紙の本
被害者が加害者に仕立てられた水俣水銀汚染の海
2004/04/05 21:22
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投稿者:佐々木 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「私の主人は森永に殺されました」と語る婦人がいた。
昔、乳幼児が口にする粉ミルクに製造過程で毒物が混入し、原因不明の奇病が多数起きた。
母親たちは我が子を抱えて病院に駆け込み、医師は我が子と同じ年頃の患者を懸命に治療した。
そして、その話をしてくれた婦人の夫である医師は過労で亡くなった。二次災害である。
人間の口を経て起きた公害は原因の追求に年月がかかり、その原因をもたらした企業側は安易に謝罪や補償に応じない場合が多い。むしろ、風評対策にやっきとなるばかりである。
本書は熊本県の水俣で起きた水銀公害について書かれたフィクションである。
フィクションであるが、患者の気持そのままの熊本弁が事実を丹念に拾い上げた聞き書きのように思える。
しかし、意図的に作られた話でも、実際に水俣では多数の人々が水銀中毒で命をおとしている。
水俣病の原因は処理されない工場廃水が海に垂れ流されたことであるが、その水溶性の水銀は水俣の海に棲息する魚介類を汚染した。日常的に魚介類を口にする漁民から原因不明の病気が発生したのである。
いつしか、原因は工場廃水にあると分っていても、企業の存続によって暮らしが成り立っていると理解した市民は工場を糾弾することは死活問題に関わるので黙りこむばかり。水俣病患者に手厚い補償をすれば資金難から工場が撤退するかもしれない。そうすれば、チッソの工場によって日々の糧を得ている人々はたちまちに生活がたちいかなくなる。
会社に補償を求める漁民たちは生活の伝手を奪われる市民から逆に責められる。
この件を読んでいて、身勝手な水俣市民に激しい憤りを感じた。
生活の確立という大義の下に、罪もない水俣病患者が正義の世論に二重に殺されるのである。
チッソの工場から生産される肥料によって農産物の収穫が増え、それによって敗戦後の国民は飢えから解放されたはずである。
めぐりめぐって、水俣の漁民が地獄の苦しみを背負うことで人々の罪の肩代わりをしたのだろうか。
「うちゃぼんのうのふかかけんもう一ぺんきっと人間に生まれ替わってくる」
この公害で殺された人の言葉が染み付いて仕方がなかった。
寝食を忘れて子どもの治療にあたり、命を落とした医師ももう一度生まれ替わってくるのだろうか。
そうでなければ、命を救われた子どもと親は悔やまれてならないだろう。
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まだまだ苦しんでいる人がいる。被害を受けた海や人々と密着している本。話し言葉の記述がすばらしい。臨場感を感じます。
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水俣病レポート。小説。ノンフィクション。
どの分野になるのかよくわからない。
このタイトルと名前ではわからなくても、「もう一ぺん人間に」は国語の教科書に載っていたぐらいだから、記憶にある人も多いだろう。まあ少なくても無夜と同じ教科書を使わされていた人は強制的に読まされたはずだから。
読んで騙されるといい(笑)
石牟礼道子の世界というところに答えがある。
無夜としては「あっそう」という程度のショックだが、これをバイブルにしかけていた人にはこのオチはひどいかも。
この人は人間の作り方がすごくうまい。無夜がこうほめるときは、汚さがよく書けているということだけれど、被害者の憎悪とかがわかりやすい。
「おまえらもみんな水俣病になっちまえ」と自分たちを揶揄する奴らにののしる。
「日窒の偉い人から順に同じ数だけ水俣病になれ。奥さん方も水銀を飲んで、同じ数だけの胎児性が生まれるように」と、憎悪の言葉をしたたらせる。
これがよくわかる。わかりすぎるぐらいわかる。
辛い話なのだけれど、あちらこちらが妙に明るい。それが不思議だ。
人がぼろぼろ死ぬ。苦しむ。治る見込みはない。それでもどこかで何かが作用している。
行き過ぎた絶望による開き直りなのかもしれない。
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本当は1968年に講談社から出た単行本のほうを読んだのだが、検索で引っかからなかったため此方に。
今日まで未解決のまま続く水俣病。事件の外面的事情は色々なところに書かれているが、この本は現地の人々の声をルポした筆者がその時系列順にそのまま綴ったというドキュメンタリーな一冊。
水俣病は何が問題だったのか。この事件が被害を受けた人々にどのように捉えられていたか。そしてその加害者側の人々の対応はどうであったか。
水俣病を患う人々、とくに医学的に証明されている胎児生水俣病を病んでいながら、それが政治的には認められていないため未認定患者として打ち捨てられている人々の問題は、たんに水俣病患者だけの問題ではない。
東大や東電、そして政府の安全神話に騙され家や仕事を追われてもさしたる保障を受けられない人びと、東京でその安全神話を利用し享受しながらファッションの脱原発を唱える人びとの構造。
身分相応の会社に行けといわれて就職先を失い、あるいは労基法を遵守しない会社に追いやられ、精神を病み、あるいは過労し、あるいは死んでいく人びと。その上にあぐらをかいて、努力が足りないとかマッチングとかという言説を駆使して搾取を続ける人びとの構造。
枚挙にいとまがない。人の命を脅かしながら安穏としているこの社会、あるいは人びと。水俣病はこれの縮図といっていい。それを真摯に書き写したのが石牟礼である。社会問題が山積する今日、もう一度、多くの人にこの本を手にとって欲しい。
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水俣病患者の悲惨さを書き綴った本。内容の悲惨の反面、患者の話す言葉を伝える文章の表現力の美しさに驚かされます。ところが解説を読むと、これは「忠実な聞き書き」の本ではなく、筆者が「話し手の心の中で言っている事を表現する」と、こうなるらしい。
... つまり本書は純粋なルポルタージュではないという事(解説者は「私小説」という表現をしています)。この点の評価は分かれるんでしょうが、私は名著である事は間違いないと思うのですが。
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感情論に走ることなく、淡々と・・・それでいて、胸に迫ってくるものがあります。私たちが今ここに在ることの意味について、考えさせられます。
鹿児島大学 / 教育学部
教員名 丹羽佐紀
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B916-イシ 000367250
読むのが辛い重い本であることを始めに断っておきます。それでもなお医療従事者を志す若い方に是非読んでもらいたい一冊です。有機水銀中毒は特徴的な神経症状を呈するので、皆さんが勉強している多くの教科書の中で触れられているかと思います。
この疾患は公害病として熊本県の水俣湾や新潟県の阿賀野川(新潟医療福祉大のそばを流れるあの阿賀野川です)流域で発生し多くの不幸をもたらしました。教科書の数行の記述の裏にあるリアルな姿がこれです。神経症状の辛さ、活計を失う苦しみ、極限状態で発揮される人間性、このような地獄がなにゆえ「浄土」なのか。同時に偉い人の都合が悪くなれば民衆なんていとも容易く棄てられるのだということがよくわかるでしょう。
医療従事者を目指す皆さん、新たな公害が起きた時あなたなら何をしますか?
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(2016.09.18読了)(1999.01.02購入)(1990.07.20・第34刷)
副題「わが水俣病」
大宅壮一ノンフィクション賞、受賞辞退
【目次】
第一章 椿の海
第二章 不知火海沿岸漁民
第三章 ゆき女きき書
第四章 天の魚
第五章 地の魚
第六章 とんとん村
第七章 昭和四十三年
あとがき
改稿に当たって
解説 石牟礼道子の世界 渡辺京二
〔資料〕紛争調停案「契約書」
☆関連図書(既読)
「水俣病」原田正純著、岩波新書、1972.11.22
「新装版苦海浄土」石牟礼道子著、講談社文庫、2004.07.15
「水俣病の科学 増補版」西村肇・岡本達明著、日本評論社、2006.07.15
「谷中村滅亡史」荒畑寒村著、新泉社、1970.11.20
「田中正造の生涯」林竹二著、講談社現代新書、1976.07.20
「沈黙の春」カーソン著・青樹簗一訳、新潮文庫、1974.02.20
「奪われし未来」T.コルボーン・D.ダマノスキ著、翔泳社、1997.09.30
(本のカバー裏表紙より)
公害という名の恐るべき犯罪、“人間が人間に加えた汚辱”、水俣病。昭和28年一号患者発生来十余年、水俣に育った著者が患者と添寝せんばかりに水俣言葉で、その叫びを、悲しみ怒りを自らの痛みとし書き綴った《わがうちなる水俣病》。凄惨な異相の中に極限状況を超えて光芒を放つ人間の美しさがきらめく。
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水俣病に苦しむ人びとの声にならない声を、著者がことばに書きとめた作品です。
本書の巻末に収録されている渡辺京二の「石牟礼道子の世界」には、本書は正確なインタヴューやルポタージュではなく、著者自身が「だって、あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」と語っていたことが明かされています。こうした著者のスタンスは、病に苦しむ人びとがうしなったものがいったいなんであったのかを的確にえがき出しているように思えます。
病状などについては、本書のなかでしばしば引用されている水俣病にかんする記録の文章で客観的に示されており、また患者の状況についてはジャーナリスティックな立場からの取材によって明らかになるはずです。しかし、病によってうしなわれた、それまで彼らがあたりまえのものとして過ごしてきた日常は、われわれにとって容易に知ることのできるものではありません。著者は、そうした患者たちの声なき声をことばにすることで、その困難な課題を果たしているように感じられました。
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日本の現代史を考える上で避けては通れない一冊。
未だに裁判が続く理由は何なのか、当たり前の日常がどうやって奪われたのか、その声をどう届けようとしたのか等々、色々考えさせられました。