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エロティシズムに溢れた官能小説の一種ではあるかもしれないが、
その趣は俗物的な劣情を謳う作品とは一線を画している。
恋人により共有性的玩弄物にされた0(オー)は
絶えず服従し、(下着など)脱ぎにくい服を着ることを禁じられ、
いつでも開け放たれていることを示すために膝を組むことすら許されない。
0(オー)は愛を証明するためにありとあらゆる行為を受け入れる。
恋人の望むままに誰にでも体を預け、
鞭によりむごく打擲され、
焼きごてや鎖によって徴をつけられても
けなげに愛を信じ続けるのだ。
この奉仕の精神で犠牲を厭わないあたりは宗教的でもあり、
(肉体という容物を超えた)神秘の愛の形を指し示しているのかもしれない。
そもそも『愛』って何?
傷つくことが『愛』?
傷つけることが『愛』?
最後に梟の面をつけて衆目にさらされた彼女は
恐怖と蔑みの眼差しで見られながらも
同時に偶像と呼べる存在となったはずだろう。
わからない。
愛も、痛みも、自分には理解できない。
ただ嫌悪と羨望だけが、心の底にこびりつく。
しかしどれだけ男目線で読んでも(男ですが)
ルネやステファン卿がそうまでして愛してくれたはずの彼女を、
あっさりと捨てた理由がわからない。
O(オー)が服従するだけに満足できずに、
女性を側に置いて愛でることに執着したからだろうか。
おいおい最後まで愛してやってくれよ!って思ったのは
自分の中の犠牲心、悲劇を享受する気持ち、文学的素養が足りないせいなのだろうか?