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紙の本
新しい目覚めと苦悩
2010/06/06 23:33
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
生きているだけで、存在するだけで人を傷つけてしまう。それはよく分かっていることだとしても、例えばボーヴォワールの生きた時代ではどうか。主人公は一人のプチブル階級の青年だが、家を出て工場で働き、労働運動に身を投じる。しかしフランスでの社会主義運動の昂まりと同時に、ドイツではナチスが勃興し、戦争の気配が漂う。集会、ストライキ、パンフレット、そして占領下の抵抗運動。いつしかそれらの指導的立場に置かれていき、彼を信頼する者、心を許せる者も周囲に集まってくる。しかしその活動は、警察に、憲兵隊に追われるものでもある。
戦争という形の中での軍の兵士や士官であれば、強制された運命を呪うことも出来たかもしれないが、誰に頼まれたのでもない活動のために、そういう暗い運命に見舞われること、そういう運命に人々を引き連れていくことにどんな恨み言が吐けるだろう。そんな苦悩はどこから生まれてきたのだろう。
動機は純粋な人類愛や正義感であり、その行動は称賛されているにも関わらず、様々な悲劇の積み重ねによって押し潰されそうになっていく。これは人類にとって新しい種類の苦悩なのだろうか。なるほどかつての王侯や貴族は平民の死や不幸に思い悩むことはなかったかもしれない。神の御業を不幸と嘆くには勇気が要ったかもしれない。市民革命後の世界が続き、資本家やファシストが権力の座に就くようになり、平民の敵が平民である時代になって生まれた感情なのかもしれない。
その苦悩に彼らは耐えられないかもしれないし、耐えて同じ道を進み続けながら苦悩を引き延ばすのかも知れない。あるいは、世間の片隅に生まれたささやかな不幸を、拡大して見せているだけのことかもしれない。しかしこれ以降の時代で、若者達を支配した意識であったことには違いない。「愛と正義の」というとヒーローものでよく使われそうなセリフだが、実は僕らは「愛か」「正義か」の二択の狭間にいたらしい。戦争が起きると分かっていながら傍観していたとしたら、それは愛か正義か、それともどちらでもないのか。
それに彼らも(僕らも)いつまでも若者ではない。戦争が終わった時、苦悩の記憶はどのように息づき続けるのだろう。歴史など無かったように振る舞うこともできるし、沈黙の底に沈み込んでしまうこともあるだろう。いつでもその選択肢は目の前にもあったにもかかわらず、彼らはそれを選ばないできた。その解決法は、愛する人が傷ついたり死んだりすることを耐えることでもなければ、忘れることでもはないはずだ。本作の大きな問いかけではないだろうか。
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