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もともとばらばらに書かれた10編の物語を一つに包んだことから「堤」の名がついたといわれる世界最古の短編集。皮肉と風刺の利いた物語が最高です。現代語訳で古典の嫌いな人にもぴったり(笑)
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私が読んだ本は古典全集だったのだけど…。
堤中納言物語は、短編集ですね。その中でも私は虫愛ずる姫君が大好きだったりします。あとは、このついでとか楽しいです。肩肘はらずに読めば古典も楽しいなって思った作品集なんですけど。
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今年学校の図書館で借りて読んだ本。
虫を愛でる姫君がかわいくて萌えました(笑)
他の話ももっとじっくり読みたかったので、文庫本を買いました。
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ステレオタイプな古文の話の流れとはまた違う作品(大学入試には時々出ますが)で新鮮です。特に「虫愛づる姫君」では風変わりな姫君が蝶の実体とはなにかを捉えており、日本では珍しい「哲学」の雰囲気を漂わせた物語であることもあって、お気に入りの作品です。
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図書館から借りました
「虫愛づる姫君」とかは有名かな。
まんま読めば、変なお姫様なだけなのだが。
注釈に、この姫は「その様子は萎黄病患者そのままで、とても想像で描いたとは思われない」とあり。
なんか一気にうすら寒くなる。
座りっぱなしで運動不足の思春期の少女がかかりやすい、ホルモンバランス等々の病気による発達障害と奇行なのだとか。
平安の世のふつうのお姫様はきっとそんなに歩いたりしないから、おおいのではないかな、この病気。
ここしばらく古典を読んでるが、基本「御簾」の中から出てこないのがお姫様だ。
「花桜折る中将」
美しい姫をさらおうとして、その祖母をさらってきちゃった中将の話。
でも、祖母も美人さんらしい。そう付け加えてある。原文に。
姫がおそらく、14・5程度にしかならないし、母親もそんなもんで生まれていれば、祖母の尼君も45・6かもしれない。となると、十分に恋愛可能そうな年齢だが。
「桜花折る」は美しい姫をどーこーするのが好きなという意味ではなく、美しいとかそういう表現で、つまりこのまぬけな中将、美青年なのである。
・・・・・・無駄なスペックだよね♪
「ほどほどの懸想」
タイトルからして皮肉げ。
三組の恋が語られているが、最下層の若い「小舎人童(面倒なので以後少年)」と「女童」はわりとちゃんと恋愛しているが、少年の仕える家の使用人が女童の仕えている家の女房(メイドさんみたいな階級)に恋文渡すのは「本気でなく、ちょっと声かけてみた」程度。その返事が返ってきて、読んでいると若様に見つかって「ああ良い機会があればなぁー」程度に思っている若様が興味を起こして、少年にどんなよーすだよ? と問い、なんとなくその家の姫に通い始めてしまう。「なんでこんなことになったのかなー」と若様は思いながら。(おいおい
「このついで」
特になんということのない話。
オムニバスの中のオムニバス。
「貝合」
どんなゲームかよくわからない。
ただ珍しく「色恋」なしの、ふつうに良い話。
敵役の姉姫が感じ悪いのは態度とファッションのせいなのだが、ファッションは親とまわりの者が教えなかったのかな。
「思わぬ方にとまりする少将」
「はい墨」
この二つは登場する男がものすごく腹立たしい。
少将のほうは身寄りのない女を手ごめにした挙句に、姉妹までも手にかける。しかも、二人もそんな男が出てくる。(姉妹ともろくな男にひっかからなかったし、姉妹とも、ろくな使用人に恵まれなかった)
はい墨の方は、もう妻もいるのに知人の家の娘に手を出して(しかも知人の方が家柄上。あほみたいな・・・)、あっちこっちにいい顔しようとするむかつく男の話。結局、現在の妻を追い出そうとして、だけどやっぱり彼女が可愛いと思いなおして、とはいえ知人の娘もむげにできなくて・・・。
この連中、もうほんとっ、いらいらさせられるっ。
「逢坂越えぬ権中納言」
上記のむかつく三人に比べて、この彼は懸想してもけんもほろろな態度の姫の部屋にするりと入ったあとは、泣きながら気持ちを訴えるだけという人の良さ・・・。
そして、姫は「いや」という態度を崩さず、なんにもできない。
「よしなしごと」
僧侶の無心の手紙。
あれやこれやが欲しいんです、と書きつづるが「天の羽衣。なきゃ、破れた襖でもいいです」と、最初に無茶ぶりをしてないなら「破れた畳とか欠けたもんでもいいんです」と、続ける。
その時代なら面白いんだろうが、注釈見ないと「無茶ぶり」の理由がよくわからないので、すっきりしない。
「花々のをんな子」
大量の娘をあっちこっちの良家・皇族の宮仕えに出したのって、親の野心を感じるが。もしくは保身。
ざっと天皇の奥さんの名前でよく出てくる系列、すべて押さえ、皇后も押さえ、内親王もカバー。
・・・・・・・有力者総なめみたいだが。
そして、それぞれの家の女達に、重用されているが、彼女らの姉妹が敵(天皇の妻達それぞれにとっては)の懐にいることをしらない。
それぞれ仕える女主を秋の花にたとえているのを、彼女らとつき合いのある好き者が忍び込んで眺めている、という筋。