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状態を変えること無く観測できないという量子が、今暗号通信に利用されようとしているが、その辺りにも触れられていた。魅力的な世界です。2007/10/21
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推薦理由:
1965年にノーベル物理学賞を受賞した著者が、物理学の基本的な概念や、科学を研究することの意義を、平易な表現でユーモアを交えながら説いている本書は、物理学入門の名著である。
内容の紹介、感想など:
本書には表題作「鏡の中の物理学」を含む3篇が収録されている。表題作では、自然の法則は、一般的な3次元に時間の次元と粒子・反粒子の次元を加えた観点から見れば完全な対称性をもつ事を、3種類の鏡を使って説明している。2編目の「素粒子は粒子であるか」で、量子力学において電子や光子などの素粒子がどのようなものと考えられているかを説明する。最も面白いのは最終編「光子の裁判」である。不可分のひとりの人(?)でありながら2か所の窓から同時に部屋に忍び込んだと主張する「波乃光子」被告の裁判で、論理的にありえないと断ずる検察官に対して、量子電磁力学の創始者ディラック弁護士が、様々な実験をしながら、光子が波動と粒子の二重性を持つことを証明するという裁判劇を描いたもので、具体的につかみにくい量子的粒子の概念を、擬人化により見事に説明している傑作である。
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物理学の短編集。
「鏡の中の物理学」
鏡が物理学理解の鍵だと分かりました。
空間の鏡と、時間の鏡。
対称性に着目することが、問題を解く鍵のひとつだと分かりました。
「素粒子は粒子であるか」
位置と運動量の両方を同時には定められないという事象を丁寧に説明している。
「光子の裁判」
古典的な物理の知識だけで、光子に法律を適用しようとすると矛盾がおきることを、
裁判形式で展開している。
物理学が苦手な人が読むとよい。
こんなに面白い本を、読んでいない人がいるのは残念。
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光子の波動性と粒子性についてわかりやすく説明してあり、物理に知識がない人でもわかりやすい使用になっていて素晴らしかった。
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出版年が1965年当時は、一級線しかもノーベル物理学賞(出版が先か受賞が先かはわからないけれど)を受賞した朝永振一郎が書き下ろした素粒子理論学の一般図書。
現在ではもう少しわかりやすく図解とともに解説した本がたくさんある。が、当時、一般向けに素粒子理論を説明した彼は学術的な業績と共に教育者としても尊敬できる。
本書の内容は2008年小林・益川量両氏がノーベル物理学賞を受賞した功績と関係が深い。
古典力学および相対論では位置座標を反転させても(つまり鏡に写しても)方程式の形は変えない。
例えば、ボールを手から落としても鏡には同じように映るし、時間までも反転させても同じ物理学に従っているように見える。
本書の主題では、ある種の粒子は鏡に写すと実際の空間とはちょっと異なる動きをするかもしれないということである。いわゆるパリティ対称性の破れについてである。
平易な言葉で記してあるが、小林・益川理論で注目を浴びたときに刊行された書籍のほうが本書を読むよりもわかりやすいだろう。
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「光子の裁判」のところが とりわけおもしろい。
波野光子 という量子的粒子を被告とした裁判劇。どうして窓Aと窓Bを両方通り抜けることができるのか。
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1965年に「超多時間理論」「くりこみ理論」によってノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎氏の物理学エッセイ。「鏡の中の物理学」「素粒子は粒子であるか」「光子の裁判」の3篇収録。
物理は高校で学んだくらいの門外漢であるわたしでも、素粒子やら、量子力学の世界を覗かせてもらえる、平易なエッセイ。
理解しきれてはいないけれど、特に後ろ2つが面白く読めた。
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量子力学を、身近な事柄に置き換えて、また小説のように置き換えて、非常に分かりやすく解説した本。
まだ学問をならいたての人でも理解できるレベルの簡単な書き方になっている。
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著者は「鏡」を端緒に物理学は何であるかを問い始める。力学的な鏡、時間的な鏡、熱力学的な鏡・・・という具合である。取るに足らない議論のように思えるものの、示唆を与える。熱力学では、力学のように元に戻ることはありえない。
また力学において、動いてる電車の中でも止まっている電車の中でも、ボールを落としても同じように下に落ちる。それでは光ではどうか、光は波であるとする考え方があり、それならば、自転および公転方向と同じ向きに発射した光と、直角方向に発射した光とでは差が出るはずだ・・という実験をした。しかし、結果は同着であった。どのような状況であれ、光の早さは同じなんだ、それがアインシュタインの相対性理論である、とする。
またすべての物質はあらゆる素粒子(電子、原子、中性子など)からできていることはしられているが、これに関する記述は、甚だ我々の常識とは異なる。色や自己同一性を持たない、方向性や運動を持たない、はてさてどんなものか?著者は「電光掲示板のLEDのようなものだ。LEDが次々と点灯すると粒が動いているように見えるが、実際はそういうものがあるわけではない。」とする。
本自体はそれほど厚くはないし、簡単に読むことができる。
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守田君がなんちゃって理系だったことにあやかって、最後はガチ理系な短編集の紹介です。オススメは、三つ目の推理小説、「光子の裁判」です。
著者である朝永振一郎先生はノーベル物理学賞(受賞内容は量子電磁力学)を受賞されております。そんなバリバリの理系人間が、頭の中では如何にしょーもないことを考えているかを体感してもらいたい。
波乃光子被告(女)がある部屋に不法侵入した罪で逮捕された。進入経路は、この部屋に二つしかない窓であることは被告も認めている。焦点は「どのような状態で」窓を通過したかです。本文は裁判を傍聴している著者の視点でかかれています。
波乃「私が侵入の直前に部屋の外にいたということには確かな証拠があります」(光の粒子性)
波乃「私は二つの窓の両方をいっしょに通って室内に入ったので」(光の波動性)
傍聴していた朝永「ところで私は今被告がどんな顔をしていたか、どんな姿をしていたか、どうしても思い出せないのです」(不確定性原理)
光や干渉縞を擬人化しています、萌えポイントです(私もよくムーミンとかに置き換えます)。1つずつ可能性を潰していくところなんて、推理小説好きな人なら、きっと気に入ります。真面目な量子力学の話は、短編二つ目の「素粒子は粒子であるか」に収められています。つまり、ふわふわした視点でこれを書き直したのが「光子の裁判」なのです。
一番気に入っている文は、解説の中にあったりします。
「・・・「先生の発見は何の役にたつのでしょうか」という質問に対してファラデーは「生まれたばかりの赤ん坊が何か役にたちますか」と反問した・・・」
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かつてノーベル物理学賞を受賞し、今は多磨霊園に眠る朝永博士の著書。ノーベル賞の季節とは全然関係なく、多摩地域にいた人ってことで興味があって読んでみました。なるべく簡単に伝えようという気持ちが伝わってくる裁判形式での光子の特性なんかは、突出した存在だったことを伺わせるなと思いましたが、物理離れてずいぶん経つ自分にはちょっと難しめでした。。
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「鏡の中の物理学」は、自然法則の対称性について。「素粒子は粒子であるか」「光子の裁判」は量子力学について解説している。
量子力学について、はじめて少し理解できたと思えた。素粒子というのは普通の粒子にはない不思議な性質を持っている。私たちの常識とは目に見える限られた世界の常識にすぎないんだなぁと改めて思った。
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光の不思議な性質を、裁判というまた変わった例えの中でうまく説明している。あくまで例えなので厳密にこういう理由でとは説明していないが、わかりやすい。
もう少し厚い本であればよかったと思う。薄い本なのであっという間に読める。
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(2013.11.22読了)(2003.10.31購入)
著者は、1965年のノーベル物理学賞受賞者です。
いつか読まねば、と思いつつ積読していたのですが、やっと読めました。
物理学、量子力学の入門的作品が三編収録されています。
「鏡の中の物理学」は、鏡の世界と現実の世界で共通して起こりうることとそうでないことの説明と、通常に流れる時間の中で起こる現象と時間を逆転させた時の現象の説明です。
力学的現象は、鏡の中と現実の世界で違いはない。時間を逆転させた場合も違和感のないものもある。
熱現象に関しては、時間を逆転させた場合には、違和感が生ずる。例えば、お湯を入れた器を氷の上に置いた場合、氷が解けて器が沈んでゆく。時間を逆転させると器がどんどん浮いてくることになるので、違和感が生じる。
「素粒子は粒子であるか」と「光子の裁判 ―ある日の夢―」の二編は、量子力学の話です。両方読んでやっと説明したいことがおぼろに見えてきます。
光は、粒子であり波であることは、高校の物理で習ったように思うのですが。素粒子も同様の性質をもつようです。
それだけではなく、A地点とB地点とのあいだに遮蔽物があり二か所に通り道があった場合に、普通に考えれば、A地点からB地点へ移動した場合には、通り道のどちらか一方を通ったとみなすべきであるが、素粒子の場合は、両方を通ったと考えざるを得ない、という話です。何とも不思議な話です。
【目次】
鏡の中の物理学
素粒子は粒子であるか
光子の裁判 ―ある日の夢―
解説 伊藤大介
著者 朝永振一郎
1906年東京生まれ
1929年京都帝国大学理学部卒業
京都帝国大学助手、理化学研究所を経て、
1941年東京教育大学(文理大)教授
1952年文化勲章受章
1956~62年東京教育大学学長
1963年日本学術会議議長
1965年「超多時間理論」「くりこみ理論」によりノーベル物理学賞を受賞
1979年没
(2013年11月25日・記)
内容紹介(amazon)
ノーベル物理学賞に輝く著者がユーモアをまじえながら平明な文章で説く、科学入門の名篇「鏡のなかの物理学」「素粒子は粒子であるか」「光子の裁判」を収録。“鏡のなかの世界と現実の世界との関係”という日常的な現象をとおして、最も基本的な自然法則や科学することの意義が語られる。また量子的粒子「波乃(なみの)光子」を被告とした裁判劇は、わかりやすく量子力学の本質を解き明したノン・フィクションの傑作として、読者に深い感銘を与える。
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1976年当時は優れた啓蒙書であったのだろうが、素粒子や相対論についてかなり踏み込んだ新書が数多く出版されている現在からみれば、いささか物足りなさがある。光子の裁判も趣向は面白いが、ドラマ仕立てにしたことでかえって本質が見えなくなってしまったのではないか。
ただ、対称性のかみ砕いた論議、素粒子は自己同一性をもっていない、通常の言葉は日常的な考え方と密接だから純粋言語である数学のみが現象を記述可能、のくだりは面白かった。