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紙の本
やけっぱちのエージェント
2012/05/20 13:54
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投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
さほど恵まれた境遇というのでもない女が、のし上がっていくというのはどういうことか。昭和の前半の時代だ。美貌、天分、運、といったものが思い浮かぶ。
ことの始まりの頃、夫を脅しに来た男達を睨みつけて追い返して、そこで目を開けたまま気を失ったという描写が、主人公の性質も、それから作品の性格もよく表しているように思う。可愛い女なのだ。可愛くて、優しくて、向こうっ気が強くって、愛情が濃いのだ。こういうねずみっ毛の女は手がかからないんですよなどとも言われる。元の題が「薄毛は悪女」というのはここから来ているのだろうが、悪女でもないし、暗号名が赤い蛇だったりも実はしないという変な話でもある。
可愛い女は、すなわち男を手玉に取る女。たぶん出会ったらめろめろになる。ああ怖い。
玉の輿ではないが、バイパスに乗ってコネを掴んだら一足飛びに力を手に入れる。ブローカー、裏で糸を引く女。自分の手は汚さずに大金を動かす、そんな人から妬まれ陥れられそうな役回りでも、女であるという理由で重宝がられる。一方で甘く見られることも、力づくでということもある。バランス感覚、強い者に付く、駆け引きのタイミング、天性というのは学ぶ力かもしれない。
日本はスパイ天国、占領軍崩れ、華僑崩れの狩り場で、濡れ手で掴む粟には事欠かない。無数のプレイヤーが群がるゲームで、自分自身を賭け金にして挑む彼女は、凛々しくもあり、儚くもある。
底辺から這い上がって来る女を描く、ある意味で成長小説に類するのかもしれないが、いかにも生々しい。このぬめっとした感触は藤原作品に共通するところでもある。それって自然主義的、私小説的文体、つあり人並みはずれて繊細でインテリな人物を描く方法を、場末のチンピラや労働者、主婦にも娼婦にも適用しているということではなかろうか。
それが中間小説的ということなのかもしれない。直情径行的な、体液がどくどくと流れる音の聞こえるような日常。輪郭の不明確な愛情と、時にそれに倍する強烈な憎悪、いつか訪れる裏切りや墜落への恐怖。それらの衝動は内省無しに行動に走らせる。丹念な心理描写が、その理不尽さ、暴力性が溢れ出す境界線を浮き彫りにしている。男達、女達はそれぞれに矜持を持っていて、利己的であれ、反モラル的であれ、刹那的であれ、それぞれが存在の重さを持ち、悲しさを抱えていることを作者は見つめている。過激な行動と裏腹に、彼らの精神は決して凡庸から逸脱しない。やはり女性の成長小説である「さきに愛ありて」では、主人公は知的で、良識的で、本作とは対照的に生真面目に人生を進むが、やはり思考のメソッドという点では共通しているように見える。
サスペンスな題材を取り上げながら、そのスタイルは結局は藤原審爾でしかないという、独特のアクの強さ。中間小説というステージでは、ミステリ、冒険小説、歴史小説、社会風俗ものなどが百花繚乱したが、それらのテーマを取り込みながらも、ひたすら純文学から出発してその領域を拡げようとした作家なのかもしれない。などと、ここでまとめてしまっていいのか。
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