に対立し、人間を非人間化するのが、まさに現代の特色」
この問題提起と回答を探るとすれば、おそらく当時の言論界としてはマルクス主義的なものを土台とすることが一般的だったことだろう。歴史の法則に光をあて、革命を含めたパラダイムの変革を呼び起こす…と。
もしそうだとすれば本書はその対案を示しているのかもしれない。いかに近代的な事物であってもそこに関わる生身の人間いるわけで、人間ひとりひとりを信頼し、憐憫や同情を持って思想的に訴える。エンタープライズが日本に出入りし、冷戦下で核戦争が現実味を帯びる時代、それでもまだ、いやだからこそ人の可能性を信じている。
現在本書の議論に窮屈さを感じるのは、問題提起も回答も近代思想の枠組みの中でこねくり回しているようにみえるからだ。科学的理性とは異なる理性的な何かを想定し、近代の枠組みに捉われない思想を展開しようとしているのかもしれないが、人間を信頼する根拠を人間の作り上げた文化に由来する何かに依拠するのであれば、やはりそれは近代の枠組みの中の話であって、結果的に説得力に欠ける大きな原因なんだと思う。
投稿元:
レビューを見る
著者の深い理解を感じつつ、講義体で書かれているのでさらっと読める。
あまりにさらっと読めて、理解できるが、身につかない感があり、もう一度読みたい本。
投稿元:
レビューを見る
権力の制限と人民主権を理解することが政治の理解だ。それが21世紀に入って少しずつ変わっていっているのか。人々は人民主権があまりにも当たり前になり、政治参加を面倒と感じているように見える。
講演を書き起こしたものなので読みやすいが、読みやすいからとどんどん読んでいくと、内容が全然頭に入ってこなくなってしまう(反省)。再読したい。
投稿元:
レビューを見る
ホッブス、ロック、ルソーなど、高校の政治・経済に登場する人々の思想を当時の社会事情を踏まえながら話が進んでいくため、政治・経済を学んでいる高校生にもおすすめ。
政治思想は当時の社会状況より生まれる、とのことだが、この本の内容も学生運動が激しかった昭和40年代前後の社会状況から生まれているように感じた。(「結び」pp.171-172.)
この部分等において、(出ない出版物など無いのであろうが...)著者の政治的態度が若干出ていたのが個人的にはマイナスだった。
また、「結び 3 批判の精神」にある、「批判の精神が...(中略)...自己をも吟味すること...」(p.198)は、杉田敦『政治的思考』に登場する「問題を外に向けるな(大意)」に通じるものを感じた。
ルソーをヒッピー呼ばわりしているのに笑ってしまった。