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純粋無垢な、伝説の存在であるユニコーン。ある日、一頭のユニコーンが「あなたは最後のユニコーン、仲間は誰もいない」という噂を聞きつけたことから、仲間を捜しに旅立つ・・・。人を愛することの美しさと、無垢な存在で居続けることの難しさが、ファンタジーという作品を通じて語られる。新しい世界に踏み出し、新しい自分を捜すときには、今までの自分は変わらざるを得ない。時として、今までの自分を捨てなければならないほどの事態にすら直面する。
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世界にただ一頭残されたユニコーンの探索。彼女の旅は波乱にみちて、ついに悪王ハガードの城にたどり着き、仲間たちを封印した赤い雄牛と対決するのですが…。悪い王と恋する王子、物知りな蝶と無能な魔法使い。下働きの女はユニコーンに憧れ、台所の猫はユニコーンを恐れる。そう世界の中心にいるのはユニコーンなのです。世界はある種の記号でしかなく、意味があるのはユニコーンがいるからなのです。出てくる登場人物たちはユニコーン=アマルシア姫=彼女に関わることによって、記号ではなく人格をもつ存在になります。そうしてユニコーンもまた、ただ一つの悲しみを抱く存在になるのです。美しい物語です。なによりクライマックスとラストシーンの美しさには溜息をもらさずにはいられません。
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1:2:3:丸善オアゾ本店にて、2006年夏。4:出会う。世界で最後のユニコーンに。今ではあまり見かけない口調で語られるファンタジー。5:二階堂奥歯著「八本脚の蝶」の中で引用されていたことから。
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モダンファンタジーの傑作。
最後のユニコーンが新天地を目指す。
全編に靄のかかったような独特な雰囲気は、なかなか昨今のファンタジーに出せない味だと思う。
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ユニコーンは,たったひとりで,ライラックの森に住んでいた。自分では気がついていなかったが,彼女はとても年をとっていた。もはや,無邪気な海の泡の色ではなく,言ってみれば,月の夜に降る雪の色に近かった。けれども,瞳はまだ澄みきっていたし,疲れの色もなかった。その動作も,まだ海面を走る影のようだった。
(本文p.7)
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はじめてファンタジーを読んで感激した本です。
ただ昔過ぎて内容の記憶が曖昧かも…
あわせて『ユニコーン・ソナタ』もオススメ。
訳文が読みやすいので、むしろこっちを先に読んだほうがよいかもしれません。
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私たちは自分の見たいものを見る。何を見ても、そこにはある種のバイアスがかかる。
純粋にニュートラルな視線というのがありうるとして、それはおそらく論理か言語そのものの中にしかなく、私たちはそれを解釈によって読みとるしかない。世界の真実の純粋さは最初から願うべくもない。
だが、魔法は一方的に訪れる。魔術師はそれを呼びよせ、通過させるにすぎない。莫大な力は唐突で、有無を言わせず、思い通りにならない。魔術師はただ、真実を強制的に反転させる装置として存在するだけだ。そして魔法はいずれの真実を表出すべきかを、それ自身では決定できない。
だからユニコーンが美しい少女になったとき、それは彼女自身がまったく望まないことだった。次第に、彼女は彼女をうまく見ることができなくなる。彼女という真実、ユニコーンの存在は、魔法によって強制的に覆い隠され、閉じ込められて、見えなくなる。彼女自身にさえも。
真実の反転に伴う永遠からの転落。時に従属し、老い、死ぬ。忘れ去られ、失われ、同時に、変化が新しい真実となり、根付く。
いずれの真実が正しいのか、もはや誰も決めることができない。それらはどちらも真実でありうるからだ。そして彼女を救うのは、結局のところ彼女の信ずるものと、彼女の望むものでしかない。
それで、だから、彼女は唯一のユニコーンになった。悲しみを知る永遠という矛盾そのものになったのだ。
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とにかくユニコーンの描写が毅然としていて優雅でした。変わらぬもの、移ろうものが持つ美しさを描いた作品だと思います。
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世界に1匹だけ残ったユニコーンが、いなくなってしまった仲間を探し旅をする話。
古いSFなので言い回しが少々くどく感じられる。最近のスピード感溢れるSFと比べると、やや読み難い感がある。
どの場面も一本調子なので緊張感があまりない。その割りに場面転換が唐突なので読むリズムを作り難い小説だった。
文体もリリカルなので、SFというよりは御伽噺みたいだった。
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それぞれのシーンやモチーフは、過去の色々な物語(特にケルトのものとか)の中で出逢ったことがあるような気がする。そんな既視感を味わわせる断片が次々に、しかもこちらには予想できぬように次々と展開してゆく。断片のみに終わるはずではないという予感のエネルギーが、私を最後まで導いた。「わたしは、後悔することができない」「悲しむことはできる」「でも、それは同じことではないのです」やはり、そんな断片だけが心に残っている。「この世で最も美しい生き物」という表現とか、ユニコーンが優雅に頭を下げる様子とか、それから海に沈んだイスの街を思い起こさせるように迫り来る波とか。
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純粋無垢。真実とその裏。
先の期待を大きく裏切り展開していくどきどきわくわくのストーリーに引き込まれた!!
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2回目のトライ。おとぎ話系は、あまり得意じゃないが、今回は、ちゃんと想像しながら読み進めるようにして、まだ読み続けている。飽きないで最後まで読みたい。
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これは一体どういう話なんだろう。メタ・ファンタジーとでも言うべきか。
筋としては割とファンタジーの王道で、世界の森からユニコーンがいなくなってしまったため、ただ一匹だけ残っていたユニコーンがどこかに消えてしまった仲間のユニコーンを探しにいく、という話。途中、魔女や魔術師、野盗、王子、意地の悪い王などが現れ、ユニコーンも人間の女性に変化するなどし、いろいろあり、最後は大団円。
興味深いのは、登場人物たちがファンタジーの文法に自覚的なところで、これが作品に独特の味わいを与えている。例えば、王子は自分が幻想文学における登場人物の一類型としての王子であることを作中で自覚しており、彼は毎週のように魔女や怪物と戦いに行ってはその労苦をぼやいている。
しかし、だからといって、このメタ・ファンタジーとしての要素が物語の筋に大きな影響を与えているという点は見受けられなかった。そのため、物語としてはいくらかまとまりに欠ける。作者の伝えたいであろう主題も(あればの話だが)よくわからない。
強いて言えば、記号とその計算に堕している多くの幻想文学に対して、記号的な登場人物を持ち出してそれを皮肉ってみせ、さらにそれを実在しうる、一つの人格として顕現させる術を示してみせた、というところだろうか。
あんまりごちゃごちゃ考えるような話ではないのかも。
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最初にこの作品を読んだのは十代の頃、鏡明訳でハヤカワ文庫から出版されていたときだった。『指輪物語』や『ゲド戦記』の洗礼を受けた後で読んだせいもあるが、かなり地味で、体感温度の低いファンタジー作品という印象を受けた。もっと正直に言えば、少しつまらないなあ、と思ったのだ。
主人公は、とある森にただ一頭住み着いたユニコーン。彼女は自分以外の仲間がすべて「赤い雄牛」に狩りたてられて地上から姿を消したことを知る。彼女が仲間を探索する旅に、魔法を使えない魔術師のシュメンドリック、盗賊団にいた女モリー・グルーも参加。やがて一行は「赤い雄牛」を擁するハガード王の城へと辿り着く……。
ユニコーンその他の幻獣たちの造形は表現こそ詩的だが型通りだし、ハガードや「赤い雄牛」に象徴される悪や権力も非常に抽象的だ。しかし、無能な魔術師シュメンドリックが、ついに存在の内奥から湧き上がる真の「魔術」に満たされる場面は深く心に残っていた。二十代になってから文庫を再読してみたのもそのためだ。すると以前は見えなかった魅力的な箇所が次々見つかった。見世物小屋に捕らわれたハルピュイアの「本物」ゆえの恐ろしさ。それに固執する興業主フォルトゥーナの愚かしさ、切なさ。ただの小うるさい登場人物だったはずのモリーが、自分の作った料理を食べた人間を悪く思えなくなる性質だという点にも目が留まり、急に彼女が母性を帯びた好ましい存在になったりした。そして三十代の今、手に取った本書は全面新訳、しかも完全版。その上、本編の後日譚である短編「ふたつの心臓」が併録されている。この短編では年齢を重ねた後の主要登場人物たちに再会することができ、同窓会のような気分を味わった。また、訳者あとがきに抜粋された作者の言葉から、『最後のユニコーン』が「古典的なヨーロッパのフェアリーテールへの愛をこめたパロディ」であり、著者が敬愛する「作家たちに対するオマージュ」であったこともわかった。
若い日に感じたこの作品の体感温度の低さは、ここに由来していたのかと納得した。読む者の身をも焦がすような刺激的な創作世界でこそないが、透明感を帯びた端正な物語世界は新訳でも変わらない。
まさにユニコーンそのもののような作品である。