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戦後、日本人はヨーロッパの個人主義を取り入れてきたと思い込んでいたが、その個人主義理解がどれほど観念的で浅薄なものにとどまっていたかを摘発する。
ヨーロッパの「個人」は「社会」との厳しい緊張関係の中で育まれてきた。だが日本には、こうした力学は存在しなかった。日本にあったのは、無原則な集団主義と、そこからの逃避としての個人的エゴイズムにすぎない。
他方で、経済成長の実績に支えられて、いまや日本はヨーロッパを追い抜いたという論調も少なくないが、外国との比較によってしか自国を測ることができない日本の無原則性が露呈していると著者は見る。これに対して、ヨーロッパがみずから「西洋の没落」を言い立てているところに、著者は内発的なヨーロッパ文明の強靭さを見ようとしている。
「ヨーロッパ」や「近代」について私たちが抱いている幻想を克服し、現実をありのままに見つめようとする著者の文明批判および日本批判は深いと思うが、著者自身のヨーロッパ体験に裏打ちされている議論が多いので、どれほどの普遍性を持ちうるのか、少し疑問に感じるところもある。
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変わってないのね、日本。
40年前と…。
あいかわらず欧米に憧れてて、真似してて、表面だけで中身なし。かっこわるい。
日本人のあの忙しさは何だ。ヨーロッパの人は「あくせく働かないのではなく、あくせく働かなくてもいいという余裕」を持っている。
「即物的な生き方しか知らない日本人の楽天主義」が表面上の人間を作っていて「たえず外の印象に振り回され」て芯がない。「影響は受けるが与えない」。
外国は敵ではなく、師。師とならない外国は意識の外。
現代新書としてはけっしてオンタイムでないこの本が現在の日本をしっかり斬ってくれる。
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のちに保守論客として著名になる西尾幹二氏33歳の著作。初版1969年1月ということで、大学紛争真っ只中である。日本はヨーロッパを追い越した、といった議論の軽さを批判し、日本における個人の不在、極度の中央集権化と脆弱な地方文化、国家意識の未発達を指摘しており、現代にもかなり通用することに正直驚いた。たとえば以下の発言は、グローバリゼーションに翻弄される現代日本の困難を予見したとも言えるだろう。
「もとより、日本的『弱点』はまた、日本的『長所』でもある。ヨーロッパ人は、意志力に長けているが、直観力には弱い。批判力には優れているが、和の精神を欠いている。しかし、それは確かにその通りだが、われわれがみずからの『長所』を失わずして、『弱点』を克服するという二重のむずかしさに耐えるように努力しないかぎり、こんにちのわれわれの内外の困難、たとえば日本社会のけじめのない慢性的混乱と、逼迫する国際状況などを乗り切ることはできないだろう。」